第5話 内科研修開始
九田記念病院の内科は、循環器内科、消化器内科と一般内科・呼吸器内科の3つの診療科で構成されていた。内科統括部長は師匠が勤められており、一般内科・呼吸器内科も部長は師匠であった。
また、循環器内科に所属しておられた寺岡先生は、理学療法士、作業療法士、栄養士、薬剤師とともに糖尿病チームを作っておられたので、寺岡先生のチームは特別に「寺岡内科」と呼ばれていた。
古くの大学ではこのように教授の名前を科した講座の呼び方もあったようである。一般内科・呼吸器内科も名前が長いので、多くの先生は「狩野内科」と呼んでいた。内科には常に4人の1年次研修医が所属し、循環器内科1ヶ月、消化器内科1ヶ月、そして「狩野内科」を2か月ローテートすることとなっていた。師匠の狩野先生は、呼吸器内科の専門医、指導医、消化器内科の専門医、指導医、救急医学の専門医、総合内科専門医、指導医、プライマリケアの認定医、指導医の資格を持っておられたが、師匠は内科が専門性を追求するあまり細分化してしまっている日本の状況を憂慮しており、
「私が皆さんにこうあってほしい、という内科医の姿は、一般内科の土台をしっかり作ったうえで、その土台の上に専門性を築いている、そういう姿です。私自身も「呼吸器内科医」と呼ばれるよりも単に「内科医」と呼ばれることを誇りに思っています」
と、general physicianを養成することを主眼に置いておられた。なので、初期研修医は、各専門内科にローテートした際も、専門的な手技に従事することは禁止されていた。
「循環器内科医になれば嫌というほどカテーテルを、消化器内科医になれば嫌というほど内視鏡などの手技を行ないます。そのような手技は後期研修医になってから習得しても決して遅くはありません。初期研修のみんなには、医師としての基本である、病歴のとり方、患者さんやご家族、またスタッフとのコミュニケーションの取り方、身体所見の取り方、カルテの書き方などをきっちり身につけてほしいのです」
とおっしゃられていた。
いくつかの研修病院が、早期から積極的に専門手技に関われることを売りにしている中で、それでも師匠がそのように決めたことはおそらく正しいのだろう、と思っていた。
「狩野内科」は2チームで構成されていた。5年次研修医でチーフレジデントの新海先生、4年次だが、内科研修としては3年次にあたる岸村先生の新海チームと、7年次、スタッフDr.の栗原先生、5年次だがお子さんの出産で4年次にあたる、みはる先生(院内の先生同士で結婚されているので、みはる先生はファーストネームで呼ばれていた)の栗原チームの2チームである。1年次の4人は、消化器内科、循環器内科に1名ずつ、そして狩野内科の2チームにそれぞれ一人ずつが配属された。僕は最初に新海チームにお世話になることになった。
始業時間は、循環器内科は午前7時から、その他の内科は午前7:30からであった。それぞれの内科で朝のルーチンは異なるのだが、狩野内科は7:30に、ホームグラウンドである3階西病棟に集合し、患者さんの回診をみんなで行なう。8:45から、内科全体の申し送りである“Sign-in Conference”を行ない、当直帯に起きた特記すべき出来事、当直帯の新入院患者さんの割り振りを行ないながら朝食を食べ、9時から通常業務となる。当直は3~4日に1回、内科ローテート中の1年生は4人なので、ほぼ毎日誰かがER当直明けである。師匠はお忙しい時間を割いてくれ、9時~10時を初期研修医教育に使ってくださった。
前日の当直に入った1年生が、自分が担当しERから内科入院となった症例、あるいは症例がなければ、自分が担当し、印象に残った症例を提示、discussionするのである。ホワイトボードをもってきて、師匠を中心として症例を提示する。師匠のトレーニングの面白いところは、まず「主訴」の時点で鑑別診断(可能性のある疾患)を考えさせることであった。多くの症例検討会では、主訴、現病歴、既往歴、家族歴、社会歴を提示した段階で、鑑別診断を考えるのであるが、師匠はその点でも一味違っていた。
「君たちが、例えばERでホットラインをとるでしょ。そしたら、わかることは年齢、性別と主訴ですよね。そこから鑑別診断を考えなければいけないでしょ。外来診察でも同じでしょ。だから、主訴の時点から鑑別診断を考える訓練をするのは大切だと思っています」
と師匠は言われる。
まず僕らが、前日の症例から1例選んで(これは、先ほどの条件を満たすものであれば、自分で決めてよい)、症例提示の基本である、年齢、性別と主訴を提示すると、師匠はそれをホワイトボードに書いて、
「じゃぁ、この時点の鑑別診断は?」
と問うてこられる。当然「主訴」だけなので鑑別診断は多岐にわたる。僕らが挙げていく鑑別診断を、どんどん師匠はホワイトボードに記入していく。そして、僕らが鑑別診断を挙げられなくなり、僕らの言葉が止まってしまうと必ず師匠は“One more?”と絞り出そうとされる。たいてい鑑別診断は15個以上挙がっている。そして、次に現病歴を発表。現病歴、既往歴、家族歴、社会歴を確認し、ROS(Review of System、それまでのものは基本的に「開かれた質問」という、はい、いいえで答えられないような質問を行ない、患者さんご自身の言葉で情報を聞き出すのだが、ROSはそれぞれの臓器特有の症状(例えば、「咳が出るか」とか、「夜はよく眠れているか」など「閉じられた質問(はい、いいえで答えられる質問)」を行ない、患者さんの気付いていない症状を確認すること)を確認する。当然、1年生の僕らが診た症例なので、本来聞いておくべきことが聞けてなかったりすることが多い。
「このことについては聞いた?」
と師匠が確認をし、聞けていないと
「なに?!聞いていないと……!」
と大げさに、演技的に嘆かれる。そんなようにして、discussionは楽しく進んでいく。これらを確認したうえで、先ほどの鑑別診断に戻り、
「じゃあ、この鑑別診断の中で、消せそうなのはどれ?可能性が高そうなのはどれ?」
と、鑑別診断の評価を行なう。可能性の低そうなものには下向きの矢印、可能性がなければ斜線、可能性が高ければ上向きの矢印をつけていく。そして次に、身体診察、各種検査と進んでいき、それぞれの段階で同様に鑑別診断の評価を行なっていく。レントゲンや心電図は電子カルテを開き、それぞれをみんなで確認、
「どんな所見がありますか」
と聞かれ、最初に発表者が所見を答え、次に残りの3人で意見があれば所見を挙げていき、最後に師匠が総括される。師匠の教えの一つは、
「レントゲンや心電図など、画像や図として表される検査結果がたくさんありますが、それらも、きっちりと言語化して表現できるようにしてください」
というものであった。言語化するには、正確に理解をしなければならない。そのように画像や図なども理解していきなさい、という教えであった。
この段階まで来ると、可能性の高い鑑別診断は1個~数個に絞られる。そして最後に師匠が
「ではこの患者さん、入院後のplanは?」
と質問される。一般的にSOAP形式と呼ばれる形で記載されるカルテ、あるいは医療の進め方はPOS(Problem Oriented System)と呼ばれ、患者さんの問題点(医学的問題点に限らない)を抽出し、それらに対応していく、という形で進められていく。
Planは、大きく3つ(診断的計画、治療的計画、教育的計画)に分けられ、診断が確定していれば、治療的計画、教育的計画が中心となり、診断がまだ確定していなければ、診断的計画、治療的計画が中心となる。そのような形でplanを提示し、症例カンファレンスは終了となる。これを1時間で、教育的に行なうのであるから、師匠は大変であったろうと思われる。師匠の外来日や、師匠に重症の患者さんが入っているときは「今日はごめん!」といってお休みになるが、ほぼ1年間、先生はこれを続けてくださった。
師匠のカンファレンスが終わると、通常業務を行なう。自分の担当患者さんの回診、検査や点滴の指示などを、わからないところはチームリーダーの先生に聞きながら、組み立てていく。新入院があれば、チームリーダーや師匠と一緒に診察、初期評価を行ない、入院時カルテ(Admission Note)を作成する。Admission Noteは、朝の師匠とのカンファレンスと同じような流れで、入院日、主訴、現病歴、既往歴、社会歴、家族歴、服薬内容を記載、入院時の身体所見、検査所見を記入し、入院時点での鑑別診断をAssesmentとして記載、そしてAssesmentから入院後のPlanを導き、記入して出来上がりとなる。僕らが不慣れなためなのかどうか、ひとりのAdmission Noteを作成するのに、1~2時間かかる。なので、1日に2人も入院患者さんがいれば、ずいぶん遅い時間まで居残りになってしまのであった。
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