第3話 僕がなぜここにいるのか?

 僕が今お世話になっているのは九田記念病院である。この街に3つある、初期研修医の教育も担える急性期病院の一つである。残りの病院のうち、市民病院は大学からの研修医を受け入れており、もう一つの病院は、うちの病院と同様、独自に研修医を受け入れていた。


 かつては、医学生は大学を卒業後、母校の医局に所属する、ということが多かったようだが、今は、市中病院で初期研修を受ける人が増えている。僕自身は、少し年を取って医学部に入学したので、早く「正社員」になりたかった。厳しい研修となるのは覚悟しているので、早く医師としてある程度のことが一通りできるようになりたかった。なので、身分も不安定、時間をかけてゆっくりと専門性の高い医師を養成することを目的とする大学病院で研修することは全く考えていなかった。


 市中病院で初期研修を受けるつもりだったので、いろいろな病院を見学させてもらった。有名な病院だけど、見学に行くとあまり自分とは波長が合わない病院もあり、噂ほど教育的な病院ではないと感じたこともあった。見学に行った病院はどこも、その地域の基幹病院なので決して悪い病院ではなかったのだが、自分と波長の合わない病院では仕事を続けることが難しい。


 僕が九田記念病院を見学したのは本当に偶然だった。グループ病院で、この地域ではブランド力のある樫沢総合病院に見学をお願いしようとホームページを見たときに、たまたまリンクが張ってあったから、言葉は悪いが「ついでに」見学させてもらうことにした。


 「鶏口となるとも牛後となるなかれ」という言葉があるが、初期研修に関してはこの言葉は成り立たない。むしろ良い意味で、「朱に交われば赤くなる」、あるいは「蒼蠅驥尾に付して千里を致す」という方が良いだろう。たとえ出来が悪くても、よい研修を行なっている病院でトレーニングを受ける方が、あまりよい研修を行なっていない病院で出来がいいよりも、よいトレーニングを受けている分、技術のある医師になれることが多いとされている。

 その一方で、自分の周りや、他大学の医学生の動きを見ていると、いわゆる「ブランド病院」に集まりがちな傾向になっていることも気になっていた。「ブランド病院」は確かにいい研修をしている病院であることが多い。ただ、「ブランド病院」だけがいい研修をしているのか、というとそうではないと思っていた。「人の行く/裏に道あり/花の山」という言葉があるが、この言葉の通り、私は、有名ではないけれども、いい研修を提供している病院で研修を受けたいと思っていた。そのような病院が必ずあると、根拠もなく信じていた。


 自分の研修病院を選ぶ基準は、(1)臨床研修必修化以前から研修医をスーパーローテートで(内科、外科などの各診療科の壁を越えて)養成していたところ(研修医育成のノウハウが蓄積しているだろうと考えた)、(2)研修医時代に、たくさんの症例を自分で経験できる病院であること(しばしば、初期研修医は見学が中心の研修病院もある)、(3)病院全体が教育的であること、(4)研修医であっても病院の「正規の職員」として扱われること、そして最後に、「自分の波長と合う病院であること」であった。

 離島は別として、基本的にはどの二次医療圏(全国は約300の二次医療圏に分けられており、基本的には一つの二次医療圏に、中核となる高次医療機関があり、その病院を中心に医療システムが構成されている。ほとんどの疾患はその二次医療圏で完結することができるようになっている)であっても、その中核となる病院には臨床経験の豊富な実力のある医師がいる、と考えていた。逆にそうでなければその地域の医療はボロボロになってしまうからである。


 そんなことを考えながら、どちらも地域の中核病院である樫沢総合病院と九田記念病院の見学者募集の申し込みをした。


 医学部5年生から6年生になる春休みに、両方の病院を見学させてもらった。どちらの病院も初期研修医、後期研修医が情熱をもって働き、学んでいる病院であった。樫沢総合病院は主に内科を、九田記念病院を見学したときは、内科、外科、ERを見学させてもらった。


 どちらの病院も同じ医療グループの病院であり、地域の拠点病院として、「患者さんを断らないER」を掲げていた。樫沢総合病院は年間7,000台以上の救急車を受け入れ、九田総合病院も、6000台以上の救急車を受け入れていた。どちらの病院も、walk inの患者さんを合わせると年間で2万人以上の時間外患者さんを受け入れている。なので、おそらく経験値はどちらの病院に行っても大きな違いはないだろうと思った。あとは自分の波長と合うか、であった。


 樫沢総合病院での見学も勉強になったが、型破りだったのは九田記念病院の内科だった。午前7:30から回診を始めるのだが、回診のルールが、

 「患者さんを診察するたびに、ブラックユーモアを言うこと」

 ということだった。他の病院でそんな回診は聞いたことがない。そんな内科の朝回診を、研修委員長・内科部長の狩野(かりの)先生、その時ローテータだった3年次の白井先生と医学生の僕で行なった。「ブラック内科回診」と自虐的におっしゃられていたが、寝たきりの患者さんでは必ず背中の診察もしておられた。実は寝たきりの患者さんの背中をきっちり診察するのはとても重要なことなのである。一つは、褥瘡ができていないかどうかの確認、そして寝たきりの患者さんで誤嚥性肺炎は、多くは両肺の下葉背側が病巣となることが多い。しかも、寝たきりで拘縮のある患者さんの背中を一人でよっこいしょ、と診察するのは結構大変なのである。なので、きっちり患者さんを診ている病院かそうでないかの判断基準の一つとして、

 「きっちりと、患者さんの背部の聴診、診察をしているかどうか」

 ということが挙げられている。病棟から病棟へ、階段を下りていくときにお二人でブラックジョーク(もう内容は忘れた)を飛ばしてあっているが、実はきっちりした内科だ、と思った。狩野先生は患者さんの診察をしながら、いろいろと私に質問をしてきた。基本的な質問、しっかり勉強していないと答えられないような質問など、質問に狩野先生の臨床力の高さを学生ながら感じていた。回診の最後に、30代の男性、気管切開、人工呼吸器管理、胃瘻造設状態の患者さんを診察された。先生はそのあと私に、

 「さぁ、保谷先生(医学生でも、病棟では「先生」をつけて呼ばれることが多い。これはおそらく医学界の慣習である)、この患者さんの診断は何だと思う?」と質問された。

 「う~ん、ALSですか?」

 「先生、確かにそれは鑑別診断に入れるべき疾患だね。でも、この方は30代だよ」

 「え~っと、それでは、Duchenne型筋ジストロフィーですか?」

 「おぉ、保谷先生すごいね。今までたくさんの研修生が来たけど、Duchenne型まで答えたのは先生が初めてだよ!」

 と、狩野先生は少し私を持ち上げてくれた。褒められたから、というわけではないが、少しぶっ飛んだところと、実はきっちり内科を実践しているギャップがなんとなく波長が合う感じがした。


 ただ、あれだけブラックなことを言われる狩野先生は、研修の指導医としてはどうなのだろう、と一抹の不安を感じたのも事実であった。



 夏休み、就職試験のために候補となる病院をいくつか再度見学させてもらった。樫沢総合病院には、その病院グループでは高名な名物院長である武原院長がおられた。院長面接ということで武原院長とお話ししたときに、

 「君はほかにどんな病院を見てきた?」

 と聞かれ、

 「このグループ病院では九田病院です」

 と素直に答えた。武原院長は

 「九田病院なら狩野君だね。彼は優秀な内科医だよ」

 とおっしゃられた。武原院長がそうおっしゃられるなら、やはり狩野先生はしっかりした医師なのだと安心した。なので、僕の中では九田記念病院の存在が大きくなっていた。


 医学生の就職先は、厚生労働省の外郭団体である「臨床研修マッチング機構」が行なっている「マッチングシステム」で決定される。医学生は、自分の希望する病院を1位から順位をつけて機構に提出する。受け入れ病院側も、採用したい学生を1位から順位をつけて機構に提出する。そして、それらのデータが集計され、機構が有するアルゴリズムに沿って医学生と病院をマッチさせていく。マッチングで決定された病院には、国家試験に落ちてしまわない限り、必ず行かなければいけない。運悪くマッチする病院がなかった医学生は、空き枠のある病院を探して、マッチングとは関係なく、二次募集として採用してもらう、ということになっていた。


 僕は九田記念病院や母校の初期研修コースを含め、いくつかの病院を登録した。下位の病院はすぐに順位を決めることができたが、上位3つの病院はどこを1位にするかでずいぶん迷った。その年は九田記念病院は人気があり、1位として登録している医学生が定員10人のところに12人いた(ちなみに樫沢総合病院は10人の枠に32人だったので、登録しなかった)。

「たぶんここは受からないだろうなぁ」

と逆にリラックスして、九田記念病院を1位として、機構に登録した。


 10月の中旬だったか、マッチング結果が発表された。びっくりしたことに、九田記念病院にマッチしていた。ずいぶん驚いたが、そんなわけで、その後の国家試験もなんとか合格し、同院にお世話になることになったのである。


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