第2話 プロローグ:心の持ち方。
「ほーちゃん、最初の患者さんが来たみたいだよ。どちらが先に診察するか、ジャンケンで決めようよ!」
一緒に当直をしている同期のタケが僕に声をかけてきた。そう、僕らは初期研修医。二人とも今日が初めてのER当直である。
僕は保谷 伸一(ほたに のぶかず)。子供のころから医師に憧れていたのだが、やはり医学部のハードルは高い。普通の公立高校を卒業したが、医学部進学を望める成績ではなく、結局医学部ではない大学の理系学部に進学した。何とか、がけっぷちの成績で大学の4年間を過ごした。身の丈知らずというか、怖いもの知らず、というのかわからないが、そのような成績でも何とか大学院に滑り込めた。医学にかかわる研究がしたい、と思っていたが、大学院で学ぶほど、自分に研究者としての才能がないことを目の前に突き付けられた。
そうこうしているうちにもう自分もいい年になってしまった。自分のありたい人生を進むラストチャンスと思い、1年間にすべてをかけて勉強し、国公立大学の医学部を受験。人生最大の奇跡が起こり、地方の某医学部医学科に合格できた。こんな奇跡があるのか、と自分でも何度も頬をつねったくらいだ。子供のころからの愛読書「ブラック・ジャック」では、彼自身のことを「地方の3流医大卒」と言っている。自分の母校を「3流大学」とは言えないが、地方の大学なのは確かだった。母校で一生懸命勉強し、6年間の医学部生活を悪くない成績で卒業。国家試験も無事に乗り越え、この病院で研修医の仕事を始めたところである。
「OK、タケ!じゃあジャンケンしよう」
と答え、彼とジャンケンをした。ジャンケンはタケの勝ち。
「あぁ、負けてしまったなぁ。じゃあ、僕が診察に行こう」
と思った途端、タケは、
「ほーちゃん、悪いね。俺が先に診察させてもらうよ」
と言って、患者さんのファイルを手に取り、診察室に向かっていった。
しまった!! 心構えの時点で、タケに完全に負けていたことに気づいた。僕は、診察を無意識に「いやなこと」ととらえ、負けたものがそれを担う、と思っていた。でもタケは、診察を「成長のチャンス」ととらえ、勝ったものの報酬としてとらえていたのだ。
そう、僕らは医師として成長するために、この病院に来たはずである。タケの前向きな姿勢が明らかに正しい。僕は何を恐れているのだろう。タケが去っていった後、当直医の控室で、僕はしばし動けなくなった。自分の心の弱さを感じて。
追記
2022年、タケが某大学医学部の教授になったと聞いた。学問の世界で成功するには、実力だけでなく、タイミングや運などもかかわってくる。彼は初期研修終了後、この病院を離れていったが、その後大変な苦労をしたのだろう。本当に立派だと思う。
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