第4話

 猿島坂東三十三観音霊場さしまばんどうさんじゅうさんかんのんれいじょうに和正はやって来た。

 1725年(享保10年)に雄弁上人によって創始された観音霊場。観音霊場は千葉県野田市関宿町、茨城県猿島郡境町、茨城県古河市、茨城県坂東市に点在する三十三札所。12年に一度ご開帳される。次回のご開帳は2013年(平成25年)3月17日から4月17日。前回2001年開帳時には近隣から4万人以上が訪れたという。第一番、第二番札所は千葉県野田市関宿町にあり、そのほかの霊場は茨城県に位置する。第二番札所の大龍寺には七観世音が祀られている。

 あんなに順調だった遥が何故殺されたのか?

 いや、順調だったからこそ殺されたのかもな?

 伊坂公子なんてテレビに全然出なくなった。

 酒浸りの生活だったりして。

 

 6月24日、関宿町のマンションにおいて、何者かが真上の部屋に侵入し、住人であった38歳の女性を殺害した。何と、遥のライバルの松本康代だった。


 犯人は、康代の部屋の玄関ドアの外側にドアストッパーを置いた上で、ベランダに梯子をかけて登り、ベランダの窓を割って侵入した。犯人は康代をバールで殴ったり包丁で刺したりし、120カ所以上の刺し傷や切り傷を負わせた。康代の悲鳴を聞いた周辺住民が100番通報し、康代は病院に搬送されたが、後頭部の粉砕骨折と左太ももの動脈損傷により失血死した。室内は玄関周辺まで大量の血痕が付着していたという。


 犯人は犯行直後に自分の部屋に放火し、一酸化炭素中毒で死亡した。

 木製の棒(長さ約60cm)の先に包丁を固定した手製の槍のようなものや、バールが康代の部屋のベッドの上で発見された。

 また、康代が逃げられないように、玄関ドアの外側にはドアストッパーが差し込まれ、接着剤で止められていた。


 和正は狭山から犯人の名前が白峰力だということを聞かされた。

 狭山とは高校時代の同級生だ。

 白峰は優秀な脚本家だった。

 長島遥も白峰が殺したのだろうか?

 あ〜、明日も仕事だ。かったりー。

 和正はケータイの製造をしてる。

 白峰は死んでしまってるし、真相は闇の中ってことになるのかな?

  

 和正は次いで、鈴木貫太郎記念館にやって来た。大日本帝国海軍軍人で第42代内閣総理大臣を務めた鈴木貫太郎ゆかりの品を展示する千葉県野田市立の記念館である。

 1963年(昭和38年)、鈴木の本籍地であり、幼少期と最晩年を過ごした地でもある千葉県東葛飾郡関宿町に開館した。所在地は鈴木の旧宅があった場所の隣に当たる。鈴木の遺品など1,000点以上を所蔵するほか、昭和天皇臨席で鈴木内閣が太平洋戦争で日本の降伏を決めた場面を描いた油絵「最後の御前会議」(白川一郎画)が展示されている。2019年、二・二六事件に関与した安藤輝三の遺品が遺族によって寄贈された。


 2011年9月、遺品のすずり箱と銀製のたばこ入れ、銀製のウサギの置物の3点が盗難被害に遭った。

 

 和正はさらに棒出しにやって来た。

 棒出しは、現在の埼玉県幸手市大字西関宿および千葉県野田市関宿江戸町に所在した水利施設である。


 この棒出しはかつて江戸川の流頭部(権現堂川・ 逆川との接続部)に設けられていた水利施設である。今日の幸手市側を「西棒出し」、野田市側を「東棒出し」と称していた。機能としては、丸太を数千本打ち込むことにより川幅を狭め、江戸川への水流を調整する役割をもっていた。


 天保年間に建造がなされ、それにより江戸川沿いの水害は減少したが、その分利根川沿いに水害が発生するようになった。この後1875年(明治8年)および1884年(明治17年)に玉石積みに組み替えられるも、大水により崩壊したため1885年(明治18年)に角石積みとなった。1898年(明治31年)にはセメントを利用した角石張りに改良された。1910年(明治43年)に発生した大水害を受け河川改修が行われ、これに伴い江戸川の流頭部が北へと移り、また権現堂川は締め切られた。1927年(昭和2年)に行われた新たな流頭部への関宿水閘門の設置に合わせて、1929年(昭和4年)に棒出しは撤去された。


 棒出しの設置年については諸説あり、上記の天保期(1830年 ~ 1843年)の他に1822年(文政5年)とがあるが、1783年(天明3年)の文書に棒出しの記述がみられることから、1783年(天明3年)には建造されていた可能性がある。棒出しの上には関宿の関所が設置されており、関宿藩により管理されていた。


 棒出しに利用されていた石材は栃木県の岩船山で採掘されたものが水運で渡良瀬川を流下し運ばれたものとみられている。この岩は岩舟石と称され、火成岩のため加工しやすく耐候性が高いという特徴がある。棒出しから撤去された角石は現在、中の島公園や千葉県立関宿城博物館に展示されており、旧関宿小学校の石垣や茨城県猿島郡五霞町の善照寺鐘付堂石垣にも利用されている。

 

「遥を殺したのは俺だよ」

 和正の後ろで声がした。

「あの女、浮気癖がひどくてな?あと、寝癖もな?」

「そんなことで殺したのか?おまえ、ガキの頃は全然モテなかったよな?」

 真犯人は狭山だった。

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関宿殺人事件 鷹山トシキ @1982

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