第3話

 長島遥について段々分かって来た。

 1984年、福岡県福岡市生まれ。その後、千葉県関宿町の叔母の家で小学校低学年まで育てられ、実父の再婚に伴い福岡へ戻り、小学校を卒業。父はその後再々婚。中学校時代にはソフトボール部に所属し、中学校3年生時の1999年夏には、9番右翼手で福岡県大会に出場し、準優勝している。SPEEDやモー娘。に憧れて歌の練習を始める。


 1999年10月、全国応募総数54,129名のオーディション企画「ドライヤー・イメージガール・コンテスト」に出場、グランプリは松本康代が受賞したが、遥には「もうちょっとだったのに!賞」が授与された。当コンテストには本来このような賞はなく、芸能事務所サンミュージック『ムーンソプラノ』の専務が遥を見初め、『彼女の才能を試してみたい』との希望で急遽用意されたものであり、このような経緯で遥の芸能界デビューは決定した。


 同年12月、福岡市から上京した遥は、ムーンソプラノ社長(当時)・頼若行らいわかゆきの自宅での下宿生活を始め、学校も東京都内の中学校に転校。


 遥にとって初めての仕事として、テレビドラマ 『台風到来!』2000年1月- )への出演が決定、同時期に雑誌 『Momoi』に登場し、モモイクラブのNo.1482となる。



 2000年4月29日、同誌が開催したイベント「モモイ・パーティー」におけるオーディション、『第2回 ミスモモイクラブ』で「キングモモイ賞」を受賞した遥は本格的にデビューを飾った。テレビでは同時期放送開始のTBS系『モモイクラブ』にレギュラー出演し、番組の中心メンバーとして人気を博す。この時期から遥は自身を「ハルペー」と自称、同時に「ハルペー語」を用いるようになった。


 翌2001年2月、『オバサンになりたい』でアイドル歌手デビューし、オリコン最高6位と幸先のいいスタートを切る。同年の新人賞レースには数多く参戦し、伊坂公子いさかきみことの激戦をくり広げた。

『ザ・ベストイレブン』(TBS)では遥直筆の歌詞がそのままテロップになって表示されたこともあった。


 アイドル時代、遥の活動は多岐に渡り、芸能活動のほかにイラストレーター・漫画としても活動し、少女漫画雑誌『火曜少女マンガ』に漫画の連載を持ったこともある。2002年7月、富士山の8合目(標高3300m)の山小屋にカフェ『遥かなるコーヒー』を開店。


 タレントとして伸び悩んでいた遥は、2005年当時、日本の芸能界が目を向けていなかったイラクでの活動を始め、日本での評価以上の人気と知名度を獲得。


 2006年、脚本家の白峰力しらみねちからに引き立てられ、主演したドラマ 『ボロい家の屋根』(フジテレビ)、続いて2007年に『星野の鼻毛』(日本テレビ)が立て続けにヒットする。同ドラマの主題歌となったシングルCD『鼻毛カッター』は自身初のミリオンセラーの大ヒット曲となり、『NHK紅白歌合戦』に出場した。


 2007年3月には、個人事務所 『リコルヌ』(東京・南青山)設立、継母と共に取締役に就任した。同年、『続・星野の鼻毛』(日本テレビ)にも引き続き主演を務め、ドラマ主題歌のシングルCD『ムダ毛じゃないのよ』もヒット作となった。


 その後、結婚・出産を経た遥は、育児と女優活動を両立、2009年には洋服ブランド、『ハルカ』のプロデュースを始める。さらに様々なイベントに参加し、当時の内閣総理大臣・韮山博之にらやまひろゆきとも面会、また、スポーツ映画『リングを降りる』のヒロインにも抜擢されるなど、芸能人としてのステータスを高めていた。

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