「好きだ!!」

@yaminabe4

幼馴染

俺には幼なじみがいる。


紗奈事直美さなじなおみという女の子だ。


俺はよく彼女にイタズラをされる。


勉強している最中に消しゴムを横から奪ったり、こちらが眠りかけている時に耳元へ息を吹きかけたり。

お前は幼稚園児か、と、そう言われてしまいそうなことを平気で実行し、最後には嬉しそうに笑うのだ。


「やーい、引っかかった!」


と、言いいながら。


俺が図体がデカく、ノロマなせいだろうか。

彼女は、そういったを俺にしか行わない。

罠にはめるにしろ、脇腹をつつくにしろ、それは大体俺と彼女以外に人がいない時だけなのだ。

そしてそれは中学生になっても、高校生になっても続いた。

彼女は外面がいい。いつもニコニコしていて、愛想も良い。一部の女子から妖精さんだなんて称されているのを聞いた。

そんなことだから、俺が彼女にされている小悪魔のような悪事を知らしめようとしても、まず取り合ってもらえない。



一度、彼女に聞いてみた事があった。


「え?どうしてそんなに俺にばっかりイタズラするのかって?」


そうだ、と俺が頷く。


もともと明確な答えを期待して質問したわけではなかった。

これも、一種の仕返しのつもりで、その場限りの話題のつもりで、適当に聞いただけだった。


すると、彼女は、少しばかり真剣な顔をしながら俺に言った。


「君は、どれだけイタズラされようと、私を嫌いになったりしないでしょ?」




なんだ、そんな理由かよ。


用意していたはずの言葉を、何故か口に出すことが出来なかった。


それは、俺がその真剣な様子に驚きながらも、彼女の答えに少し納得していたからだった。


その時の彼女は、なにかを期待するようでもあり、それでいて諦めているような、まるで寂しがり屋のような表情で俺を見ていた。

だが次の瞬間、彼女の顔はいつもの悪戯っ子に戻ってしまい、その悲しげな瞳のゆらめきも、奥の方に引っ込んでしまった。


そして、続けて彼女は口を開く。





そういえば。と、俺は一つここで思い出したことがあった。

俺が彼女のあんな顔を見るのは、これが初めてではない。


あれは確か十年ほど前、俺に、頃のことだ。


俺のもう一人の幼馴染は、光という、直美と同じ女の子だった。

名は体を表す、という言葉が正しく当てはまるような明るい子で、俺たちはいつも三人一緒に遊んでいたものだった。

三人で過ごした時間は、今でも楽しかった思い出として鮮明に思い出すことができる。三人で川に泳ぎに行ったり、家に帰りたくなくて三人で駄々をこねたり。


その頃の直美は今のように他所でお行儀が良かったというわけではなく、むしろ、誰にでも、今の俺と接しているのと同じようなであり、子供達にも大人達にも容赦のない悪戯を仕掛ける、近所の悪ガキ、という感じだった。


子供達、というのには当然俺と光も含まれており、俺たちも幾度となく被害を被っていた。だが、直美の悪戯を困ったように見守るのではなく、むしろ半ば楽しみながら日々を過ごしていた。そのいじりが嫌になる、ということは絶対になかった。少なくとも、俺は。



楽しかった時間は、ある日、突然に終わりを迎えた。



明日、引っ越すことになったんだ、という光の告白に、俺たちは驚き過ぎて声も出せなかった。そしてあらかた驚いた後、わんわん泣いて引き留めた。特に、直美の方は凄まじかった。すごい剣幕だったものだから、思わずこちらの涙も引っ込み、光と二人で直美を慰めた。

大丈夫、えいえんのお別れじゃないよ。今まで黙っててごめんね。と光は肩を叩きながら、少し安心したような笑顔を浮かべ、目尻には涙を溜めていた。

そんな様子をそばで見ていたら、こちらも引っ込んだ涙が再び溢れ出し、終いには三人で、声が出る限り泣いた。


そこからはもうあっという間で、気がつけば直美と二人で、涙ながらに光が乗った車に手を振っていた。



「光、行っちゃったね」


やがて自動車が曲がり角に差し掛かり、後部座席がこちらから見えなくなると、直美がぽつりと言った。


そこから膝を抱えて、またわんわんと泣き出してしまった。


こんなに彼女は泣き虫だったのか。そう思い、優しく背中を叩いていると、また、直美はぽつりと呟いた。


「私、嫌われてたのかなぁ…」


一瞬、耳を疑った。

こちらが理由を尋ねる。


直美は涙まじりに「いつも、私が悪戯してたから」と言い、顔を埋めた。


ここで初めて、俺は直美の涙のわけを悟った。


彼女が泣いていたのは、もちろん寂しさもあったのだろう。これからもずっと一緒だと思っていた親友と離れ離れになってしまうという、どうしようもない寂しさ。

だが、同時に同じくらい不安に思っていたのだろう。もしかして、光は私のせいで引っ越すことにしたのではないか、私がいつも悪戯ばかりしているから、光に嫌われたのではないか。

もちろん、光はそんなことかけらも考えていなかっただろう。だが、まだ幼稚な直美の想像力が、深く彼女に罪悪感を与えていたのではないか。


「ねえ」


気がつくと、直美が潤んだ瞳でこちらを見ていた。


「私のこと、嫌い?」




俺はただ、そんなことない、を繰り返して、震える体を勇気づけながら、彼女を抱きしめるしかなかった。大丈夫、大丈夫だと、彼女と、果ては自分に言い聞かせながら。


あの頃の俺には、そのくらいしか出来なかった。


だがそれは、さらに彼女に不安を与えただけだったようだ。

親友を失ったという悲しみは、俺の思うよりも深く、彼女を傷つけていたのだ。




彼女は、俺以外に悪戯をしなくなった。




俺以外と接する時の彼女。まるで優等生のように、自分を抑えながら微笑む彼女。俺はそれを見ると、まるで親友を一度に二人失ったかのような、鋭い喪失感を胸に感じた。


彼女を想った俺の行動が、彼女に籠るための盾を与えてしまったのだ。いや、むしろ彼女は俺から盾をためにわざとあの言葉を投げかけたのだろうか。


あれが最も悪手な行動だったとは断言できない。ただ、もう少し、もう少しだけ良い選択肢が、俺に残されていなかったのかと、俺は後悔に後悔を重ねた。


もしかすれば、今も彼女は、あの頃のいたずらっ子と同じように、無邪気に笑えていたかもしれない。もし、俺が違った言葉を返していれば…。だが、全ては仮定の話でしかない。


もしももしもと駄々を繰り返していても、過去が変わるわけはない。

もしもボックスも、タイムマシンも、この世には存在していない。


俺の愚かな選択が、彼女にもう一人の冷たい人格を与えてしまった。本当の自分を曝け出せば、いつか嫌われてしまう。そう勝手に悟り、全ては予想通りだと寂しく笑う計算高い、仮面のような人格を。


ここで俺すら彼女から離れてしまえば、彼女はその氷のような人格で、本当に、自分の本来の想いさえ冷ましてしまうだろう。

それは彼女にとって最善でもあり、同時に最悪でもあるのだろう。

夢から覚め、ただ、現実を一方的に決めつけて一方で傍観する彼女。




だけど、俺の前でくらい、夢を見たって良いじゃないか。




蓋をした記憶を紐解くと、俺は、以前とは少し違った気持ちを感じていた。


苛立ちだ。


引っかかった、と笑う彼女に。

全て予想通りだと、寂しく笑う彼女に。


そして、勝手に世界が自分を嫌ってしまうと思い込む彼女に。



「私のこと、嫌い?」


彼女が再び、こちらに問いを投げかけている。


今度は、俺にしか見せない、いたずらっ子の顔をのぞかせながら。だけど、その顔の奥に、もう一人の彼女がいることを俺は知っている。


その彼女は、昔と同じで、泣き叫んでしまいそうな潤んだ瞳を、俺に向けていた。寂しがり屋で、心配性で、泣き虫な女の子を、計算高い仮面と、いたずらっ子の仮面で隠しながら。



一矢報いてやりたい。自然と俺はそう思った。


彼女の悪戯は、まだ相手が自分を嫌っていないと証明するための、彼女のほんのささやかな、冷たさへの抵抗だ。


彼女の罠にもかからずに、

予想もされない返答で、

彼女の冷たさを、否定してやりたい。


彼女の背中を、押してやりたい。




だが『ああ、そうだ』と答えるのでは…



芸がない。


そう思った。



…よし。



俺は覚悟を決めると、今の今まで溜めていた想いを全て言葉にして、彼女にぶつけた。

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