おかわり

番外編:陽毬さんの楽しい調教ライフ

「ね、薙くん。わたしのこと、欲しいですか?」


 古ぼけたアパートの一室で、白い肌だけが月明かりに照らされて浮かび上がっている。薄桃色の唇は綺麗な弧を描いて、色素の薄いヘーゼルブラウンの瞳は、ひどく楽しげに輝いていた。


「……欲しい、よ……」


 喉の奥から絞り出した声は掠れていて、自分の余裕のなさを思い知らされる。シャツのボタンをみっつほど開けた陽毬は鎖骨が丸見えになっていて、おれを誘うようにポニーテールの髪が揺れる。


「うふ。まだ、だめです」


 陽毬の細い指が、とん、とおれの唇に押し当てられる。柔らかな皮膚の感触に、今すぐ牙を立てたくなったけれど、彼女はそれを許さない。するりと指をどけて、おれの耳元に唇を寄せた。


「……わたしのこと欲しがってる薙くん、可愛い」

「ひま、り」

「もっとたくさん欲しがってくださいね。ちゃーんと我慢できたら、いっぱいごほうびあげちゃいます」


 耳に感じる息がくすぐったくて、背筋がぞくりと震える。甘く響く陽毬の声はまるで催眠術のようで、気付けばおれはこくこくと首を縦に振っていた。おれの反応を見た陽毬は、熱に浮かされたように「可愛い」と呟く。


 誰かに必要とされることが気持ちいい――という彼女のちょっと捩じくれた性癖は、ここ最近おかしな方向に暴走している。

 おれは相変わらず定期的に陽毬の血を飲んでいるが、時折こうしてやけに焦らされる日がある。別に吸血自体はしなくても生きていけるし、ちょっとくらい飲まなくても平気なのだが、さんざんその気にさせられた状態で食らう「おあずけ」はかなりキツい。一度スイッチが入ってしまうと、なかなか止まらないのが吸血欲というものである。


「薙くん、目が真っ赤になってますよ。綺麗ですね」


 言われるまでもなく、自分の目が赤くなっていることはわかっていた。どうしようもなく興奮している。そんなあからさまなおれの欲を感じることが、陽毬は何より嬉しいのだと言う。


「……陽毬、おれ、もう、飲みたい……」

「ふふ。もうちょっと頑張ってくださいね」


 陽毬は両手でおれの頬を挟み込むと、うっとりと目を細めて顔を覗き込んでくる。


「ちゃんと我慢できたら、ごほうびあげます。どこでも、薙くんの好きなところに噛みついてくださいね。どこから飲みますか? やっぱり首ですか? 胸でも、ふとももでもいいですよ。おいしくたくさん飲んでくださいね」


 陽毬の言葉に、ごくりと喉が鳴る。彼女の身体の一番柔らかいところに牙を立てて、思うがままに血を啜るのはきっと気持ちが良いに違いない。早く早く、と逸る心にブレーキを掛けるように、陽毬は「だめ」と囁いてくる。


「だめです。もっと、欲しがってください」


 眼前にあるうなじには、昨日おれが噛みついた痕が残っている。彼女はそこに爪をたてて、ガリッと強く引っ掻いてみせた。じわりと皮膚に血が滲んで、甘い香りが強くなる。その瞬間、おれはもう目の前の女の子のことしか考えられなくなった。


「陽毬っ……」

「きゃっ」


 勢いよく抱きつくと、陽毬は小さく声をあげた。絶対に離すまいとばかりに、ぎゅうぎゅうと強く抱きしめる。彼女は数秒戸惑った様子を見せたけれど、すぐにおれの背中に腕を回してくれた。密着する身体の柔らかさに、頭がくらくらしてくる。


「陽毬、可愛い、好きだ……好き、だ」

「薙くん……」

「陽毬が欲しい。今すぐ、全部欲しい」


 うわごとのようにそう繰り返していると、陽毬がそっとおれの胸を押し返した。恍惚の表情を浮かべた陽毬が、こちらを見上げている。


「……はい、どうぞ。全部もらってください」


 迎え入れるかのように両腕を広げた陽毬の首に、おれはたまらず噛みついた。彼女の唇から、吐息にも近い声が漏れる。どろりとした、甘くて濃厚な血液が口の中に流れ込んでくる。彼女の手がおれの髪を優しく撫でるたびに、胸の奥が甘く締めつけられるような感覚がする。

 しばらく血を貪った後、おれはゆっくりと彼女から唇を離した。バクバクとうるさい心臓の音を聞きながら、荒い息を落ち着ける。


「……ご、ごめん。痛かった?」

「いえ。へっちゃらです」


 おれは陽毬を抱きしめたまま、さっきまで噛みついていた場所を優しく舐める。陽毬が身じろぎをするたびに、触れ合った身体の柔らかさを感じて、ドキドキした。


「もう。薙くん、くすぐったいです。いつまで舐めてるんですか」

「……んん……」

「もしかして、まだ足りないんです? 薙くんは欲しがりさんですね」


 たしかに陽毬の言う通り、まだ物足りない気持ちがある。あまりたくさん飲むと陽毬が貧血になってしまうので、日頃はきちんとセーブしているのだが、今日はどうにもおさまりがつかない。


「陽毬が、焦らすから……ごめん。おれ、どんどん陽毬のこと欲しくなる……」

「ふふふ、計画通りですね」


 にんまりと笑った陽毬に、おれはきょとんと瞬きをする。陽毬はこつんと額をぶつけると、唇が触れ合いそうな距離で囁いてきた。


「……わたし、もう薙くんがいないと生きていけないから……薙くんにも、わたしがいないと生きていけない、って思ってもらいたいんです」

「え」

「だから薙くんはもっともっと、わたしのこと欲しがってくださいね? わたしも頑張りますから」


 そう言って陽毬は、シャツのボタンをもうひとつ外した。顔を出した柔らかそうな谷間と、「お好きなところから召し上がれ」という言葉に、おれの理性はいとも容易く弾け飛んだ。

 ――そんなの、いまさらだ。おれはもうとっくに、彼女なしでは生きていけなくなっている。

 可愛い小悪魔に見事に調教されてしまったおれは、きちんと「どうぞ」の声を待つ。「いただきます」とお行儀よく手を合わせて、柔らかな肌にそっと牙を立てた。

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