エピローグ:「ごちそうさま」が聞こえない

 クリスマスの月城町は、普段よりも明るい灯りに包まれている。基本的には落ち着いた闇を好む吸血鬼だけれど、夜を照らす色とりどりの光を美しいなと思う感覚も持ち合わせているのだ。まあ、あんまり眩しいのは嫌だけど。

 おれの部屋のベランダからは、観光客向けにライトアップされた十六夜城がよく見える。隣で白い息を吐いた陽毬は、「きれいですねえ」と嬉しそうに笑んだ。


 陽毬を襲った吸血鬼は、先日めでたく警察に捕まった。

 陽毬の証言通り、犯人は彼女のバイト先によく来ていた吸血鬼だっだ。半年前から陽毬に目をつけ、襲うチャンスを虎視眈々と狙っていたらしい。余罪もボロボロと出てきているようなので、厳しい罰を受けてほしいところだ。

 男が逮捕された後も、おれは出来る限り、バイト後の陽毬を迎えに行くようにしている。それでも心配で、吸血鬼避けのニンニク香水や十字架のネックレスをプレゼントしようとしたが、「それじゃあ薙くんも近寄れないからダメです」と陽毬に却下されてしまった。

 結局陽毬は、人間相手にも効果のある目潰しスプレーと防犯ブザーを購入した。「襲ってくるのは吸血鬼だけとは限りませんから」と言って。

 たしかに、それはそうだ。吸血鬼にも人間にも、いろんな奴がいる。

 零児は懲りずに女の子をとっかえひっかえしているし、松永は歯に絹着せない物言いで敵を作りまくっている。柳川さんはいつでもクールだし、葛城くんはいい奴だ。

 陽毬は相変わらず誰にでも親切で、周囲からの無理難題を断らず、困っている人に手を差し伸べ、毎日忙しく走り回っている。「無理していい子にならなくてもいいよ」と言ったのだけれど、陽毬は「だって、感謝されるのは気持ちが良いじゃないですか」と笑っている。

 もしかすると陽毬は、おれが思っていたような「天使みたいな女の子」ではないのかもしれない。それでも、おれはそれでいいと思う。


 紆余曲折を経て無事に仲直りしたおれたちは、約束通りクリスマスイブのデートを決行した。

 昼間は二人で水族館をウロウロして、近くにあるショッピングモールを冷やかして、日が暮れてから観覧車に乗った。

 陽毬はずっと楽しそうにニコニコしていて、なんだかオシャレなふわふわがついたコートを着ていて、いつもより凝った形のポニーテールをしていて、とても可愛かった。唇はなんだかツヤツヤした桃色をしていて、二人きりの観覧車の中でおれはずっと彼女の唇を見つめていた。

 日が暮れてからはおれの家に来て、バアちゃんの焼いた七面鳥とケーキを食べた。零児と静奈も遊びに来ていて、陽毬はたくさん笑ってたくさん食べた。いつもより賑やかな食卓に浮かれたのか、バアちゃんは早々に酔い潰れてしまった。

 時刻は吸血鬼のゴールデンタイムである深夜二時。昨日から冬休みに入っているから、夜更かしをしても平気だ。

 おれは零児と静奈を追い返し、ソファで眠るバアちゃんに毛布をかけてから、陽毬の手を引いて自分の部屋へとやって来た。賑やかなのも悪くはないけれど、もう少しだけ陽毬と二人きりのクリスマスを楽しみたい気分だった。

 ぼんやりと十六夜城を眺めていた陽毬は、「いい子にしてたら、サンタさんが来てくれるんですよね」とぽつりと呟く。


「薙くんのおうちには、サンタさんが来てましたか?」

「え? ああ……そういや、毎年枕元にプレゼント置かれてたな」


 おそらく両親が用意してくれたものだろうと、幼心にも気付いてはいたが。目覚めと同時にプレゼントを見つけた瞬間の幸せな気持ちは、今でもなんとなく覚えている。

 陽毬は「素敵ですね」と笑ってから、寂しげに目を伏せて言った。


「……わたしはいい子じゃなかったから、わたしのところにはサンタさんが来てくれなかったんです」


 その声色の暗さに、おれは思わず彼女の手を握っていた。小刻みに震える手を、できる限り優しく包み込む。陽毬は唇の端を無理やりみたいに持ち上げて、今にも泣きそうな顔で笑った。

 自分がいい子じゃないせいだ、と己を責めていた小さな陽毬のことを思うと、胸が苦しくなる。もっともっと甘やかして、大事にしてやりたくなる。繋いだ手にぎゅっと力をこめた。


「……いい子じゃないとプレゼントくれないサンタさんなんて、心狭いよ」

「……そう、でしょうか……」

「だったらおれが、サンタクロースの代わりに陽毬にプレゼントあげる」

「……え?」

「……何か、欲しいものある?」


 本当はずっと、陽毬にクリスマスプレゼントをあげたかったのだ。それでも、また「いらない」と言われてしまうんじゃないかと思って、結局何も買えなかった。自分のセンスが信頼できなかった、という理由もある。

 おれは固唾を飲んで、陽毬の返答を待つ。彼女はしばらく考え込んでいたけれど、やがてゆっくりと口を開いた。


「……指輪がいいです」

「指輪?」

「薙くんとお揃いの指輪……だめ、ですか?」


 そう言って陽毬は、上目遣いに首を傾げた。嬉しくなったおれは、繋いだ手をぶんぶんと振り回しながら「いいに決まってる!」と叫ぶ。


「明日すぐに買いに行こう! おれ金属アレルギーだけど、ちょっと蕁麻疹出るぐらい我慢するから!」

「が、我慢は良くないですよ……! 薙くんでもつけられるのを、二人で探しましょう」


 それなら買うのをやめよう、と言われなかったことが嬉しい。陽毬はおれと繋いだ左手を持ち上げて、「わたし、結構独占欲が強いんです」と笑った。

 それはこちらも望むところだ。やはり陽毬のワガママは、可愛くて愛おしい。


「あ、雪」


 ふいに呟いた陽毬の言葉に空を見上げると、真っ黒い空に白い粉雪が浮かんでいた。夜の雪は僅かな光を纏って、静かに舞って落ちていく。


「陽毬、寒くない? 部屋から毛布取ってこようか」

「平気……と言いたいところですが、やっぱりちょっと寒いです」


 首元の大きく開いたニットワンピースを着た陽毬は、そう言って両手を擦り合わせた。こうして素直に要望を伝えてくれるようになったことも、ささやかだけれど偉大な進歩である。

 おれはすっ飛んで部屋に戻ると、ふかふかの毛布を持って陽毬の元に戻った。そっと肩にかけてやると、陽毬が毛布を広げて悪戯っぽく笑う。


「ねえ、薙くんも一緒に入りましょう。くっついた方が暖かいですよ」


 ……やはり陽毬は、天使の顔をしてとんでもない小悪魔である。

 そんな魅力的な誘惑に抗えるはずもなく、おれはいそいそと毛布に包まった。陽毬の身体がすっぽりと腕の中に収まる。すりすりと甘えるように胸に頬擦りをされて、ふつふつと欲が高まっていくのがわかった。

 ――今すぐ目の前のうなじに噛みついて、血を飲みたい。

 そんなおれの欲望を察知したのか、顔を上げた陽毬がにっこり笑う。


「ね。飲んでください」

「……はい。じゃあお言葉に甘えて、いただきます」


 おれはそっと陽毬の首に牙を立てると、甘ったるい血をゆっくりと啜る。

 おれは彼女の血を飲むことに、以前ほどの罪悪感を抱かなくなっていた。もちろん痛がらせるのは本意ではないけれど、陽毬が嫌ではないのならそれでいい。

 唇を離すと、相変わらず陽毬はうっとりした表情でこちらを見ていた。誰かに必要とされたい欲求は相変わらずなのだろうか。「嬉しそうだね……」と言うと、陽毬は「はい!」と明るく頷いた。


「わたしの血に夢中になってる薙くんを見るのが好きなんです。もしかするとこれ、支配欲なのかもしれませんね」

「それ、ちょっと怖いよ……陽毬ってもしかして隠れS?」

「かも、しれません。でも、いい子じゃなくてもいいんですよね?」


 おっしゃる通り。おれはちょっぴりSっ気のある陽毬もとても可愛いと思う。陽毬のような女王様になら、支配されるのも悪くはない。

 優等生じゃなくても、天使じゃなくてもいい。今おれのそばにいる、一番ヶ瀬陽毬が好きだ。


「ねえ、もうちょっといかがですか?」

「……じゃあ、いただきます」


 そう言って、彼女の頰を両手で包み込んだ。意外なおれの動きに、陽毬は驚いたように瞬きをする。

 ゆっくりと顔を近付けていくと、陽毬の長い睫毛がふるりと震えて、瞼が下りる。嫌がられないのを確認してから、桃色の柔らかな唇に、自らのそれをゆっくりと押しつけた。

 触れ合っていたのは一瞬のことだったけれど、信じられないくらいに恥ずかしかった。唇を軽く合わせるだけだというのに、血を飲むよりも照れる。至近距離にある陽毬の顔も、赤く染まっていた。


「……そ、そっちなんですね……」

「……うん。ご、ごめん……ちゃんと確認してからの方がよかったかな……」

「い、いえ……謝らないでください……」


 謝るのが不適切ならば、何を言えばいいのだろうか。おれは少し考えた後、陽毬の顔を覗き込んで、まっすぐに今の気持ちを告げた。


「好きだよ、陽毬」


 こういうときにロマンチックな愛の言葉のひとつでも囁ければいいのだが、あいにくそんな語彙は待ち合わせていなかった。

 ただぎゅっと抱きしめて、「好きだ」と馬鹿みたいに繰り返す。この想いを伝えるべき言葉を、おれは他に持たないのだ。


「わたしも、大好き」


 そんな単純なおれの愛の言葉にも、陽毬は心底幸せそうに微笑んでくれる。そんな顔を見ていると、もっともっとキスがしたくなる。

 背伸びをしておれの耳に唇を寄せた彼女は、「……ね、薙くん」と小さな声で囁いた。


「ごちそうさま、が聞こえません」


 ……こんなにも誘惑上手な女の子は、やっぱりただの天使ではない。

 ねだるように目を閉じた陽毬が可愛くて、おれの頰はみっともなく緩む。未だぎこちない二度目のキスでは、ちっとも満足できない。欲深いおれは、いつまでたっても彼女に「ごちそうさま」と言えなかった。




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