1.自分の前世は悪魔だったので、人殺しを再開することにしました
ブリッジ状態で宙に浮く。
逆さまな通行人が通り過ぎる。小さく見えるほど遠く、ぼやけるほど脳に血がのぼっている。
排気ガスで汚れた路地裏。
曇り空の下、魔法使い見習いの腕章をつけた少年三人は灰色のワンピース姿の少女を奇怪な体勢で浮かせていた。
彼らも彼女の意識が覚醒するまでは良かった。
彼女は人間で、灰色のワンピースは孤児の象徴。おまけに痩せっぽち。この世界の底辺そのもの。彼女もその自覚があったのか、猫背で俯きながらとぼとぼと歩いていた。
魔力のない人間を痛ぶるのはカエルを棒で殴るのと同じこと。非力なカエルの間抜け顔を見るのは誰だって面白いはずだ。
ただこれが飢えた獣であった時の恐ろしさを、若いだけが取り柄の彼らには知りようもなかった。
通行人が溶けて渦を巻く。サイケな坩堝から黒い煙が噴き出し、人の上半身を形作る。
ハエが飛ぶ不愉快な低音を響かせながら、黒いそれは自身の両手で肋骨を開いて、見せた。
それは鮮明な景色だった。
カーキ色の軍服で収容所の巡回をしていたのは自分だった。
発狂した後の呆然とした眼差し。鉄格子を掴んで懇願する。妄想の婚約者と過ごして自我を保つカオス。
自分の足取りは早く、目当ての場所までひたすら進行した。
殴打の音。鈍くて重い肉の音の正体を見る。
収容者を殴りつける同胞に近づき、銃口を突きつけ、警告もせず撃った。
土砂崩れのように半身から倒れ込む兵士。ぶしゃり、と返り血を浴びた収容者は、自分の体の上の死体を唖然として見た。彼の頭は吹き飛び、脳みそが飛び散っていた。
そして自分はその日、六人の同胞を撃ち殺した。
血飛沫を顔中にへばり付けた自分の姿に思わず声が漏れた。
それに気がついた三人は顔を見合わせた。
「こいつ何か言ってるぞ」
ニキビ面のノッポが言うと、太っちょが鼻をほじりながらニヤリと笑う。
「俺が行ってくるよ」
度胸試しのつもりであった。それ以上でもそれ以下でもない。
「ついでに溶解魔法もかけてくるぜ」
そしたらゴム人間のようにグニャグニャになる。骨があって固い体よりも空中で変容する様はさぞ面白いはずだ。
仲間の手前、カッコつけた歩き方で太っちょは正面に立つ。
乾いて傷だらけの唇がかすかに動いている。そしてそれがただのうわ言ではなく、言葉であることに勘づいた。
太っちょは怪訝な顔で、耳を寄せた。
地獄の底から絞り出したような声。明確な意味を持った息。
——ファック。
舌を伸ばして、太っちょの耳の軟骨部分を引き寄せ、噛み千切る。
痛みに絶叫し、耳元を押さえる。豚のような甲高い悲鳴にたじろいだのか、魔法が解け、支えを失った体が落ちる。
身を翻して着地を決め、俊敏な動きで太っちょに狙いを定めた。
前傾姿勢の太っちょの後頭部を押さえつけ、膝を顔面にめり込ませる。鼻はしっかりと凹み、とてつもなく嫌な音が響いた。
倒れた太っちょ。無惨に潰れた顔面。
ヒッと、息を飲み杖を構えるニキビ面と金髪ボーイを視界の隅に捉える。
重心を大きく下にずらし、踏み込んだ足をバネに飛びかかる。
目の前を飛んでくる彼女は肉食獣。ふたりは身動き取れずに目線だけを動かす。
彼女は両者の顔面を手のひらに収めると、飛びかかった勢いでふたりを押し倒し、何の躊躇いも見せずに、後頭部をアスファルトに叩きつけた。
手のひらと膝にまとわりついた血。手の汚れを布地で乱雑に拭って立ち上がる。
重傷の三人の呻き声。太っちょの腕が毛虫のように道を這いずって杖を探す。
指先に引っかかった杖を彼女は蹴り飛ばし、揚々と路地裏から表通りへ出て行く。
ざわめくヒエラルヒーの中間層。先刻まで彼らに対して俯いて歩くことで許しを乞うた。
今やその堂々たる出立ちと風格。底辺のワンピースが勲章つきの軍服へと孵化したような不気味さだった。
そして彼女もかつての存在に羽化したのだ。
ブレイン(ハンド)ウォッシュ 松原レオン @R2310
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