第53話:瀬戸際

 不可視の覆いを、よほど信頼していたようだ。刺客はこちらの反撃に、全く応じられなかった。

 武器を握っていよう手首に、ワンゴが噛み付く。止まった脚へ、俺のサーベルが突き刺さる。


「くうぅっ!」


 呻いて、刺客は膝を突く。絹のごとき布を取り去れば、中身は三眼人だった。ニクと共に地下牢へ閉じ込めた、あの男だ。

 したたと血潮の垂れる手から、細い短剣が滑り落ちた。


「なぜ気付いた……」


 当人の信じる通り、途中までは全く姿が見えなかった。

 今朝、ギョドの天幕から持ち帰った帯。その上を踏み越えた途端、宙から湧き出るように見えた。そうなってしまえば、単に布を被った妙な男だったが。


「さて、なぜだろうな。そんなことより、狙いはロタか。それとも俺か」

「薄汚いハンブルに決まっている! お前ごときが邪魔をしなければ、陛下の御手をここまで煩わせることはなかったのだ!」


 憎々しげに、唾を飛ばす。信頼を受けた任務の失敗に、よほど焦っているらしい。自身が皇帝の忠実な部下と、大声で自白してくれた。

 男を縛り、不可視の布をワンゴにかけてみる。穴は空いたが、まだ能力は失われていない。


「ロタ。なぜかここに、八人種の宝物がある。皇帝陛下の部下と名乗った男が、どうしてこんな物を持っている?」


 階下にも状況が分かるよう、わざとらしく声を高くした。求めを行うべきロタを見つめて。

 皇帝とすれば、一眼の村モーノで奪われたはずの物。それがなぜ刺客の手にあるか、理解できまい。さて、どう答えるのか。


「ディランド、聞こえたでしょう? 聖殿の宝物を奪ったのが誰か、私たちは知っている。出来ればあなた自身の口から、説明してほしいのだけど」


 ロタの言葉に嘘はない。後ろめたくはあろうが、真実を明らかにするには告白の順番がある。

 俺の視線からそこまで読み取れはすまいが、彼女は正しく目的に沿って皇帝に問うた。

 それでも水の都ワタンの住人たちが、先祖の誇りと目前の食料と、どちらに重きを置くかは分からないけれど。


「不可視の覆いをギョドが?」


 昨夜の工作が食料にだけでなかったと、すぐさま察したようだ。しかし続く声は、なかなか出てこない。

 それだけで刺し殺せそうな視線が、魚人の司祭に突き刺さる。慌てふためくギョドに、同族たちもあさってを向いて知らぬふりだ。


「……なるほど、理解した。我が盟友ロタよ、昨夜は麦だけでなく、ギョドにまで砂を撒いたらしい。寝返らせ、芝居を打たせるとは、知恵の働くことだ」


 日和見の魚人が、皇帝を裏切った。その上でロタによる皇帝を貶める筋書きに乗った。たしかにそれで、一応の辻褄は合う。

 弾道を見極める眼に負けず劣らず、頭の回転も大したものだ。


「この期に及んで、あなたはまだそんなことを。いえそんなあなただから、こんな計略を実行したのでしょうけど」


 ロタの声は語勢と同じく、さほど強いものでない。ただし呆れたと、明らかに冷えていた。

 それだけでなく、歪められた眉も。なにより細められた黒い瞳が。

 普段、暖かな表情しか見たことのない住人たちは、ざわざわと騒ぐ。


「いいわ、私が真実を話します。なにもかも、私も公明正大なわけじゃない。それを誰がどう受け止めても、仕方がない」

「なにをバカな、真実はもう露呈した。ロタ、お前が諸悪の根源だ。認めたまえ」


 完全でないと言え、皇帝を疑う証拠らしき物が出た。ゆえにこれ以上は不利と判じたか、ロタの発言は遮られた。


「ギョド、貴様もだ。なにを餌にされたか知らぬが、愚かなことよ」

「へ、陛下。あたしはそんな――」

「黙れ。今の貴様・・・・に、どれほどの価値がある。貴様がなにを言ったとして、どうして我れが聞いてやれる」


 皇帝の声が、より硬く鋭く研ぎ澄まされる。もはやロタに寝返る道もなく、ギョドの喉が目に見えてうねった。


「かしこまりましてございます――」


 うなだれた魚人は、ぶつぶつとなにごとか呟く。保身に至る計算式なのか、そんなものがあると思えないが。


「ディランド、見苦しい圧力はやめて。誰もが納得の行く国を私は作りたいの。とても難しいと思うけど、理想に向けて進み続ける。人を切り捨てて当然というあなたの態度は、論外だわ」

「お前の理想が正しいとは、誰が証明するのだ?」


 一歩も譲らぬ皇帝に、ロタは大きくため息を吐いた。どうしてそこまでと、否定の方向へ振る首も一度で済まない。

 彼女が次の言葉を用意するのに、僅かながらの暇がかかった。

 そのせいと言っては酷だが、思わぬ方向から声が上がる。


「ロタさま。あなたの仰る理想とやらを、あたしが証明して差し上げましょう」

「ギョド?」


 クッ。クッ。と、銛のような短い槍を、魚人の司祭は両手に抱えた。それをどうするのかと考える間もなく、穂先が唸る。


「ぐうっ……」

「チキ!」


 返しの付いた槍が、既に流血している胸に突き刺さった。いやほんの先だけで、それ自体は命にどうこうないけれども。

 チキはそれでも力なく、両脇を抱えられて為すがままだ。


「あたしは陛下に望みを果たしていただきたい。しかしロタさまはお認めにならない。そこでこの男の出番です、こ奴の理想は生きておることでしょうなあ」

「ロタ、さま……」


 槍が抜かれ、またすぐ隣へ。虚ろだったチキの顔に、苦痛という名の感情が戻る。


「さあ、さあ。ロタさま、あなたの理想を取るか。こ奴の理想を取るか。あたしには、どちらかしかないように思えますが?」

「ギョド、思い留まるなら今のうちです。おやめなさい……!」


 炎の弓ではチキをも巻き込み、ワンゴが走ってさえ間に合わぬ距離。やめろと、押し止める風にロタの手が向けられた。

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