第51話:嘘吐き
「狗人たちは?」
廊下の最奥まで、およそ三十間。ちょうど中間に、いわゆる
途中、振り返る。すると少年は、口を開きかけて閉じるのを二度繰り返した。
「それほどか」
「……いえ、狗人もですが」
不穏な語勢に、聞くのではなかったかと迷う。しかし戦況を知らずにおく選択もない。隣のロタを見れば、ぎゅっと唇を結んで歩く方向だけを見ていた。
「も、とは?」
「ええと、狗人が十人ちょっと。一眼人と鼠人が、合わせて十人くらい倒れました。でも角鹿人は今ごろ――」
「分かった。本当にお前が無事で良かった」
城壁の外は、損害を出しつつも撤退したようだ。
しかし角鹿人は、皇帝の兵力を真正面から受け止めてくれた。進む者と防ぐ者が居れば、どちらかが壊滅するしかない。
「それに彼らは頑丈だ。ロタの癒しが間に合う可能性も高い」
「すみません。ボク、なにも出来なくて」
「そんなことはない。約束通り、知らせてくれた」
ワンゴの謝罪は、おそらくロタに向けられた。しかし横取りして、頭を撫でてやった。
そもそも十四歳の少年が、こんな場所へ居るのが間違っている。それにまだ、希望を捨てたものでない。戦いの現場へ居る者の目に、戦力の二割も削られれば壊滅と映るものだ。
二割くらいどうでもいい。とはもちろん言わないが、みんな死んでしまったと悲観するにも早い。
実際いくら顔を覗かせても、俺の目に正門外の様子は見えない。そこへ角鹿人の背中があるために。
「ロタさま、悪いのですか」
「ロタさま、勝てるのですか」
「ロタさま。ハンブルをお連れになるのは」
二階を歩けば二、三歩ごとに声をかけられる。すぐ傍まで戦いが迫るのは明白のはずだが、いまだ無造作に弓をぶら下げた民たちが。
中には座りこみ、矢筒まで放り投げた者も居る。
「いつも正しい答えを、か……」
この民たちが、芙蓉子の言う世間さまだ。報告書に読むのと己の耳で聞くのとは、やはり違う。
そういうものと理解していても、ロタの気持ちに思いが向く。すると誰にも聞こえぬよう、呟くくらいはしてしまう。
けれど、彼女は違った。
「ええ、負けない。きっと皇帝と話をつけるわ。そのために、エッジの力が必要なの」
勇ましく笑むロタを、眩しいと思う。
正門から二十間辺りに、太い柱がある。俺はそこに身を隠し、炎の弓を入り口に向けた。
ロタとワンゴも倣って、小さく身を縮めた。皇帝がいつ姿を見せるか目の離せない俺に構わず、二人はひそひそと話す。
「一つ疑問なんですが」
「なあに?」
「皇帝をここで動けなくして、その後どうするんですか?」
「それはずっと言っている通りよ。森の民と砂の民とどちらが上でもなく、みんなが納得する方向を話し合うの」
聞こえないふりで、門にだけ目を向ける。角鹿人の肩越しにも、戦闘の気配が見え始めた。
「いえ、その前です。話し合うには、捕まえなきゃいけませんよね。どうやって? 皇帝だけ動けなくても、他の三眼人や蜥蜴人は元気いっぱいなのでは」
「それは……」
二人の視線が俺の背を刺す。後ろめたさが、その気配を余計に強めて感じる。
「エッジには考えがあるのよ。まだ聞いてないのは、まだ知らなくてもいいってこと」
「ですか。ロタさまがそう仰るなら、ボクに文句はありませんけど」
いよいよ、自らの身体で正門を塞ぐ角鹿人が動き始めた。盾を押し出し、棍棒を振り下ろす。
一撃で何枚もの石畳が粉砕される。だが剛力の盾なら、容易に受け止めるだろう。どころか触れたのを幸い、角鹿人もろとも押し込んでくるかもだ。
炎の弓の取っ手が、汗でぬるぬると滑る気がした。
「ロタ。俺はまた、きみに嘘を吐いている」
「嘘? また、ってどういうこと」
「この争いの犠牲を、最小限にする約束。これはもう破られた」
このまま黙って実行したほうがいい。結果を求めるなら間違いないのに、俺の口は告白を選んだ。
たとえ最良の未来を手渡せても、後悔を残しては意味がない。事実を知らぬまま結果を得るのは嫌だと、彼女は言った。
「そんなこと。あなたは精一杯にやってくれているわ」
「庇ってくれるのはありがたいが、まあ今はいい。それよりもう一つ」
正門を塞ぐ角鹿人は二人。門の外へ居る者の背中が見えなくなった。
「この弓を次に撃つ時、俺は皇帝陛下を殺すつもりだ。死ぬかも、ではなく確実にな」
「……なぜ?」
「ワンゴの言った通りだ。頭だけ動けなくしても、手足に暴れられてはどうも出来ん。頭を潰す以外に、もはや方法がない」
踏み越えてくるのは、白い盾を持った蜥蜴人とばかり考えていた。
けれど現実に現れたのは、野太刀を携えた三眼人。しかも俺が唯一、名を知る男。
「蜥蜴人と蠍人は、ディランドに同調しているだけ。当人以外の三眼人も同じ、と言うのね」
「そうだ。乗り手を失った馬ならば、宥めようがある。これは薄汚いハンブルが勝手にやること。きみは知らず、惜しい男を亡くしたと悲しめばいい」
これでまたハンブルという種は軽蔑されよう。だが知ったことか。
ロタという強く美しい女性と、その人の愛するこの国を守りたい。これ以外にやりたいことは、今の俺になかった。
「いいえ。私はエッジを信じる」
「なに?」
すっ、と立ち上がる気配が。それは迷いなく俺の背中に手を触れ、次にきっと額を触れさせた。
「やっぱり私には、戦いのことが分からないわ。だからあなたが最善と考えた方法を支持します。それも出来なくて、どうして帝国を導けると言うの」
「ロタ……」
俺が背負い込むと言った穢れを、いいや自分が呑み込むと。どうも彼女は強情で、返答に困らされる。
一時はあれほど芙蓉子に似ていると思ったのに、こういうところは正反対だ。
フッ、と笑いかけたのも束の間。問答を続ける猶予はなくなった。
最後の砦。門番を請け負った角鹿人が、前のめりに崩れ落ちる。
「さあ我が盟友よ、どこに隠れた!」
先陣を切り、俺なら絶対に相手を避ける巨漢を討ち果たしたのは、皇帝自身。血に濡れた野太刀を肩へ担ぎ、三つの眼を忙しく動かす。
見つかる前に撃つ。
ロタの言い分はともかく、俺の手は炎の弓の取っ手を引いた。
燻し銀と言える発射音を、なんだか気に入りかけている。落雷めいた着弾は、やけに派手で厄介だが。
「そこに居たか、
避けた。
誰かに守られるでなく、自ずと盾で防ぐでなく。祖国の小銃となんら変わらぬ炎の弾を、皇帝は避けた。
撃ってからでは間に合わない。先に俺を見つけ、銃の向く先から弾道を読んだとしか思えん。
「くそ……!」
まだだ。
まだなにか出来ることはあるはずだ。事前の戦略を失ったからと、目前の戦術まで放棄してはならない。
絶対に負けられぬ戦いが、ここにあるのだ。
そうだ、と一つ思い付いた。戦えない者をチキが守る、謁見室の奥へ目を向けた。しかしさすがに鬼畜な所業と思える。
案を放棄し、皇帝へと視線を戻しかけた。
「陛下、お待ち申し上げましたぞ!」
謁見室の扉が、向こう側から開いた。常には卑屈に篭った声の男が、これでもかと叫ぶ。
「ギョドがどうして!」
「さあな」
そこに居たのは魚人の司祭だけでなかった。見た目もさまざまな同族が、見えるだけで十数人。
さらには胸を赤く染めたチキと、拘束のないニクの姿もあった。
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