第50話:貪欲に戦う

 おそらく皇帝は、まだ気付いていない。自身を連れ去ろうとする意志に。

 城壁から十五間ほどへ立ち、降り注ぐ矢を自ら切り払う。


「ここまで先陣切って戦うとは、見上げたものだ」


 俺の知る将の多くは、指令室や艦長室の柔らかい椅子に座り込むもの。最前線に立てとは言わないが、その部屋から精神さえも出そうとしない。

 試しに炎の弓を向けてみる。が、逃げない。直衛の三眼人が二人、角鹿人の持っていた巨大な盾で目隠しをした。


「エッジ、なにを感心してるんです。このまま居ていいんですか、ロタさまが危なくないですか」


 有能な少年の忠告を裏付けるように、また城壁が揺れる。

 落とし格子の上へ立つ一眼人が、煮え滾る大鍋を傾けた。一度目と同じく、茹で蜥蜴を試みるのだ。


「言う通りだ。しかし皇帝誘拐の成否を見届けねばな」

「そんなのボクが知らせに行きます。早く城へ!」

「――分かった頼む。ロタ、行こう」

「エッジが言うなら、どこへでも」


 しかしまた、不発に終わる。格子に取り付くのは、たった二人。残るも退くも自在に出来る。

 数歩を離れ、また機会を伺う蜥蜴人がこちらを見上げた。ほんの一瞬、笑ったように思う。俺でなく、手を握ったロタのほうを見たのかもしれない。


「伏兵だ、南から狗人が!」


 気付かれた。警戒の声に、三眼人が通りを塞ぎにかかる。野太刀を掲げて待つさまは、巨大な獣が口を開けたようだ。

 それでも狗人たちは、僅かも勢いを緩めない。むしろ速度を上げ、突進していく。


「ワンゴ、頼む!」

「早く!」


 あと一分。いや二十秒も見ていれば、結果まで分かったろう。しかし成功ならば良し、失敗だったときには取り返しがつかない。

 ロタの手を引き、階段を駆け下りる。すると爆発にも似た轟音が鳴り、目前を瓦礫が吹き飛んでいった。多くは砕けた木材で、金属の板も手裏剣のごとく。


「ロタ!」


 彼女を引き寄せ、腕の中へ隠す。この女性になにかあれば、多くの民が明日を失う。絶対に守らねばならなかった。


「怪我はないな?」

「え……ええ」


 音がやみ、引き離した彼女を眺める。上から下まで、どうやら傷はない。

 耳と目を塞いでいるのは、破壊音に驚いたのだろう。あれだけ持ち堪えた落とし格子だ、断末魔は凄まじいものだった。


「大丈夫だ。角鹿人は、そう簡単に通してくれんよ」


 瞑った眼を覗き込み、頬を撫でる。と、おそるおそる、まぶたが開いた。


「わ、私も大丈夫。あなただけが危険な目に遭うより、私も同じになるほうがいい」

「ん? きみに怪我をされると困る」


 どういう意味だろう。恐怖で混乱しているらしい。

 こんな時、四たび副官となった中佐どののようにやれればと思う。甘い風貌を、爽やかに微笑ます。素地が違い過ぎて、試す気にもならないが。


「エッジ、行きましょう。私たちは負けられないの」

「あ、ああ。もちろんだ」


 ふうっと大きく息を吐いたロタの様子が、突如変わった。顔に怯えは残るものの、俺の手を引いて進む。

 急にどうした? と護衛の男に視線で尋ねたが、やはり首をひねるだけだった。


「大丈夫よ。狗人たちが、ディランドを引き摺ってきてくれるわ」


 扉のない正門まで、およそ一町いっちょう(約九十メートル)。そこかしこに流木による防柵バリケードの配された中を走り抜けた。

 つい先ほど、ひどく呼吸を乱していたのが嘘のようだ。ロタは平然と城へ入り、入り口の広間ホールを見下ろす二階を眺めた。


 吹き抜けの壁に、ぐるりと通路が巡る。それはずっと奥へ、謁見室まで続く頭上を全て。

 そこには弓を携えた人々が待機している。ロタの姿を見て、緊張に顔色を改めた。彼らは戦うことを望まず、元兵士でもない。ただの住人たちだ。


 城壁を突破されたなら、ロタを謁見室へ連れていく手筈だ。俺は二階の通路から、正門を通ろうとする皇帝を狙う。さしもの剛力の盾と言え、分厚い城までは崩せまい。


「ロタ、きみはチキのところへ」


 二段構えの二段目。この作戦が潰えれば、その後はない。ゆえに彼女は、安全な場所に居てもらわなければ。

 当人と護衛の二人に告げたが、思いもよらぬ答えが返った。


「嫌」


 意外が過ぎ、思わず立ち止まった。二階への階段に向かう彼女を、俺が引き止めた格好だ。


「ロタ?」

「嫌なの。私もここへ残ります」

「いや、きみに万一のことがあっては」

「その万に一つは、エッジにないの?」


 前へ向いたまま、振り返ろうとしない。表情を見せず、彼女は平坦に問う。


「ない――とは、あり得んな」

「それなら残ります。私の見えないところで、あなたが傷付く。そんな不安を抱えていたら、正気で居られないわ」


 ふるふると小さく、ロタの手は震えていた。どうして彼女は、こんなことを言い出したか。

 いかに俺が阿呆でも、察せぬほうが難しい。


「あ、いや……」

「それだけ」

「それだけ?」

「あなたの傍に居る。他には決して、我がままを言わないから。だからこれだけは、聞き入れてください」


 どうしたものか。尋ねるのもだらしないが、護衛の二人は難しい顔で目を背けた。

 彼女の気持ちは――いや、もちろん光栄ではある。だからと「では居ろ」と安易に言える話でない。こうする間にも、争いの音が近付いた。


「エッジ、ロタさま!」


 正門からワンゴの声が走り込む。聞かずとも分かる、狗人たちは失敗した。


「ワンゴ、お前が無事で良かった」

「えっ? いや皇帝がこっちへ」

「分かっている。自分の足でだろう?」


 こちらを向かないロタに怪訝な目を向けつつ、ワンゴは頷いた。


「ロタ、もう時間がない。二階へ行こう、迎え討つんだ」

「ええと……」

「きみの神の御足スタンプだったか。あれが必要かもしれん」


 卑怯な言い逃れと自覚していた。だが混乱のさなか、これ以上を答えるのは俺に難しい。

 それでもロタは、潤んだ瞳で振り返った。


「ええ、なんでもやるわ。あなたも、みんなも、私はなに一つ譲ってあげられない。欲張りなの」


 帝国の頂点に立つ司祭長で、大きな黒い泉を持つ女性。

 そこに浮かんだ強い意志が、どこへ向いたものか。これ以上に問う必要を、俺は持たなかった。

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