第49話:剛力と神速と

 城壁の門をくぐった直後、格子が落とされた。この国には生えていない、腕ほども太い木材で組まれたものだ。そこらじゅうを金属で補強され、いかにも重く堅固そうな。

 背丈の二倍、幅は自動車が並べるほど。そんな物が、後退りする目の前へ落ちた。


 ――ハンブルだから、か?

 と疑いたくもなる。以前は向こうの通りで、袋叩きに遭ったくらいだ。

 いや。角鹿人と並び、炎の弓を連射しながらの撤退だった。あくまでもあちらの兵を入れぬための、ぎりぎりを見極めたと信じよう。


「ロタ!」


 ともあれ拘る暇もない。城壁にへばりつく階段を駆け、壁外を見下ろせる位置へ。そこに彼女の姿もあった。胸を押さえてへたり込み、乱れた息が苦しそうではあるが。


 壁上には防衛に置いていた弓隊と、狗人の弓隊。それにロタの護衛、水を飲ませようとするワンゴも居る。

 少年を除く狗人は十八人だったが、気付かぬふりをした。


「ロタさまは無事ですよ、かすり傷もありません」

「良かった、八つ裂きにされずに済む」


 まだ声の出ないロタに代わって、ワンゴが答えた。彼女も無理に笑う素振りを見せつつ、頷いて見せる。

 城内のチキは、戦えない住人たちを守る使命に燃えているはず。


「焼き殺されるのかもしれんな」

「なんの話です?」

「なんでもない。それよりロタ、第三の笛を」


 こんな時に、我ながらくだらない。それよりも笛だ、足を緩めた皇帝が城壁前の広場に差し掛かった。

 長い距離を一気に退却したことで、あちらの列は細く伸び切っている。分断をするのに、絶好の機会だ。


「ロタさま、ボクが伝えてきましょうか?」


 角鹿人の司祭を探すと、城門を守る最後尾に居た。俺以外なら、ワンゴでも護衛でも伝令は誰でもいい。

 角笛を吹けと伝え、遠目にもロタが手を上げるなりすれば十分。しかし彼女は首を横に振る。


「あ、ありがとう。でも私が言います、自分の運命から逃げるなんて」

「ええ? そんな思い詰めるようなことじゃないですよ」

「うん。でも本当に大丈夫」


 なぜか、ワンゴと話す目が俺に向いた。よく分からないが少年の言う通りと頷いたのに、彼女はふらふらと立ち上がる。


「だ、第三の笛を!」


 強情に発したにも関わらず、意外によく通った。角笛人の司祭が直ちに角笛を取り出し、吹き鳴らす。


「グモゥッ!」


 街のどこか。遠くない路地から、牛に似た鳴き声が聞こえた。いやどうやら、これが共鳴した角笛の音色だ。

 さほど大きくなく、皇帝も意識した様子がなかった。こちらの弓がひっきりなしで、それどころでもなかろう。


 早く。

 焦る気持ちを宥め、砂岩を握る。俺が見つめるのは皇帝の背後。城門前の広場に最も近い枝道だ。

 鳴き声から十と少しを数える間に、二十人以上も通過した。だがようやく、求めていた壁が左右から伸びる。


「なんだ、壁が!」

「陛下! 陛下!」


 分断された者たちが慌てて取り付く。それは開閉不能となった城の門扉。長さの足りぬ分、各戸の玄関を足してもいる。

 継ぎ接ぎでも、数十秒の目隠しにはなんら問題ない。剛力の盾という異例を除けば。


 即席の壁を支えるのは、遊撃に散った鼠人。八人種で一番に小柄だが、角鹿人に次ぐ怪力と聞いた。

 触れ込みに偽りはないらしく、後続の三眼人と蜥蜴人が押し寄せても微動だにしない。


 ただし壁のこちら側、鼠人の背中は無防備だ。それを守るのは、やはり遊撃となった一眼人。盾と剣とを巧みに使い、近付けぬことにだけ努めた。

 両者とも各々の村からやって来た、働き盛り。危険の高い役目と知って、むしろやらせろと志願した。「なんなら皇帝をやってしまってもいいんだろう?」と、強がる言葉も頼もしく。


「構うな、押し通れ!」


 広場には、百人強の兵士が皇帝を守った。予定よりも少し多いが、問題はないはず。しかしいくら矢を射かけても、防御に向かぬ野太刀で叩き落とすのには呆れた。


 その戦力にどれだけ信頼を置くのか。皇帝は微塵も動揺を見せず、城壁をくぐれと指示を下した。

 応じたのは白い盾を持った蜥蜴人。二人が格子へ、二人が背後の壁へ向かう。


「まさか、こいつも砕くのか」


 長年の風雨に晒された家屋はともかく、点検を欠かさぬ落とし格子を?

 蜥蜴人は気負いなく。健康のためにちょっと走り込みを、とでも言いそうな歩調で向かって来る。


「急げ――!」


 次の一手を待ちわび、城壁に沿って北を見やる。するとそこに、期待の姿があった。

 正確には泥を巻き上げ、一人ひとりを見分けられない。しかしワンゴよりふた回りも大柄な狗人が、百人近くの一団を成して突っ込んでくる。


 機会を見計らい、弓隊も宙を舞った。このために、無駄となっても矢を放ち続けたのだ。

 再びの全方向射撃にどこまで応じられるか。兵士の視線が空へ向く隙を狙い、突撃した狗人が皇帝を拐う作戦。

 運命を定める銅鑼のごとく、剛力の盾が城壁を揺らした。

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