第46話:開戦の声

 水の都ワタンの南北を貫くのは、十間以上もの幅を誇る大通り。

 交叉する東西の通りもまた、悠々と七間の幅を持つ。そのいっぱいを使い、皇帝の列は進む。

 深い泥田のごときところと、硬い石畳と。感触の一定しない足場に馬を踏み入れられず、全員が自らの足で。

 

 それでも堂々と、サンドレア帝国の皇帝ディランドは先頭を進み、縦横の交わる広場の入り口で足を止めた。

 反対に同じく司祭長、ロタの姿を認めたからだ。


「これはこれは司祭長どの。もう何年も久しい気分だ」

「私はもう会いたくない気分だったわ、皇帝陛下」


 皇帝の後ろには三眼人の部隊がひしめく。背に差した野太刀が、抜きもせずに重々しい威圧感を釀す。


 ロタの周囲には、森の民の村から集まった働き盛り。その手には大地を興す鍬を、しぶとい雑草を刈る鎌を、実りの皮剥ぐ連接棍棒フレイルを。

 太陽の下。汗と砂の色に汚れた農具が、誰もよく似合う。


「ロタ。あなた自身はともかく、引き連れた者が物々しいな」

「それはお互いさまでしょう。これみよがしの大きな刃を見て、私になにかあってはと守ってくれるのよ」


 皇帝自身も野太刀を背負った。ロタの手には戦棍が。互いが互いを物騒だと、白々しく当て付ける。

 皇帝とすれば部下を引き連れて元の居城へ向かっているだけだろうし、ロタは言う通りに進軍としか見えないと言い分が立つ。


「なるほど了見はさておき、我れを通さぬはらと理解した。帝国の天地を統べる、この我れをだ。するともしや、昨夜の工作もあなたの指図かと疑いたくなるのだが? たとえばまた、そこの薄汚い男を使ったとか」


 拳を振り下ろすきっかけを。「もはや我慢ならぬ、非礼はそちらだ」と言える機会を皇帝は欲している。

 その材料として、指さされたのは俺。


「薄汚いとは、まさかエッジのことを? ええ、ハンブルの罪は忘れがたいわ。でもいつまでも、関わっていない人まで見下すなんて。彼らのもたらす品やお金がなければ、もう私たちの暮らしは成り立たないのよ」


 対するロタは「おかしなことばかり言って話にならない。代わりに誰か」と、蜥蜴人の司祭を交渉役に立たせたい。残念ながら今のところ、その姿さえ見えないけれど。

 冷静に皇帝の挑発を受け流し続けねばならなかった。


「おお我が盟友よ、正気か?」


 気遣わしげに、皇帝の眉尻が下がった。しかし口角は上がる。

 ロタは至極淡々と、事実を述べた。だが使えると判じたのだろう、皇帝は左右へ振り返り「聞いたか」と同意を促す。


「サンドラの御使いロタは、ハンブルを許せと仰せだ。我ら全員の父を、祖父を、友人を亡きものにした下劣な人種を」

「そんなこと言っていない。ハンブルだから必ず悪とは限らないというだけ。勇猛果敢な三眼人にも、あなたのようなコソ泥が居るようにね」


 やめろ、俺を庇うな。戦いにならない限り、皇帝が俺個人に危害を加えることはない。戦いが始まってしまえば、ハンブルも糞も関係ない。

 意味がないと伝えたくとも、口を挟むことが出来なかった。


「ロタ。ハンブルを持ち上げ、三眼人と我れを貶めるか。それがどれほどの侮辱か、理解しているのだろうな」

「侮辱と受け取るのがおかしいと言っているの。忘れられない恨みがあるのは仕方がない。でもディランド、あなたは昔話に聞いただけでしょう。エッジだって、この国の諍いなんか知らずに来たの」


 やめろ。きみを守ると使命に燃えた、周りの連中を見ろ。少し後ろで出番を待つ、元兵士たちの感情を思え。

 きみのおかげで、俺がいくらか働いたのは伝わっている。けれど憎しみとは、そう安易なものでない。

 いったいロタさまはなにに拘っているのかと、不信を呼ぶだけだ。


「知らずに犯した罪は、笑って忘れよと?」

「だからエッジは、なにもしていない」


 駄目だ。今ここで戦いを始めては、ロタの守りたいものがぼやけてしまう。

 ゆっくりと皇帝の手が、自身の背に伸びていく。あれが剣を抜き取る前に、風向きを変えなくては。


「どうもお呼びでないとは分かっているが、そう何度も噂されては黙っておれん。少々口を挟ませてもらおう」


 かぶったローブを脱ぎ捨て、完全に顔を表した。一歩ずつ踏みしめるように、ゆっくりとロタの隣へ向かう。


「いや構わん、本来ならば不敬として首を落とすところだが。火種の思うところを聞けば、どちらが正しいか理解も早かろう」

「寛大なお言葉を感謝する、皇帝陛下」


 どこへ足を止めるべきだろう。考えたのは一瞬で「落ち着け、俺に構うな」とロタに囁き、彼女を隠すように直前へ立った。

 これで森の民からは、ロタを蔑ろにする身の程知らずと。砂の民からは、場違いにもほどがある道化者と。相応しい評価が定まったに違いない。


「ここに一つ、八人種の宝物がある。よろしければこの場で、陛下にお返ししようと思う」

「ほう? ロタの悪事を暴いてくれようと言うのか」


 肩にかけた紐を外し、細長い宝物を覆う布に触れる。固い結び目を解く間に、ロタには本来の目的を思い出してもらわねば。

 一触即発の場に、思考が麻痺するのはよくあることだ。しかしだからと放りっぱなしにはさせられない。


「それは違う。これは一眼の村モーノへ忍び込んだ、賊の持っていた物。その男は三眼人で、陛下の言い分ではロタが盗んだはずの品を持っていた」


 途中までの肩代わりはしてやれる。だが最後の意思決定は、ロタがしなくては。そうでなければ森の民は、なんのために戦うのか分からなくなる。


「異なことを。それが事実として、ロタの狂言というもの。どうであれ、返すと言うならここまで持参せよ」

「いや、それには及ばない。陛下、あなたならこれがなにかお分かりでしょう」


 四尺足らずの細長い、鉈に似たなにか。本当に鉈ならば、柄に当たる部分が長すぎる。さらにその中途には、僅かに前後する取っ手があった。


「無論。それこそ我が三眼人の宝物、炎の弓だ。司祭長ロタの企てにより失われ、我れの頭痛の種であり続けた」

「ほう、やはりそう仰るのか」

「やはりもなにも、これ以外の真実はない」


 背中の側から、森の民の声が溢れ始めた。そんな姑息な真似を、ロタさまがするものかと。


「真実。素晴らしい言葉だ。誰もが己の吐く全て、そう出来たらと願う。けれどもなかなか、真実と信じた言葉さえ口先で既に嘘となる」

「それはたしかに。しかしどうした、我れはお前に持参せよと命じたのだ」


 剥いだ布で、炎の弓を磨いて見せた。金属のようで、岩のようで。ずしりと重いが、むしろおかげで手に馴染む。

 俺の知るくろがねとは色も手触りも違うが、俺の駆け抜けた戦場と同じ匂いがした。


「もちろんお返しする。ただその前に、一つ褒美を賜りたい」

「図々しいことを。なんだと言うのだ」

「国を預かる身として、嘘とはなにか。お答えいただきたい」


 俺の願いを皇帝は突っぱねた。それは野太刀を抜いたことで、明らかだ。当然に続く兵たちも武器を構える。


「やかましい。お前の言う小狡い嘘と、国家の計略とを天秤にかけたつもりか。我れは常に帝国のため、従う者どものために方便を用いる。そこに偽りがあって、恥じるところは欠片もない!」

「よくもまあ……」


 さすがに呆れる。嘘を嘘で塗り固め、わざわざ恥でないと口にするとは。


「ああ、俺は嘘吐きだ。生涯をかけるどころか、妻の逝く日さえ共に居なかった」

「わけの分からんことを。我れに従う者どもよ、司祭長ロタは汚らわしくもハンブルを用い、己が罪を有耶無耶に処すつもりだ」


 俺との対話に飽き飽きしたのだろう。皇帝は野太刀を掲げ、前進を示す。

 それは俺の狙い通り。この戦いを始めたのがあちらと、ここに居る誰もが目撃した。


「踏み潰せ! 望み通り肉体ごと有耶無耶にし、各々の宝物を取り戻すのだ!」


 ただし。それとは別に俺個人の怒りもある。仮にも帝を名乗る者が、どうしてこうも穢れに塗れて平気でいるのか。


「俺がこの世に我慢ならぬものは二つ。謀りと、義のなき争いだ」


 激しく打つ鼓動を宥め、炎の弓を構える。鉈の柄に当たる部分をたなごころに支え、鉈頭に見えるのは肩へ。

 息を整え、視線を照星と照門に揃える。その先には、駆け出す皇帝の姿があった。


はらわたが煮えて仕方ないのだ。鏡を覗いているようでな!」


 叫び、一拍の呼吸で取っ手を引く。使い慣れた三八式歩兵銃さんはちしきほへいじゅうの引き金よりも、少し固かった。

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