第41話:闇の交渉
「いやはや、期待されてますね」
「他に手を上げる者が居なかっただけだ」
とは、城を出てすぐの会話。まったく謙遜でなく、俺でなければ出来ない仕事ではなかった。
ただし下手な見つかり方をすれば、ほぼ確実に死ぬ。その緊張下、単独で行動できる。という条件に合致する者が、ほとんど居なかった。
「いやいや、あなたとの会話を聞いてなかったんですか? ロタさまは、エッジに期待してるんですよ。目的の達成のほうがついでで、まずは無事に帰ることを」
「なんだそれは? もちろん捕まれば計画が潰える。生還が大前提なのはたしかだが」
「やれやれ、女心の分からない人ですね」
どういう脈絡だか。芙蓉子を顧みなかった俺の耳に痛い。
「意味が分からん。お前には分かると言うのか」
「それこそですよ。どうして分からないと思うんですか」
連れ合うワンゴと共に、上流を大きく回り込んだ。宴会まっただ中の背後へ移動し岩陰で息を吐くころには、日が暮れて随分が経っていた。
なぜか少年は、機嫌を悪くしている。だからと下手を打つこともあるまいが。
「ボクの仕事は食料に砂をかける、だけでいいんですね」
「そうだ、なるべく穀物がいい」
背負う袋には、町を埋めた砂が詰め込んである。湿って重く、腐敗臭も漂い始めた物だ。
これを食料にまぶせば、明日中には腐ってしまうだろう。当然にワンゴの背中一つ分では足らないので、付近にある水か酒をかけるのでも良い。
「じゃあここで。せいぜいロタさまを悲しませないようにしてください」
「お前もな」
「はいはい」
少し音のするくらいの雨。湿った白い体毛が、やはり湿った砂の色と同化する。見送る俺の目にさえ、夜闇に埋もれる前にどこへ居るのか分からなくなった。
いざとなれば全力で逃げるように言ってある。あの脚に追いつける者は、砂の民には居ない。
むしろ危ういのは俺のほうだ。宝物を三つとも借り受けても。
腰に新しいサーベルと、遠見の筒。肩には紐を結わえた炎の弓を担ぎ、全身に不可視の覆いをかぶる。
ゆっくり。ゆっくりと、最も大きな天幕のあるほうへ進んだ。
皇帝と司祭たちの位置は、おおむね城からつかんでいた。ここまで移動する間の動きは、もちろん分からない。まあ、用があるのは一人だけだ。しかも誰より行動が読みやすい。
じっと、目指した天幕を見張る。姿を見られないと分かっていても、誰かの正面が見えるたびに胸が高鳴った。
今回は遠見の筒を頼れない。目当ての男が現れればすぐに追いかけ、機会を窺わねばならなかった。ゆえに息を潜めるのは、兵士の行き来する辺りから二十歩ほどの距離。
「来た……」
ようやく。皇帝の天幕から、目当ての男が出てきた。砂漠の冷たい雨に身体を冷やし始めて、およそ三時間が過ぎていた。
不可視の覆いが合羽を兼ねてくれるものの、歯の根が合わなくなっている。機械に油を差す心持ちで呟き、固まった肩と膝を強引に動かす。少し前の俺ならば、この時点で音を上げた。
男の後ろへ付くと、酒の臭いがひどい。自分の口へ入れるのはいいが、他人の酒臭は腹立たしいばかりだ。横っ広い身体が、上機嫌に揺れる。ぴたり三歩後ろを追っても、気付く様子はない。
見張りの兵士は巡回が居るだけで、固定された者はないようだ。男が自分に与えられた天幕へ戻るまで、その巡回とさえすれ違わなかった。
「クッ。クッ。ただ待つのも退屈なばかりだが――」
入り口の布を捲り、中へ入っていく。酒のせいか、魚臭さはない。退屈と言うわりに楽しげなのが、浮かべた妄想の低俗さを思わせる。
天幕内に灯りはなかった。しかし外の篝火に照らされ、文字を読むのでもなければ不都合ない。
「ふあぁ。やはり女を連れてくるべきだった」
小さなヒレの生えた腕を突き上げ、魚人は伸びをする。絶好の機会に俺は砂を蹴り、右の肘を取った。
寸前、金色の目玉が正確に俺を捉える。しかし口を聞く前に顎関節を押さえ込む。
「は、ハンブルがなぜ……」
首と肘と顎を極めたところで、脚も掛けた。足腰の弱いギョドは、いとも簡単に倒れる。
ほんの僅か。呻き声の可能な程度に猶予を与えると、驚くべき第一声が聞こえた。
「ほう? うまく隠れたつもりなんだが、どうして分かる」
「はっ。いやそれは」
意味を成していないらしい不可視の覆いを脇に落とす。当然にギョドが改めて驚くことはなかったが。
「心配するな、うまい話を持ってきてやった。お前の返答次第では、うまい鍋になるかもしれんが」
ぬめぬめとした肌に通用するか、一つの懸念だった。けれどもむしろ滑りにくく、いわゆる人肌よりも強力に極まっている。
「――うっ、ううっ!」
首を絞める腕に、少し力を加えた。するとギョドはじたばたと慌て、喋らせろと唸る。
「こ、交渉には応じる。話とはなんだ」
「なに、大したことじゃない。宝物の一つを譲ってほしい。ロタが持っているとか、そういう寝言は要らん」
いつでも絞め落とせる。なんなら圧し折ってもいい、と。力を加減し続けた。
これが蜥蜴人を相手なら、脅しにもならないだろう。だが戦闘に長けていないと聞く魚人の司祭は、怯えた様子を隠そうともしない。
「ある。あたしが管理しているんだ、どれでも持ってくる」
「だろうと思った。しかし自分で持ち帰る、案内してくれればな」
首肯しているつもりだろう。首に力が入って、前後に揺すられる。何度も何度も。
「そ、それだけでいいのか」
「うん? それだけでとは、他に土産までくれようと言う気か」
「あたしは死にたくない。ほ、宝物を渡したら殺す気だろう。なんでも融通するから、殺すのだけは勘弁してくれ」
呆れた男だ。裏切り者の人種と、冷たい眼で見られるのにも納得がいく。ギョドが特別なのだとしたら、偏見を詫びねばならんが。
「ではもう一つ。明日、ロタと皇帝の立場は逆転する。明らかにそうなってからでいい、魚人は俺たちの側に付け」
「寝返りか……あたしはいいが、同胞が納得しない。あたしの命以外の報酬があれば説得する」
「司祭の命にも軽重があるものだな」
また呆れたものの、俺のとやかく言うことでない。
それより報酬だ。完全に寝返ってまでくれなくとも、魚人が皇帝の戦力として機能しなくなるのは大きい。
ギョドが言い出さなくとも、宝物の次に持ちかけようとしたことだ。確実性を増しておきたかった。
「それなら、遠見の筒をやる。隠し持つ必要はない、一眼人から魚人へ正式に譲る」
「ハンブルにそんな権限があると言うのか」
「信じるかは自由だ。その場合お前の口を封じねばならん、かもだ」
頚椎の折れる寸前まで、体重を乗せた。これでしばらく寝違えたようになるだろうが、それくらいはごまかしてもらおう。
「分かった、信じる!」
「そうか。人間、素直に限る。不可視の覆いは魚人の宝物なのだろう? すると遠見の筒も欲しいのは自明だ」
他の人種には自由のない水中を、自在に進む魚人。それが姿を隠す術を欲し手に入れたとなれば、次はどこまでも見通す眼だ。
そうすれば隠密に他人の裏を知り、欲しい物を盗むのに苦労しない。
「交渉成立だ、騒ぐなよ」
素早く、拘束を解いた。その代わりにサーベルを抜き、喉元へ突きつける。ギョドは卑屈に笑い、頷いて見せる。
「で、俺を見つけた種明かしはなんだ」
「それは簡単なこと。それ、そこに」
天幕の入り口をギョドは指さす。油断なく見れば、地面になにか敷かれている。
文字の書かれた細い帯。しかしこの国の文字ではない。おそらく不可視の覆いと対になる、魚人の隠れた宝物らしい。
「用意周到と褒めるべきか?」
「当然の備えでしょうよ。クッ。クッ」
喉をひきつけたような不気味な笑声に、たるんだ頬が揺れる。怖気に逆立つような肌の感覚が、どうにも抑えきれなかった。
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