第四幕:甘露に咲く
第39話:準備万端
皇帝来たる。
知らせが届いたのは、昼過ぎだった。斥候役に、狗人ほど向いた者はない。疲労した男を休ませ、代わりを仲間のところへ戻した。
対面の場所に選んだのは湖の南端。町に近く、元は橋の架かっていた場所。
差し渡しは十間足らず。深く抉られた川の窪みに、轟々と泥水が暴れた。行く先の湖水は、八分目といったところか。
夜に月でも見られれば美しいのだろうが、雲が去れば水も失せる。土地が変われど、優れた二つを並べ立てるのは難しいようだ。
「わざわざの出迎え、感謝する。しかしロタ、ひどい有り様だな」
向こう岸に足を止めた皇帝は、泥に塗れた街へ視線を舐めさせた。
馬を降り、川岸で下を覗く。速い流れに合わせて何度か首を動かし、ロタに苦笑を向けた。
その胸は、革の防具で覆われている。
「ええ、なにが起こるか本当に分からない。まさか水に呑まれるなんて、未来永劫それだけはないと思っていたのに。だからあいにく、橋の都合もついていないの」
ロタにも防具を身に着けるよう言った。しかし彼女には、胸当て一つさえ重かった。ゆえに弓打ちの使う革のベストを、いつもの衣服の下に着させた。
とは言え手には戦棍がある。俺も含めチキや護衛の者たちは、防具を備えている。
そもそもロタを一人では立たせず、目隠しするように列を作ったのが常にないことだ。
「構わんよ。不幸に襲われた者に余計な手間を求めるほど、我れは落ちていない」
「手間と言うなら、このまま帰ってもらうほうがいいと思うの。街中はもっとひどいわ、きっとあなたを汚してしまう」
皇帝を先頭に、長い行列が続く。帰れと言われた男の視線が、並んだ荷車に向けられた。引く者、押す者は、
住人たちの期待通り、積み荷が食料や衣服ならば。十分に全員へ行き渡る量と見えた。いや中身を疑ってはない。あちらの思惑通りに進めば、口に入れる者が違うこともないだろう。
だが皇帝は、ロタが察していると察しているはず。いざとなればこの救援物資は、彼らの兵糧に早変わりだ。
俺が向こうの立場ならロタを悪人に仕立て、攻め込む用意だけをして見物を決め込む。その裏で住人に、腹いっぱい食えると伝えればいい。
すると皇帝は兵を傷付けることなく、やがて縛り上げられた司祭長に対面となる。
「案ずるな、準備は万端だ。手伝いと物だけ置いて帰れば、邪魔にならぬのも分かっている。しかし一つだけ、たしかめねばならんのだ」
皇帝の傍に居た三眼人が指を向けられ、行列の後ろへ戻っていく。遠見の筒を覗くと、なるほど橋の準備が目に入った。
膝を抱えた人間というくらいの岩が運ばれている。しかも担っているのは、武装した三眼人と蜥蜴人だ。伝令が届くと行列から外れ、先頭へと進み始めた。
「たしかめるって、なにをかしら」
「宝物の所在をだ。良からぬ噂を聞いたのでな」
どこへ紛れていたか。魚人の司祭、ギョドが進み出る。彼だけでなくその後ろへ蜥蜴人、狗人の司祭も続いた。
「
「言ったわ。奪われたことそのものの責任は否定しない。でも皇帝自らが町を沈め、魚人に聖殿を襲わせる、なんて警戒はしていなかった」
ロタの言葉に最も反応を示したのは蜥蜴人の司祭だった。腹立たしげに睨む皇帝の横顔に、容赦ない疑いの視線を向ける。
水攻めはなんらかの意図あることと納得していたが、宝物を奪取する目的とは聞いていない。そんなところだろう。
「前回は我れの同族に罪を着せ、今回はギョドか。手管に捻りがないと思わんか?」
「まったくでございます、皇帝陛下。ちょっと留守をしただけで、このような物言い。いかにロタさまと言え、看過できません」
皇帝の声はロタに向いたはずだが、勝手にギョドが乗り合わせた。泰然とする皇帝では真偽が分からんと踏んだ、蜥蜴人の視線を浴びたらしい。
「よくもぬけぬけと言えたものだわ。言っておくけれど、今回は三眼人の犯人を捕まえているの。あなたが誑かした、私の同族もね」
その二人は城に置いたままにした。連れてきて殺されては、証人が居なくなってしまう。
話せば分かることだが、しかしこの場の説得力に弱い。ましてニクの件を、ロタは正直に話した。
「ふん? 少しは頭を働かせたらしい。だが我れとて、同族の全員に綱を結んでいるわけでない。お前の策略に乗る者が居たとして、いちいち知る術を持っておらんのだ」
当然、と言うべきだろう。以前と同じに、個人の罪までは知らんと皇帝は切り捨てた。
これでは裏の事情に関わっていない者の目に、責任の擦り合いとしか見えまい。時間の浪費に待ったをかけたのは、やはり蜥蜴人の司祭だ。
「陛下、ロタさま。口を挟んで悪いが、問いたいことがある。まず盗っ人とは、なにを以て断ずるのか」
「三眼人は自分たちの宝物、炎の弓を持っていたわ。
なんとでも言える口先より、現物の所在。知って直ちに黒幕も決められないが、堅実な判断材料と言える。
「ふむ。身内の恥にも隠し立てなきところは、さすがロタさまと申しましょう。けれども道々、不穏な疑念を陛下より拝聴した」
「疑念?」
「八人種それぞれに長所と短所を持ち合わせ、互いに助け合うもの。それをロタさま、あなたは森の民だけを助けるべく画策しているとか」
皇帝もロタも、自分が黒幕でない証拠は出せない。すると蜥蜴人は、ことここに至った事情から判断するしかなかろう。
しかも森の民だけの秘密の畑は実在する。
「それは……」
「いや、結構。私などは
ロタに発せられる言葉はなかった。正直に経緯を話すことも出来たが、言いわけか開き直りとしか受け取られない。
長くこの対立の用意をしてきた皇帝と、目の前の事態に対処していくしかないロタ。緒戦となる舌戦は、前者に傾いた。
「残念だ。今後について、少し考えさせてもらいたい」
蜥蜴人の司祭が、川岸から離れていく。他の者も倣い、最後に皇帝も背中を見せた。
「だそうだ」
と、困った表情を装って。
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