新しい部品を、新しい仕掛けを、古い物の子や孫と考える。技術者たちの意気が篭められた名付けなど見れば、肝の辺りが熱くなる。
「その通り!」と感銘を受けておりましたら、
「叶うなら末永く、英治さんの菩提を弔うまでお供したかった。でも難しいようです。あなたを人前で泣かせること、お許しくださいね」
この言葉に、英治を想う芙蓉子さんが手紙をしたためる姿が目に浮かぶのと、
私の思い出が交錯しました。
今、涙腺崩壊しております。
閑話、ありがとうございました。
※
私の曽祖父が力士、その息子、祖父がその血色濃くガタイのでかい人でした。
父と私にはその血は現れず、極々平均な体。
その祖父が、私が小二の時に病気で入院しました。
見舞いには二度ほど。
「よく来た、よう来た」と病院食のメロンパンを私にくれたのを覚えています。
暫くして、黒い服を着た男の人が家に白い木の箱を届けにきました。
母が、中で寝ている祖父を見ながら、見舞いにいく度に「今日は〇〇はおらんのか」と私のことを言っていたと聞かされました。
浅はかな私に、その意味が理解できたのは、まだまだ後。
物事は悔いのないようにしたいものです。
作者からの返信
@chukkichukichuki58さん、こんばんは。気持ちの篭ったコメントをいつもありがとうございます。
職人気質とオタク気質は全く同じではないものの、そう言っても過言でないくらい似ていますよね。
英治がどちらと明言しませんが、彼もそういう人物のようです。
悲しい気持ちは人を強くすると言います。でも分厚いかさぶたや皮を拵えるだけで、めくった下はなにも変わっていないと思うのです。
故人を想うというような時に触れたくなる悲しみは、さらにその前の想い出と繋がっているものですよね。
喪った寂しさと尊い想い出は、切っても切り離せないもの。
改めて触れられて良かったと思えるなら、それはご自身の感情が己を大切に出来ている証左なのではと考えます。
そこが捻じ曲がってしまうと、どんな記憶も忌わしくなるものです。
どんなことかは分かりませんが、私の物語からなにか感情を動かしていただけたなら、物書きとして冥利に尽きます。
こちらこそ、ありがとうございます。
芙蓉子さん、なんて慎ましやかで可愛らしい方だったんでしょう。
>可愛い蛙に出会えたなら、英治さんがお越しの時にお話しますね。
この一文が最高に可愛いです(*´◒`*)
しかしこの手紙を思い出すと、ようやく芙蓉子さんの待つ極楽へ向かうはずが、何だって異世界なんかに……と改めて思いますね。
作者からの返信
すずめさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
芙蓉子さんも英治さんも、口べたな夫婦だったようです。
お互いが「自分よりも相手を」と願い、芙蓉子さんは意志を貫いた。英治さんは妻の気持ちに甘え、後回しにした。
というのは英治さんの気持ちですが、すずめさんが再三仰っている通りです。
この気持ちを抱えたままこの世界へやって来て、皇帝との対決に臨みます。
芙蓉子さんと出会えるのか。それとも極楽で会うことになるのか。次回より、最終幕です。
病気がちな妻である、芙蓉子さん。私も病気がちなので、夫に対して色々と思う所あり、共感いたします。
本日、愛犬のちびちゃんが天国へ逝きました。涙って流すときの為にあるのだろうね。
作者からの返信
こゆきさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
芙蓉子さんは病気がちというか、当時では不治の病だった労咳で亡くなりました。
家族間での病気への向き合い方は、迷惑とかそうでないとかいうものでなく。でも心苦しいものでもあり、なんとも言葉にするのは難しいですね。
ちびちゃん。亡くなって涙が流れたなら、愛されたと伝わったしるしでしょう。
またいつか、どこかで別の命になって、幸せに暮らせますように。