第36話:明日のために立つ

 明けて、水の都ワタンへの帰路に就いた。皇帝の放った罠を見届けた村の者たちが、求めもしないのに着いてくる。

 ご丁寧に人選までしたのか、働き盛りばかりが。


「戦になるかも」


 と。集まった百人以上を前に、ロタはひと言だけ釘を刺した。けれども誰一人、去ろうとはしない。

 それどころか、道々でさらに増した。角鹿人が五十人ほど。狗人が二十人ほど。


 手に手に、誰もが農具を持っていた。これから街を掘り起こすのなら、棍棒など不要のはずだが。

 背負った袋は、食料ではちきれそうだ。これでどうにか、水の都ワタンの支援と言いわけが立つだろうか。


「エッジが呼ばせたんですか?」

「いや、知らん。俺はよそ者だ。問われたことには答えるが、差し出口はせんよ」

「へえ。勝手に山砦の村マトレへ行った誰かに聞かせたいですね」


 行軍、と呼ぶしかあるまい。行列の先頭を進むのはロタ。隣でチキが、なにやら興奮気味に喋り続けている。

 一眼人の侍祭を挟み、その後ろに俺は続いた。

 隣を歩くワンゴが、ひっきりなしに話しかけてくる。どんな顔をすればいいのか、おかげで考える必要がなくなった。


「俺の命は俺の裁量だからな」

「あの時、そうだったんでしょうけどね」

「あの時は?」

「いえ、なんでも」


 律動リズム良く、わわん、わんと呟くのは、やはり鼻歌なのだろう。ざあざあと一瞬もやまぬ雨の中、なにがそんなに楽しいのか。


「まさか雪でも降るまいにな」

「雪ってなんです?」

「いや、なんでもない」


 もうしばらく、暑いとは感じていない。くだらぬ妄想に、小さく笑った。


「良かった。ケンカをしているんじゃなさそうで」

「ん、なんだ?」


 この少年には珍しく、ボソッとした言い方だった。「あなたに言ったのではない」ということだろう、長い耳もあさっての方向へ。

 ただし目だけは間違いなく、ロタの背に刺さっている。


 気付いたのか? と思うと、もう一度聞く気にはなれなかった。無下に出来なかったと言え、芙蓉子というものがありながら。


「しかし……」


 ワンゴに倣って、ロタの背を眺める。

 背丈と細い肩は、芙蓉子に近い。だが見間違えることは、きっとない。

 髪の色、顔の造作、指の長さに爪の形。


 鈴の転がるような声と、ピアノの旋律。どこか一線を置いたうえで、俺を見つめる視線の高さ。

 どれも近いが、まったく違う。それなのに、俺の感覚のどこかが感じ取ってしまう。


「似ている」


 祈りの間で彼女を受け止めて、ますますそう思う。ロタこそが、芙蓉子の生まれ変わった姿でないかと。

 だとして、たしかめる方法が想像もつかない。当人に聞いても同じだろう。芙蓉子の自覚があれば、もっと違う反応のはずだ。


 とは自惚れか? などと考え始めれば、解決の糸口もどこへやら。皇帝のことが片付くまでと、支払う当てのないツケ払いにするしかなかった。




 水の都ワタンへ到着したのは、日が落ちてすぐ。街からは完全に水が引き、避難した丘上には誰の姿もなかった。どす黒い煙を上げ、あちこちで篝火が焚かれる。一眼の村モーノの者たちは、それを頼りに散らばった。

 まずは住む者の寝床を戻さねばならない。一からやり直しとなったこの町を、捨てようと考える者は居ないらしい。


「明日の夜明け、みんなを城前に集めて。手を止めさせて申しわけないけど、大切な話があるの」


 半端に開いた城門は、砂が噛んで動かなかった。すり抜けて侵入し、ロタは最初にそう指示した。

 護衛の一眼人を残し、侍祭たちは街に散る。ワンゴも加わったので、伝言はきっと素早く伝わるはずだ。


 きっ。と視線を鋭くした司祭長は、聖殿の塔の最上階へ登った。

 窓から見渡しても、雨に煙って篝火を数えるのも満足でない。階段に立つ護衛の二人と、ロタの隣に陣取るチキと。

 ニクの不在を、以前と違うあれこれが浮き彫りにする。


「なぜ貴様がここに居る。これからロタさまは、皇帝との対面に向けて思案を巡らせるのだ。貴様などが居ては邪魔になる」


 彼女が一人で考えるなら、邪魔なのはお互いさまだ。チキの背後に、見えない棚はいくつあるのだろう。


「なぜと言われてもな。この国に俺の居場所は、ロタの傍にしかない」


 彼女が出て行けと言うなら、もちろん従う。しかし俺のような人間が役に立つとすれば、今をいて他にはない。

 だから判断は任せようと思った。一応はこの場に居残る意志だけを示して。にも関わらず、肝心のロタが顔を覆っている。


「ロタ?」

「ロタさま、いかがされましたか」

「いかがもなにも。エッジ、あなたって人は……」


 両手の奥でもごもごと、俺が悪いというようなことを訴える。おかげでチキに睨まれた。


「やはり貴様は――」

「いいの、チキ」

「しかしロタさま」

「いいから」


 手探りならぬ足探りで、彼女は椅子の在り処をたしかめた。気付いたチキが、さっと走る。

 腰掛けてしばらく。やっと見えたロタの顔は、全面に真っ赤だった。よほど強く押さえていたか、それとも炎症を起こしたか。


「ロタさま、お薬をお持ちしましょうか」

「要らない。いいからあなたたちも座って」


 気遣うチキの声を撥ね付けるように答え、彼女は切り出した。


「きっと明日かあさってにも、ディランドはやって来る。私たちはどう対面すべきか、意見をもらえる?」

「おおロタさま。それほどの大事を私などに」


 座ったばかりの椅子を、チキは蹴立てる。興奮冷めやらぬ、のは一日ずっとだが、やはりそういう口調で捲し立てた。


「ロタさまを陥れようとした皇帝に、なんの遠慮がありましょう。宝物のいくつかもこちらにあります。不可視の覆いを用いて、初手で終わらせるのも良いかと」

「ええ、それは私も考えた。もしかしたら、最も犠牲を少なく出来るかもしれない」


 同意を得て、チキは鼻息を荒くする。そうもいくまいと俺などは思うが、ロタも同じのようだった。


「でもダメ。砂の民も、宝物のことは知らないと思うの。ディランドの企みと明らかにしなければ、こちらが悪者になるわ」

「すると皇帝と対面し、捕らえた三眼人と宝物を民に示すのが必須と」


 頷いたロタが、視線をこちらに向けた。なにを求めてか分からないが、俺も頷く。すると彼女は唇を微笑みの形に変え、落ち着かぬ様子で頬を叩いた。

 やはりどこか調子が悪いのかもしれない。次を話すのに、何度も咳払いを必要とした。


「けほっ、けほっ。そう、まだ私たちのせいにされていないだけ。転び方次第で、ディランドの思惑は成功してしまう。その時は森の民でさえ敵になる」

「それはさすがに勝ち目が」


 咄嗟に答えた護衛の一人を、チキが睨む。けれども否定の声まではない。ロタの言い分は正しい。


「私たちはなにもしていない。一方的に水を飲まされただけ。それさえ証拠がないけど、証明しなきゃいけないの」

「蠍人の司祭が残っているのは幸いでございますね」


 明日の朝、住人たちになんと呼びかけるか。皇帝と戦うことになれば、勝ち目はあるか。

 話し合いは数時間に及んだ。

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