第34話:見通せないもの

 村の北端に、天空神への祭壇を収めた建物があった。村人の住居を三つ合わせたほども大きく、用途別の部屋に区切られてもいる。

 入り口の外から中の各所にまで、落ち着かぬ様子の住人たちがざわめいた。憲兵の詰め所に来たかと勘違いしてしまう。

 部屋の一つ。流れ旗や太鼓などの置かれた倉庫めいた場所に、ワンゴたちは居た。


「こりゃあいい、よりによって狗人が居るとはな」


 縛る間に、ニクは目を覚ました。連れてくるなり、同じく縛られた三眼人を笑い飛ばす。

 屈強という言葉がいかにもな、全身を筋肉で鎧った男。下着姿なのはかわいそうだが、ニクを睨む眼光もいまだ死んでいない。


「これ、面白いですよ」


 ワンゴはロタに、腕を突き出した。ただしその先にあるはずの肘から先がない。その意味を知っているロタは驚く様子もなく、おおよそ少年の手のある辺りを探った。

 彼女の手がなにかを摘み、引っ張る。するとワンゴの前腕から指先までが順に伸びた。いや見えなかったのが現れただけだが。


「不可視の覆いも、体臭まではな。よく気付いたもんだ」


 やけにへらへらと、薄っぺらにニクは話す。しかも絹のような美しい布を提げたロタにでなく、俺に向けて。


「チキ、みんなも。よく捕まえてくれたわ」

「なにをロタさま。相手は一人、こちらは四人。これくらいはやれて当然ですとも」


 答えたチキの顔には、既に大きな腫れがある。服もあちこち破れ、まだこれから痣も浮いてこよう。

 宝物を使って姿を見えなくした何者かが、おそらく祭壇にやってくる。ワンゴの嗅覚と聴覚を頼りに、それを捕まえてほしい。という以上の指示はなかった。無傷のワンゴも含め、よほどうまく立ち回ったに違いない。


「それで、もう一つは」

「こちらに」


 壁ぎわの台から、別の侍祭が布包みを持ってくる。ニクが背負っていたのと同じ布で、見間違えるかもしれない。

 ただ、短い。四尺足らず、サーベルと同じくらいの細長い物体。俺の勝手な想像では、この二倍はある予定だったのだが。


「うん、間違いなく炎の弓だわ」


 触れたことはなくとも、姿を知っているロタが太鼓判を押す。その名に似合わず鈍重そうな、鉈のような姿だった。


「じゃあ、この男はお願い」

「かしこまりました、皇帝の陰謀を残らず吐かせてみせます」


 胸を張り、叩いても見せるチキ。ロタはそれを「あなたは治療を先に」と労い、部屋を出た。彼女は迷いもせず、通路の奥へ向かう。ニクを連れた俺が、追ってくるかもたしかめずに。

 扉を開け、専用の台に掲げられたサンドラの像を拝む。二十を数えるほど待つと、そのままサンドラの足下へ移動した。


「三人とも、入って。扉は閉めて」


 こちらを向いたロタは、勘定の合わないことを言う。なんだ? と見回すと、タネはすぐに割れる。白い毛が湿って倒れ、元々の細身がさらに痩せた少年がすぐ後ろに居た。


 ただただ神と語らう場なのだろう。神像と、それを照らすランプの他にはなにもない。祈る者の座る椅子さえも。

 司祭長の見下ろす正面にニクを座らせ、俺とワンゴは壁ぎわに下がった。


「話しなさい。いつからあなたが裏切ったのか」

「いやロタさま、さっきも言ったが――」

「違います。あなたが裏切ったのは、私や同胞じゃない。八人種の空を翔ける、天空神です」


 反論しかけた口が閉じる。あぐらに座った脚の隙間に目を落とし、「参ったな」と小さく。


「同胞は親と子。隣人は糧を分ける友。狩るべきは狩り、避けるべきは避け、舞い上がる翼は己の誇り。神の眼を持ち、決して見失うな――これがサンドラの示す道。あなたは見失っていないと言える?」


 同じ人種は親子のごとく敬い、八人種の仲間は最も近い友人として接する。そういう教えらしいが、ワンゴという例外が目の前に居る。

 だからといちいち教義を変えていては、信仰など格好にならないけれども。


 ニクは俯いたまま、しばらく黙っていた。ロタの強烈な視線を、感じずにはいられまいに。

 タバコを吸いきる間も過ぎたろうか、ようやく声が聞こえた。やはり床を見たままだったが。


「……九年前」

「司祭長さまの」

「そう、俺の父親が死んだ。一緒に居た母親と、世話係と皆殺しだった。先に言っておくが、殺したのがあなたとか皇帝とかって話はどうでもいい」


 跡を継ぐと決まっているのに、ロタはそんな真似をすまい。とは知らぬ者の感想だろう、彼女は固く唇を結んで頷いた。


「そうだロタさま。この先を聞く前に、一つ答えてもらえないか」

「なに」

「この先十年。皇帝陛下は、少なくとも二つの隣国を呑み込もうと考えている。賛成か反対か」

「反対に決まってるでしょう」


 ニクの声に覆い被せる勢いで、ロタは答えた。いかにも呆れたというため息を吐きもする。


「なぜ?」

「そんなことをすれば私たちはハンブル――故郷を奪われたって、忌み嫌っている相手と同じになってしまうわ」

「うんまあ、あなたはそう答えるんだろう」


 項垂れたニクの後頭部に、ロタは視線を強める。要領を得ないことに苛立ちもするのだろう、足を踏み出してすぐに戻した。


「自分たちが貧しいと、よそから奪っていいの? 聖戦は昔のことだから、なかったことにしていいの? たしかにディランドは、そんなことも言っていたわ。でもニクのお父さんとお母さんには関係ないでしょう」

「ああ、関係ない」


 ぴしゃり。まさに叩きつけたという声が、ニクから発せられた。

 それほど大きくはなかった。下を向いて、むしろ篭り気味だった。だが寸前までの、なにかふわふわとした彼の空気とまるで違った。


「話を戻そう」


 ニクは顔を上向け、ロタと目を合わせる。口調は今日のどれでもなく、いつもの彼に戻った。

 対する彼女は、何度か言葉を紡ごうとするものの叶わない。三、四度で諦めて頷く。


「俺にとって食事ってのは、一日ひと皿のなにかだった。芋だったり、パンだったり。菜っ葉のスープは、いちばん腹が膨れて嬉しかった。すぐに腹ぺこになったが」

「知ってる。私も同じ物を食べていたもの」


 本当の姉弟のごとく、同じ境遇で育ったと聞いた。その通りの昔話を、なぜニクは聞かせるのか。

 育ち盛りに、つらい経験とは思う。金持ちでないにしても、まあまあの兒島家でそこまで我慢を強いられることはなかった。


「でも司祭や侍祭は、普通に食ってた。パンとスープ、芋と干し肉。それどころか、稼ぎがないからって泣きついた奴らもだ」

「……ええ」

「それを恨んでるのでもない。『贅沢の袋には際限がない、膨れれば膨れるだけ詰め込みたくなる』なんて言うだけあって、オヤジも同じにしてた」


 清貧を貫くと、言うは易いが難しい。ましてや育ち盛りの子どもには。

 自身よりも優遇された者を見てずるいと考えなかったのなら、ニクもロタも極めて善良な子だ。程度が過ぎて、生きにくかろうと心配になる。


「なんだかんだ、オヤジは要領が悪すぎたんだろう。あなたが司祭長になって、俺は腹いっぱいに食えるようになった」

「コルピオに頼んだだけよ。ハンブルとの取り引きを増やせって」

「そうだ、おかげで豊かになった。俺だけじゃなく、街の全体が」


 彼の言い分を理解したらしい。ロタは一瞬、俯いた。けれどすぐに、かぶりを振って向きを戻す。


「そんなあなたが、これ以上を望むなと言う。水の都ワタンの外は砂と岩だけだ、港の町ポルトだって大差ない。俺にはあなたが、オヤジと同じに見える」


 ロタを。一眼人や森の民を。そういう括りを裏切ったわけでない。豊かになるために、捨てるべき拘りがある。その選択が、ロタと手を握るものでなかった。


 よく分かる。憂国の意志を持つ者が、しばしば口にすることだ。

 間違ってはいない。即ち正解とも限らない。やってみて、結果を見ねば判断はつかない。


「そう。出来れば決断する前に教えてほしかった」

「言っても変わらないと分かっていたさ。本当の姉さんと思ってるから」


 見下ろすロタと見上げるニクは、しばらく動かず見つめ合った。

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