第33話:行かせない
突く軌道と真っ直ぐに。差し出した手と切っ先が、皮一枚ですり抜ける。ニクの狙いは、胸の真ん中。外れにくく、この剣の重量を以てすれば胸骨に弾かれることもあるまい。
「どこまでも愚直な男だ」
呟き、先端を横殴りにひっ叩く。しかし本気と言った刃は、僅か二寸ほど揺れただけだ。「ぐぅっ」と、短く唸っただけでこの男は堪える。物打ちに重量の偏った、この剣で。
けれど。
生じた隙間に、俺は身体を捻じ込んだ。半身となった背中へ剣の峰を滑らせ、左の手で柄を押さえにかかる。彼の親指を極め、引き剥がす狙いだった。
だがニクはいち早く剣を返し、柄尻を打ち込もうとする。
ただし、遅い。がら空きの顎に掌底を放ち、一歩下がらせた。体勢の崩れた好機だ、半端に上がった手首を取れば剣を奪える。
「もらうぞ」
「やかましい!」
突っ込む俺の頭上へ、剣が落ちてくる。いい判断だ、剣の重量で体勢を戻すことができ、相手が怯むかもしれない。
もちろん俺が怯むことはないけれども。重量に任せただけの引くも押すもない刃に、いちいち構ってやれない。
ニクの両手を掬い上げるように支え、剣の背をつかむ。手の構造上、これで柄を握ったままではいられない。
はずだった。ずるりと、嫌な感触で。彼の両手が、俺の手から滑り落ちる。
「ちぃっ、雨か」
「惜しかったな、剣を奪おうとは驚いた」
「実は剣よりも、
脇を走り抜けたニクは、細く息を吐いて振り返った。己の未熟に、俺もため息を吐きたい。
立ち位置こそ逆になったが、対面は振り出しだ。その俺の背中で、一人の足音が止まる。荒れた息を整え、言葉を探すのは女。そのくらいは目を向けずとも分かった。
「ニク……」
「おやロタさま。護衛も付けずとは、危険でしょう」
彼女を見て戦う気が失せたのか、ニクは剣を肩に載せた。
ロタも胸を押さえつつ、ゆっくりと歩み寄る。一歩、いや半歩。また半歩。
進み続ける腕をつかんで止めた。振り払おうとするのも押さえつける。馬鹿な弟の頬を叩いてやりたいのだろう、彼女の眼は一瞬も俺に向かない。
「私の護衛はあなたよ。どうして? ディランドに剣を向けるだけでなく、こんな」
「いやいやロタさま。寝返りを知られた俺に、そんなことを聞かれましてもね」
「寝返り、と言ったのね」
もはや答える義理はない。とでも言いたげに、軽薄な口調でニクは答える。その声に含まれた決定的な言葉を、ロタは歯噛みして問う。
「ああそうか。まだそこは、うやむやに出来ましたね。そうしたほうが得なのかも、俺には分かりませんが」
「皇帝について、なにがあると言うの」
「ロタさま、それは違う。うっかり寝返りなんて言ったが、俺はあなたの側に立ったことなんかない。ずっと、陛下の駒として動いてきた」
一眼人と三眼人。明らかに見た目から違う人種の垣根を越え、属するのはそちらでないと。
説明もなしにはさっぱり分からないが、姉代わりのロタにはもっと理解できまい。
ますます力んで俺の手を引き剥がそうとし、叶わぬとなると叫んだ。
「どうして! ずっと一緒に居たじゃない。同じテーブルで食事をして、畑を耕して、水遊びだって楽しかったわ!」
昔の思い出を、ニクは否定しなかった。いちいち頷き、けれど「その通り」とか「楽しかった」とは答えない。
しばらく、二人は見つめ合った。なにかしらの意志が通じているか、どんな感情がうねっているか、俺には想像が及ばない。
その間にようやく、
「エッジ、手を放して。もう動かないから」
言う通り、ロタの腕から力が抜けていた。ゆっくり放すと、自重に任せてだらんと垂れ下がる。
「分かったわ、ニク。あなたはもう、私にも剣を向ける相手だと考える。この手の届かないうちに、どこへでも行きなさい」
「そうですか。失敗した以上、捕まっても殺されても文句は言えないと思ってましたが」
お言葉に甘えましょう、と彼は十歩ほど後退る。
事情の把握しきれぬ村人たちも、行かせていいのかと足を踏み出しかけた。ロタはそれを押し留め、宣言通りに自分も足を動かさない。
「では」
最後に言って、ニクは背中を見せる。彼が駆け始めた途端、ロタは呟いた。
「エッジ、お願い」
「ん、なにを」
頼まれごとが不明だった。しかし彼女は答えず、すっと腕を持ち上げる。
小さく「サンドラよ」と。続く声は絶叫だった。どこへ向けて良いやら分からぬ憤りを表すように。
「
突き出した手の平の前方で、眩い光が球に集まる。ロタ自身よりも大きなそれは、全力で走るニクの後を追う。
天空神とは、鷹の姿と聞いた。飛翔するうち、たしかに光球は鷹の鉤爪へと変わった。
地面へ縫い付けるように、押し倒されるニク。どうやら俺が頼まれたのは、彼を縛り上げることらしい。
「わおうっ! わんっ! わんっ!」
ちょうどその時、ワンゴの声が聞こえた。遠く、村の奥のほうで。
「あっちも見つけたようだ」
「ええ」
答えつつも、ロタは視線を動かさない。気絶した様子のニクを、じっと見つめ続けた。
彼女の頬が濡れているのは、強まり始めた雨のせいだろう。
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