第29話:嵐の朝
日の暮れるまで。ロタは自身の側近や、他の司祭たちと相談を繰り返していた。彼女の声が届く距離に、ワンゴも居続けた。
それを遠目に眺めるだけで、俺には出来ることがない。
いやきっと、あったとは思う。隙あらばまぶたを閉じさせる、眠気に抗うのでやっとだった。
体力を戻すには、食って寝るしかない。なぜ意味もなく逆らうかとロタに言われ、観念した。
次に目覚めたのは、激しい雨音でだ。同じ布の屋根を使う一眼人の侍祭たちは、誰も眠っていた。
まだ頭が重い。けれども二日酔いの抜けた後くらいまでは戻った気がする。
上体を起こし、伸びを。雷鳴と稲光が、清々しさとは程遠い。
「ロタ?」
近くにワンゴも寝ている。すると彼女も居たはずだが、姿が見えない。
雷雨の中、どこへ行ったか。包まっていたマントを羽織り直し、俺も雨中の人となる。
三百六十度、ぐるり見回す。当然に心当たりもなく、消去法で探すことにした。まずは行き止まりとなる、この丘の突端だ。
するとそこに、人影があった。
ロタだ。外覆いと呼ぶらしい褐色の布をなびかせ、横面へ雨の打ち付けるに任せて。
「早起きね。夜明けには、まだもう少しあるわ」
「お互いさまだ」
「私はいつもこの時間よ。一日の最初の祈りをね」
町を見下ろす向きでなく。左手に川の上流、右手に下流を眺める。俺の顔をちらと横目にし、またすぐつまらなそうに流れを追った。
「きみに命を救われたのは二度目だ。きちんと礼を言っていなかったのを思い出した。どう返せば良いかも分からないが、感謝する」
「私はサンドラに頼んでいるだけよ。目の前の怪我人や病人が、まだ死ぬ時でないなら助けてくださいって。だからお礼なんて」
「頼む気になっただけでもありがたい」
ここでなにをしているのか。とは、無粋で聞けなかった。
彼女は悔やんでいるのだ、住人たちの安息を奪ったことを。自身の祈る場所をみすみす失ったことを。
もちろん推測だが、「そうだろう?」と問うほどの阿呆ではない。
「誰の仕業か、教えたのか」
「みんなに? 砂の民が堰を造っていたのは知らせた。でもそれがディランドの企みとは言ってない」
「言えん、な――」
「みんな私を、森の民の代表と言ってくれるの。その私がなんの証拠もなく、皇帝を貶めるのはね」
言ってしまえば、森の民と砂の民の関係は終局を迎える。事実はもうその段階にあるとしても、先に弓を引いたのがどちらかとは繊細な問題だ。
「水嵩が減ったな。砂を沈ませた清浄な水で、汚れた部分を洗うといい。そうすれば建物はまた使える」
話題を変えることにした。水が引いたのは、悪い話でない。
実際、家々の屋根が見えるようになった。雨が降り続いても、これなら数日で町へ入れるだろう。人々に戻る気があれば、だが。
「濡れたのをまた洗うの?」
「あれこれ混ざった泥を放置すれば、そこから病気の素が生まれる」
「へえ、病気の素なんて初めて聞いたわ。物知りね」
応じてくれるものの、抑揚に乏しい。懺悔に横槍を入れたのなら、さもありなん。しかし、ロタが償うべきことなどない。
なんと慰めれば良いか。こんな時には方便でも、気休めの言葉が必要と知っている。だがなに一つ浮かんでこない己の愚かさに、半分は恥という名の苛立ちが襲う。
「――もしかして、慰めようとしているの?」
いささかの沈黙が過ぎた。それだけで策略を看破したロタは、苦笑と共に俺を見上げる。
「そうだ、励ましたいと考えた。気の利いた言葉が浮かばんで、四苦八苦している」
「気持ちだけでも嬉しいわ。だから昼間、私のためなんて煽ててくれたのね」
破綻した作戦を早々に放棄し、単刀直入にこちらの要求を伝えた。
すると彼女は頷き、気持ちを受け取ったと示すように胸へ手を置く。
「煽てではない、今きみを案じているのと同じく。仲間を想う、きみの気持ちに感銘している。必死に腕を伸ばし、大切なものを守ろうとするのが素晴らしい。真似ようとしても、きっと俺には叶わん」
ぱちぱちと。まばたきを繰り返すロタは、すぐに返答をしなかった。十か二十も数えられるほどの間を空け、なぜか大きなため息を吐く。
「そんなに煽ててくれるなら、ありがとうとお答えするわ。でも、奥さんに言ってあげるべきね。それとも私が似ているとか、そういうこと?」
「いや全く似ていないな。もしも芙蓉子をきみの立場に置いたとして、きっと家に篭って出てこない。きみが芙蓉子の立場なら、商店筋の人気者だ」
それ以前に、頑なに拒むだろう。とはともかく、似ていないと言ったのは咄嗟の嘘だった。
自身を取り巻く大勢を、己の都合より先に考える。表面的な性格は真逆でも、根本のところで二人は似ていた。
いつからそう感じていたのか。俺にも分からないが、少なくともたった今でない。
……まさか、似ているのではない?
即ち当人かと、突飛な思いつきが笑えなかった。誰あろう、俺という実例がある。見た目や年齢が違っても、可能性に影響しない。
俺の存在に違和感を覚えたのはロタだけだ。ではロタのこれまでを周囲が認識しているのも同じでないか。
天空神が辻褄を合わせたというなら、それでもいい。
「まさか、だな」
「ん、なに?」
「きみの瞳が大きくて美しいと思っただけだ」
馬鹿げた考えを追い出し、怪訝に見る眼を見つめ返した。
身体を凍えさす冷たい雨とは違う、しっとりと温かみのある黒い泉。暗い夜の中にも、稲光につやつやと煌めく。
見たままを正直に。いや妄想をごまかすだめだが、偽りなく伝えた。
「やめて……」
ひと言。呻いたと思うと、ロタは両手で顔を隠す。だけでなく身体を捩り、既に見えぬ俺を正面から外そうともする。
そこまで怒らせるようなことを言ったろうか。実はなにか、良くない感情を自分の眼に抱えているのか。
どうであれ、傷付けたなら謝罪せねば。
「申しわけない、褒めたつもりだった。本当に黒真珠のようで、吸い込まれそうと。あ、いや言ってはいかんのか。すまない、出来ればなにが悪かったか教えてもらえんだろうか」
「悪くないから悪いの。お願いだからやめて」
「ん、んん?」
ついに背を向けられた。わけが分からないけれども、黙れとまで言われては従うしかない。
ロタはしばらくじっとし、やがて深呼吸のように息を整える。
「もう、あなたのお世辞に付き合っている余裕はないの。私は悩んでるんだから」
「世辞ではないが――いや、悩みとは?」
ややこちらを向いてくれたものの、顔はあさっての方向へ。
良かった。これならまた時間を置いて謝罪すれば、受け入れてくれるはずだ。
「ずっとこの丘へ居るわけにいかないでしょう。森の民はそれぞれの村へ行けばいいけど、砂の民を連れていけない」
「そうだな、
こくり。細い顎が、小さく頷く。
そんな彼らに仲間のところへ戻れ、とは「死ね」と言うのに等しい。
「その
「……攻めてくる?」
ああ、それだ。ずっと引っかかっていたことが、ひと息にほどけていく。
昨日。誰もが無事に過ごす様子を見て、気付かねばならなかった。どれだけぼんやりしていたかと、昨日の俺を殴りつけたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます