第28話:纏わる長雨
いつまで降るのだろう、この雨は。
ロタと話す間にも、じわじわと弱まった。しかし、やみはしない。空も幾ぶんかは明るくなった。けれど、晴れ間は遠く見えない。
いっそずぶ濡れにしてくれれば良いのに、髪先へ滴も付かなかった。長く、濁流を眺めていても。
「風邪をひきますよ」
「馬鹿は風邪をひかんそうだ」
たったっ、と軽快な足音が近付く。聞こえた声は、新たな恩人のもの。それでも振り向く気になれない。己の罪から目を逸らす行為の気がして。
「これ、ロタさまが。うっかり持ってきてしまったと」
「ああ、悪いな」
ワンゴは並んで腰を下ろした。さきほど持ち去られた包みが、元の通り俺の前に広げられる。
生きて次を考えられる以上、食わない選択はない。即座に手を伸ばす。
「お前が俺を運んでくれたと聞いた」
「ええ。気を失っていても、川がとか万全の備えをとか、うるさかったです」
「ん、そんな夢を見ていたかもしれん。ともかく助かった」
「やれやれ。お気楽なのかそうじゃないのか、よく分からないですね」
笑う少年に、俺も釣られる。頬を引き攣らせ、半分ほども苦笑が合わさったのさえ真似た格好で。
「
右腕と左のわき腹。どちらも既に痛みはない。が、包帯はそのまま巻き付いていた。
示して問うと、ワンゴは横に首を振る。
「いいえ? あなたが自分でやったのかと思いました。
するとボクの他に誰がそんな親切を、と少年は首をひねった。
「それ、槍傷でしたよね。とどめをささないなんて、嬲るような真似を蜥蜴人はしないはずです。もちろん蠍人は、エッジを助けても得がない」
「手加減をされたということか」
「うーん、そうなるんですかね。殺さないつもりだったけど、蜥蜴人の想定よりハンブルがか弱かったっていう」
かな? と、半ば疑問の形でワンゴは答えた。しかし、それはおかしい。いや少年の解釈には納得がいく。だが蠍人に得がないのと同じく、蜥蜴人にもない。
俺と彼らの価値観に、どれほどの隔たりがあれ。自身が納得するか否か、根本的なところを曲げるものか? と思う。
この人はこう。と誰もが口を揃えるような人物が、普段と違う行動をする。そんな時、必ず理由があるものだ。
「なぜだ……」
「なぜって、蜥蜴人が治療してくれたと言ってるんでしょう?」
「かもしれんが、なぜそうしたのかだ。そういう情けの前に、きっちりとどめを刺すのが常。たった今、お前から聞いた」
なにかあるはずと考えようにも、頭がぼやけて働いてくれない。まるで二、三日も起き続けた後のようだ。
負傷による疲労と空腹が、まだ俺の司令室に休息を求めているらしい。
「じゃあ蠍人――もしないだろうし、通りがかりの誰かってことになりますね」
「あれほど警戒する周りをか。誰が通ると思う?」
巨大な壁を守る蜥蜴人たち。ひと声で集まってきた砂の民。思い返すだけでも冷や汗ものの光景を警戒と評して、違和感を覚えた。
なにかおかしい。間違いなくなにかが、俺の喉をつかえさせている。
しかしどうしても、答えが出ない。
「さあ、思いつきもしません」
俺と話していると多少は気が紛れるのか、ワンゴはまた苦しげながらも微笑んだ。だがすぐに、布を張った中の人々に視線を向ける。
まずはこの少年の気持ちを楽にしてやることが先決かもしれない。
「誰か、コルピオが怪我でもしたのか?」
「いいえ、誰も。でも居場所がなくて」
なるほど。それはそうだ、気付かなかった。同じく水攻めを受けた立場と言え、誰の仕業かを聞いた森の民とは同じ屋根に居られまい。
「ワンゴだけでも傍に居てやる、というのも難しいだろうな」
「構わないと言ったんです。でもコルピオが、ボクまで同類扱いされたら後々が面倒だから来るなと」
正しい判断だ。この時点で報復の刃を向けられていないのが、むしろおかしいとさえ言える。
それもきっと、ロタの指示によるのだろう。
「昨日の今日だ、少し待て」
「どのくらいですか」
「人の心とはな、三の付くごとに変わるのだそうだ。三日、三十日、三年という具合いに」
これだけの出来事だ、明日すぐにもとは無理がある。ワンゴもそう思ったらしく、長いほうの日数を口にした。
「三十日と言うと、雨季の明けるころですか。たしかに晴れてくれれば気分も変わりそうですが」
「そんなに続くのか」
「短い年で二十日くらい。長い年は、四十日以上続きます。それまで雲の薄くなる時はあっても、晴れることはありません」
太日本帝国の梅雨と似たような期間らしい。雨勢の激烈さは比較にならないけれども。
「その間、一切会うなとは言わん。ロタの近くへ居てはどうだ。司祭なのだから、しばしば連絡の必要はあるだろう」
「そうか、伝達役が要りますね」
いいアイデアと評価してもらえたようだ。ワンゴは飛び跳ね、すぐにもロタのもとへ行こうとした。
素直なのはいいことだ。行かせてやりたかったが、もう一つだけと引き止める。
「司祭と言えば、他の連中も無事なんだな?」
「三眼人と、狗人と蜥蜴人の司祭は居ませんよ。
「それはもちろんだ」
「なら、誰もかすり傷一つないみたいです。ギョドはロタさまに叱られてましたが」
水にふやけて三倍にも膨れたような鯖。ぶよぶよとだらしない身体の魚人は、初日以来お目にかかっていない。
「なにをやらかした」
「それぞれの人種ごと、被害を伝えるように言われてたみたいです。それなのにあの人だけ、連絡が今日になったみたいで」
「ほう?」
叱責の現場をたまたま通りすがった見かけただけで、遅れた理由までは知らないとワンゴは言った。
ならば。そわそわとあらぬ方向へ鼻を向ける少年に、我慢を強いる必要はない。
「分かった、引き止めて悪かったな」
「構いませんよ」
じゃあ。という声を引き摺りながら、ワンゴは駆けていく。屋根のない方向だが、ロタの位置が匂いででも分かるのだろう。
残された俺は、黙々と腹を満たす。愚鈍ながらもせめていつも通りに、頭が回らなければなにも出来ない。
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