第24話:戦う先に見るのは
だが次の瞬間、目の前の現実を疑うことになった。蜥蜴人の首が百八十度回り、あまつさえそのまま真上を向く。
直下に立つ相手が姿勢を変えることなく、視線が合う。それだけでも信じられぬものを、奴の振り上げた槍がサーベルを打つ。
「くぅっ!」
根こそぎもぎ取ろうとする、重い一撃だった。が、正確に狙い定める猶予まではなかったらしい。サーベルの柄は俺の手に残った。
「うおおぉっ!」
気合いと共に、刃を突き立てる。武器を持つ左の肩へ。
しかし、叶わない。
上半身が裸でも、鈍く光る鱗に覆われているから?
否だ。突き立てるはずの、刃そのものが失われていた。正確には全長の半分ほどが。
――ならば。
斬撃は諦め、蜥蜴人の左腕を取った。奴の手首にサーベルの
首の後ろで腕が鈎型になるよう、肘関節を極めた。けれどもまだ、恐るべき腕力で強引に逃れようとする。
手首を固定したまま、サーベルの刃を奴の首すじへ。これで肘に錠をかけたことになり、下手に動けば首の動脈が切れてしまう。
「これは動けん。ハンブルにしては――いや、ハンブルにしておくのは惜しい」
「理解が早いのは助かる。お前たちを傷付けたいわけではない」
「ほう、ならばなにを望む?」
腕にしがみつき、妙な肩車という格好の俺。ゆえに棒立ちの蜥蜴人。姿勢の違いもあって、体格差が大人と子どもだ。
背丈だけでなく、一見には細身の身体も筋肉の塊と見えた。もし鱗がなかったとして、尋常の力では表皮一枚を切り裂くのがやっとかもしれない。
「コォッ!」
答える前に、蜥蜴人は痰を吐くような声を発した。ただし、耳をつんざくその音以外に出てきたものはない。
ここが閉ざされた空間であれば、鼓膜を破る意図だったのかもだ。けれどもここは谷あいと言え、広く抜けた晴天の下。
「なるほど、その声で仲間を呼ぶのか」
「よく知っているな。特別の声で、峠の一つくらいは越えて届く。お前の仕掛けを調べに行った二人も戻るし、村に居る者も様子を窺う」
言う通り、残る見張りの二人が直ちに姿を見せた。頭上でもガヤガヤと、大勢の声が聞こえ始める。
「俺を殺しても、生きて帰る道はない。さあ、これでもお前はなにか望むのか」
「もちろんだ、溜めた水を流してもらう。少しずつ、被害の出んように」
「ふむ……」
理解しかねる、という声。
それともハンブルが
「なにを遊んでいる?」
二人の蜥蜴人が戻った。十歩以上を残し、首を傾げる。
非力そうな男一人を絡みつかせ、動かずにいる屈強な仲間を見れば、そう言いたくなるのかもしれない。
「それがどうしたものか、動かせんのだ。鉄の枷でも着けられたようにな」
「ふん。見たところ、折れた剣が首と肘とに干渉している。うまいことを考えたものだ」
「まったくだ、わははっ!」
三人それぞれ、好きなことを言う。あげくに酒盛りの最中と勘違いするような馬鹿笑い。
大胆不敵と言おうか。やはり仲間の命などどうでもいい、という手合いなのか。
「さて、そこの薄汚いハンブル。仲間の命を盾にしようとは、ハンブルらしい卑怯な手段だ。恥を知れ」
「まあまあ、こいつは水を抜いてほしいそうだ。どういう縁だか、
「ほう、
硬い鱗のせいか、蜥蜴の顔には変化が薄い。それでも眼に薄い膜がかかり、声の低まったのには意味を感じる。
「まあ、どうであれ望みは叶わん。蜥蜴人の命を握って、勝者を気取るなどしゃらくさい。お前は今、その男の気紛れに生かされている。そうでなければとうに腕も首も捨て、お前の喉を食い千切っただろうさ」
声を出すそこが、ふいごのように。乾いた音を立てて息が抜ける。
言いたいだけ言った後も続くところを見ると、それが蜥蜴人の嘲笑らしい。
「腕も首も捨てて、か。それこそしゃらくさい。行ってもおらん覚悟を声に聞いて、いちいちおののくほど暇ではないのだ」
「貴様、蜥蜴人の武勇を知らんのか。何者にも劣らぬ胆力を笑うつもりか」
武勇と言ったところで、奴らのは蛮勇だ。戦うことそのものが至上であって、その先になにも見ていない。
「卑怯と言ったな。それに、恥を知れと? 俺を見ろ、我が身一つでここまで来た。目的さえ果たせば、この男を傷付けるつもりもない。その後は煮るなり焼くなり、好きにしろ」
腹が立った。たしかにこんな土地ならば、強いに越したことはなかろう。だが敗れるくらいなら死を選ぶなどと、背中に守る者のないセリフだ。
「貴様らはどうだ。なにも知らん森の民に、どれだけの水を呑ませる気だ。相手を気に入らんのは仕方がないが、各々の長を集めて話し合えば良かろう。それも無理なら、堂々と宣戦布告をして戦え。蜥蜴人は戦士の中の戦士と聞いたが、どうも誤りのようだ。戦うだけが目的の蛮族め」
どうせ死ぬのなら、言いたいだけは言わねば損だ。正直なところ、やけくそだったのを否定はしない。
ただ、偽りなく思ったまま言ったのも間違いない。
蜥蜴人たちはなにを考えているのだろう。三人ともが口を噤み、示し合わせたように壁を見上げる。
倣って俺も見上げると、高い足場に他の蜥蜴人や蠍人の姿が見えた。
「……好きなことを。だが、是非もない。先に裏切ったのは、森の民だ」
「裏切った?」
面と向かう蜥蜴人が、ひと言ずつを訥々と発した。俺にと言うより、己への言いわけに見える。しかし、その意味を聞くことは出来なかった。
関節を抑え込んだ蜥蜴人が、今までになく強烈に抵抗を始める。
手首と肘と、軋む音が僅かな振動と共に伝わった。自身の関節を破壊してでも逃れる心積もりらしい。
俺もそれを、むごいからと遠慮をするお人好しでない。極めている手首を支点に、サーベルを梃子の要領で動かす。
強靭な皮膚にも、刃がめり込んでいった。深く、深く。俺と同じ赤い血がたらりと、静かに流れていく。
俺の乗った蜥蜴人が膝を突くのと。残る二人の蜥蜴人が俺を串刺しにするのとは、ほぼ同時だった。
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