第19話:砂漠に吹く風
夜の
おかげで、俺の気配を察する者は居まい。それは俺以外の誰にも同じことだが。
「巡回は例のごとし、か」
毎夜、眠る以外にやれることもなく。街を眺め続けた甲斐あって、移動する兵士の順路は頭の中だ。
皇帝への襲撃直後では警戒が強まっていると予測したが、それは外れた。
常と違うのは、三眼人の兵士が居ない。主力は皇帝と共に移動したのだから、当然なのだろうが。
マントの合わせ目を内から握り、冷えた夜の底を進む。
その昔、追い出された砂の民は岩山の向こうへ潜んだ。と、コルピオは言っていた。海の方向へは、地形がなだらかになっていく。ゆえに反対の、南と当たりを付けて町を出る。
「しかし岩山とは、どれのことか」
いくらかの起伏を越え、町から見通せない茂みに立った。街中よりも冷えが増して、吐いた声が白く曇る。
ぐるり。見る先の半周を、およそ岩山が塞ぐ。突き立った釘のような山頂があれば、どこまでが一つか不明なテーブルのようなのも。
近いもので二十町(約二・二キロ)、遠いもので十里(約三十九キロ)先というところ。
砂の民の住処だ。まず、川の手前ではなかろう。
すると五里よりも先は除けるか。それでいて凹凸に富んだ道中が理想だ。町から少し出たくらいで、すぐに見渡せるような場所は胃に悪い。
「現地司令部か。懐かしい」
攻守を兼ね備えた立地を考えていると、旅順攻略を前にした司令部設置を思い出す。たしかまだ、少佐だった。
もちろんその時は、手の内に銃も砲もあった。部下は百人単位だったし、応援を頼める部隊もたくさんあった。それが今は、腰のサーベルがあるきり。
「芙……」
呟きかけ、己を笑った。国のためなどと
「今も生きた村なら、往来の痕があるだろうさ。しらみつぶしだ」
弱気を押し殺し、手近な山頂を目指して足を踏み出す。まずは川を越え、人の進める道を探さなくてはならない。
そう気持ちを切り替えた矢先。川上の方向から、砂煙の上るのが見えた。僅かな月と星の光にも、白い砂地は明るく見通せる。
「獣にしてはでかいが……」
この土地へ来て、大きな獣には出遭っていない。八人種と同じく、鼠や蜥蜴がせいぜい。そんな小動物の立てる砂煙ではなかった。
推測するに、およそ人間大の四足歩行。鹿も居ると聞いたから、これがそうかなと思う。俺のイメージする鹿は、忍者のごとく隠密なのだが。
どうであれ目立つのはまずい。茂みの真ん中へ入り、やり過ごすことにした。背が低く葉の乏しい根本へ、小さくうずくまる。
砂煙は、まっすぐ俺のほうへ向かっている。既に発見されていたのか。それとも肉食獣に獲物と看做されたか。
いや、たまたまかもしれない。伏せたままサーベルだけは抜けるように姿勢を整える。凄まじい速力の何者かが、この茂みへ到達するのはもうすぐだ。
「そんなところでなにを?」
「……いや」
さっそく、声をかけられた。空荷の馬にも匹敵する勢いを、最後の二歩でゼロにした砂煙の主に。
一段と膨らんだ白い靄が、みるみる天へ昇っていく。
「待っていたのにいつまでも来ないから、探してしまいましたよ」
「それは、悪かった」
予想は間違っていなかった。小柄だが人間大で、四足歩行に近い極端な前傾姿勢で走る少年が正体だ。
「重ねて悪いが、まずは一つ教えてくれ。ワンゴ、どうしてお前がここに居る?」
「どうしてって。エッジ、あなたの案内をするためですよ。
いい歳をした男が、夜の砂地で茂みに潜む。そんな姿を敵でもない十四の少年に見つかって、どんな顔をすれば良いだろう。
汚れた腕と膝を払って立ち、砂のひと粒ずつを手から除くふりをする。
「ああ、マトレと言うのか。その通りだが、なぜそのことを知っている?」
「頼まれたからです。ああ、そうだ。これも渡せと言われました」
いきさつを聞きたいのだが、少年は首をひねるばかり。俺が事情を把握していないほうが、ワンゴには不思議らしい。
それでも頼まれたという役目は忘れず、斜め掛けのバッグからなにやら取り出した。
受け取ると、絹のように光沢のある袋だ。弁当を包むにはやや大きすぎる中身は、どうも硬い。筒状の形に、はっと息を呑む。
「これはまさか、遠見の筒というやつか」
「そうみたいです。ボクも見たことがないですが、ロタさまが言うんだから間違いないでしょう」
「ロタが……」
砂の民の村へ行ってはいけない。間違いなくそう言ったロタから、案内と差し入れが届く。
どう受け取ればいいのだろう。
行ってこいとは間違いあるまいが、なぜ表向きは止めたのか。
「さあ行きますよ。まさかフユコが恋しくなって、泣いていたわけじゃないでしょう」
悩む俺を尻目に、ワンゴは元気良く歩き出した。たった今、自分の来た方向へ。腕と足を、大きく動かして。
「なんだ、見ていたのか」
「はい? 本当に泣いてたんですか」
心強い共連れに笑った。見も知らぬ砂漠に、俺は独りきりでない。
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