第17話:膨れゆく暗雲
「なぜ? どうして襲撃なんて――!」
司祭用の応接室へ移り、やがて城に夕食の匂いが漂い始める。
昼からずっと、ロタは部屋のあちらとこちらを往復し続けた。続報を待たねば、仔細は分からない。真実となると、当人に直接聞かねば。
今出来ることと言えば、その機会をどう作るか考えるくらいだ。
彼女にもその通り伝えたが、すぐに「そうね」と割り切れるものでもない。せめて無駄に体力を消耗するなよと、祈るのが俺のせいぜいだった。
「まさか」
「うん?」
「誰かに嵌められたの? ニクにはそんなつもりがなくて、襲ったことにさせられた」
「その可能性もある」
闇の中へ光明を見つけたように。ロタは立ち止まり、振り返った。
だが全面的な肯定は避けた。判断材料のない状況では、思い付くあらゆることに可能性はある。
「可能性って」
ロタの声に、棘が生えた。名案に賛成してほしいのは分かる。しかしニクの無実を前提とした思考実験に意味はない。
いや彼女がなんの力も持たなければ、「そうかも」くらいは言ってやれた。が、ロタは皇帝と同等の権力を持つ司祭長だ。希望的観測に目を曇らせては、従う者たちが迷惑をする。
「ニクが望んで行ったと、エッジは考えるの?」
「違う。既に言ったが、想像を積み重ねても事実にはならない。知らせを待つしかないんだ」
「それはそうだけど」
見開いていたロタの眼が細められる。まばたきの数が増え、終いに背を向けられた。
しまった。と思うが、どうすれば良いだろう。軍の百戦錬磨と話すのとは違う。分かっているが、言葉が出てこない。
同じようなことが、芙蓉子にもあった。
こんな時、妻は俯きすぐに顔を上げる。そして言うのだ、「対処を教えてください」と。
さしずめ今なら、茶でも飲んで待てと答えた。そうすれば芙蓉子は、その通りにする。
その間に俺は、事態の収集を行う。必要な情報はどこにあるか。その対策はなにか。実行出来るのは誰か。
その誰かが芙蓉子であれば、俺が肩代わりした。妻に苦労をかけさせたくないからだ。
ただしこれは、俺自身が兒島の当主だからこそ。ロタとでは主と従が違う。
「すまん、今は続報を待とう。信じるのはいい。ニクがそんな無謀をとは、俺も思う」
「……いいえエッジ、あなたの言う通りよ。いくらニクでも、身びいきはいけないわ」
俺に向き直って、何度も頷くのは自分を納得させるためか。言い終えて唇を噛むロタに、気休めくらいは言ってやりたい。
「貴様、この醜いハンブルが!」
と、誰か叫んだ。見れば一階からの階段に、一眼人の男が顔を出している。この応接室には、誰もが通れる階段とを隔てる壁が存在しない。
つかつかと近寄ってくる一眼人の声に、覚えがあった。最初に俺の寝床へ案内してくれた男だ。
たしか四十過ぎで、若く見える俺の話し方に怒っていたとニクが言った。
「ニクはロタさまにとって、弟も同じ。私たちにも信ずべき同族。ハンブルごときがなんの疑いをかけるつもりだ、言ってみよ!」
「疑ってるわけじゃない」
「口ごたえをするな!」
わざわざ反り返り、俺を見下ろす。普通に言えば聞き取りやすいものを、声を裏返す。
本当にロタを思い遣ってなら、後で俺だけを呼び出して言えばいい。なぜこの場に怒気を持ち込むのか。
彼女は額に皺を寄せ、声もなく目を閉じてしまった。
「ちょうどいい。お前がロタさまの傍をうろちょろすれば、余計に悪い噂が立つ。この際お前も出て行け」
ちょうどいい、か。語るに落ちたとはこのことで、笑ってやる気分にもならない。言いたいことを言えばいいと、ぼんやり眺めた。
すると次に口を開いたのはロタだ。
「やめなさい、仮にも私の招いた客ですよ」
「しかしロタさま。こいつはハンブルで――」
「エッジ自身が悪事を働いたのなら、客であろうと構いません。でもチキ、あなたのはただの嫌がらせです」
間違っていないが、厳しい指摘だ。まばたきも忘れたように見つめる目は、きっと睨んでいるのだろう。「しかし」とチキが食い下がるのにも、力強く首が横に振られた。
「チキ。わざわざそんなことを?」
「い、いえ。ニクの件で知らせが届きまして」
「それを早く言って。なにが分かったの」
待ちに待った続報だ。両手を胸に抱え、ロタは息を呑む。
けれどもチキは、なかなか言い出さない。理由は聞かずとも、ちらちらと向く俺への視線で分かった。
「いいから言いなさい」
感情を押さえつけたロタの声。さすがに無視できないようで、チキは「は、はあ」と持参したメモを持ち上げる。
「
「私たちが襲われた件を恨みにしたってこと?」
「そのようです。ディランド皇帝が犯人を捜している様子はありませんでしたし、気持ちは分かります」
頭を抱えたロタは「なんてこと」と呻く。チキはなにやら合点したように、繰り返し頷いた。
聞いた通りなら、ニクはロタにかかった汚名を雪ごうとしたわけだ。実力行使では、どうあっても不可能だが。
「これも可能性に過ぎんが。ニクは、皇帝陛下を討とうとしたのか?」
「またなにを言い出すのだハンブル。奴はロタさまの正当性を証明しようとしただけだ」
「正当性を? ではお前を制圧し、俺はハンブルじゃないと言えば心から信じるのか」
「そっ、それとこれとはだな」
ロタが返事をする前に、チキが混ぜ返す。大した思料もなく話しているのだろう、すぐにしどろもどろとなったが。
「いいえ。エッジの言う通りかもしれない」
「ロタさま!」
「違うの、私には見えるのよ。天空神の、この町全ての人を護る光が。エッジには、とても強い光が降りている。それには及ばないけど、チキも他の人より眩しいわ。毎日きちんと祈りを捧げてくれているのね」
その光とやらを改めて見ているのか、ロタは俺の目の前へやって来た。一つ頷き、すぐにチキの前へも。
握手が出来るくらいの、あの距離でなければ見えないらしい。
「でも、ここ最近のニクからは見えなかった。あの子はいつも、サンドラへの祈りが足らない。だからいつからかはっきり分からないけど、ほんの少しも光が降りていないなんて初めてよ」
「それで皇帝陛下を、か」
ロタの首が下へ向いたのは、首肯なのか項垂れたのか。ともかく彼女は、皇帝暗殺説を真実と確信したようだ。
だがまだこれは、憶測の域を出ない。
「教えてほしいことがある。この件と関わりないかもしれないが」
「ええ、なにかしら」
「皇帝陛下が
ニクと皇帝の二人を頭に浮かべた時、思い出すのは一つ。
札管理所へ。即ちコルピオのところへ連れられ、そこで皇帝の出立が早まったのを聞いた。
その時ニクは、やけに驚いていなかったか。司祭長の側近なのだから、おかしいとまでは言わない。
けれど、得体の知れない胸騒ぎがする。
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