第16話:血気の勇

 皇帝が水の都ワタンを出て行く日。

 それはこの町の首都としての日々が終わり、なにもかもが港の町ポルトへ引き継がれる日。

 と言っても見送る側の、屋根付きの椅子にロタは居る。離れた隣にはコルピオもだ。聞いたところ同行できた司祭は、三眼人の他に狗人と蜥蜴人だけらしい。


「今日も忙しいのか?」

「いいえ、これに間に合わせたかっただけだから。司祭長がわざとのんびりして、誰も司祭たちを出発させなかった。なんて、言われたくないでしょう?」

「分かるが。それを言うなら、まずきみが同行せねばならなかったのでないのか」


 新しい首都。新しい聖殿。君臨する皇帝と、唯一同格のロタ。本来なら彼女も、同じような行列の中に居たはずだ。

 普通に歩くよりも少し遅く、皇帝の乗った輿が目の前を通り過ぎる。手を振る住人たちに、悠然と頷いて見せながら。続く兵士や役人たちも、その数は千を超える。


 ああ、あそこへ並ぶのが嫌だったのか。たしかに遅れて行くほうが上位という考え方もある。それなら数日後に出発しても、彼女の立場を傷付けはすまい。

 と勝手に納得した俺に、ロタは振り返って首を振って見せた。小さく、水平に。


「私はここに残る。少なくとも、誰かが住んでいる限りは。年に何度かは祭事のために出向かなきゃいけないけど、それくらいどうにかなるわ」


 取り立てて大きな声ではなかった。だから立ったままでは聞き取りづらく、腰を屈めた。

 もしも周囲に耳の良い誰かが居ても、聞こえたか俺には分からない。


「もしもそれで司祭長に相応しくないと言うなら、交代してもいい。首都でなくなったから。ディランドに着いていかないから。残った人たちがどうでもいいなんて、そんなのないわ」

「ああ……」


 曖昧に、そんな返答しか出来なかった。ロタの言い分が正しいとも、そうでないとも。住人でさえない俺には答えかねる。

 どうしてもなにか言えと言われたら、「強いな」と答えただろう。しかし彼女は感想を求めない。


「そう言えば、ニクはどうした?」


 最後尾が行き過ぎて、問う。この場の護衛は足りている。だが秘書役をも兼ねた、あの男の姿がないのは珍しい。

 ロタは聖殿と宿舎のある方向へ目を向け「それがね」と声に出して笑った。


「昨日からなんだけど、気分が良くないんですって。あの子、これっていう時には必ずお腹を壊すの。昔とちっとも変わらない」

「なるほど、時にそういう者は居るな。責任感の強さゆえだろう、一つずつ慣れるしかない」

「ええ、そう思う。だから気にしないで休みなさいって、自分の宿舎に居るわ」


 ニクの同僚たちも聞こえていないふりで、互いに目配せをし合う。綻んだ口元を見れば、責めていないのは一目瞭然だ。

 しかし腹痛ならば、都合した果物を分けてやるわけにもいくまい。


 ロタの言うまま安静にさせてやるとして、予定通りに午後は札管理所へ行くことにした。護衛でなくただの受付係のワンゴは、コルピオの隣に居ない。


 それから。

 異変が知らされたのは、太陽が天頂に到達したころだ。

 すっかり皇帝が見えなくなっても、後発の隊列が町を出て行った。その混乱に乗じた何ごともないよう、ロタの指示による見回りがされた。

 そういうあれこれも終わった、後のこと。


「ディランドの列が襲われたですって!?」


 持っていた焼き物のカップを、ロタはテーブルに叩き付けた。中身が溢れ、彼女の纏う布にも幾ぶんか降りかかる。

 己の不始末に顔をしかめ、拭き取るのは世話係の侍祭に任せ、彼女は深呼吸をした。


「私の聞き違いではないわね。皇帝であるディランドの列が襲われた、と」


 ロタが専用に使う、食事用の大テーブル。俺も彼女から遠い対面に座っていた。

 皇帝が居なくなって、城が広くなった。ささやかな祝いとして茶に付き合え、と言われたのだ。

 実のところは皇帝への愚痴ばかりで、やけ酒の様相だったが。


「仰る通り間違いありません」

「誰か怪我は? それに水の都ワタンの近くまで来てるなんて、どこの軍勢なの」

「それは――」


 ロタの護衛の一人。と言うより私兵に近い役目の一眼人は、主の問いに声を詰まらせた。

 言い難い内容に、口ごもったのとは違う。なにやら込み上げた感情が、喉を圧したように俺には見えた。


「焦る必要はないわ。でも聞かないわけにもいかない。なにがあったの」

「知らせに誤りがなければ、陛下は無傷。襲撃したのは一眼人の集団です。首謀はニク。私的に付き合いの長い、若者ばかりを連れて」


 温かなロタの言葉に、私兵の男は口調を柔らかくした。

 その代わり、今度はロタが言葉を失う。聞いた瞬間に歯を食いしばる音がしたのは、おそらく聞き違いでない。


「……念のために聞くけど。宿舎には居ないのね」

「居ません。その場で捕らえられ、港の町ポルトへ連行されたそうです。ですから数日中には」


 ニクがどうなるのか、私兵は結論を言わなかった。しかし一国の長を襲って、死刑以外はあり得まい。

 こんな時、なにを言えばいいだろう。信頼する護衛の、姉のような人物に。


「エッジ、聞いた通りよ。あなたには関係ないけど、しばらく目立たないようにして。あなたまで共犯と言われかねないわ」

「気を付けよう」


 咄嗟に慰めの言葉も浮かばない俺の身を、ロタは案じてくれた。

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