第二幕:瞑怒雨の季

第15話:若い世代

「首都を動かすのに、ボクは賛成ですよ。だって無駄じゃないですか」


 全く理解できない。と言いたげに、ワンゴは両手を広げた。

 コルピオの取り仕切る札管理所へ通うようになって、既に九日。受付係の狗人とは、すっかり打ち解けたように思う。


「商売のことはそうかもしれんが、聖殿はおいそれと動かせんだろう」

「なぜです?」

「なぜって。天空神は、八人種が共通して崇める神だ。同時にあそこへは、お前たちの先人が作った宝物がある」


 ふさふさの白毛に覆われても、なお細身の腕が地図を取り出す。半袖と膝丈ズボンの少年は、もう警戒することなく俺の傍までやって来る。

 目の前のテーブルに、丸まった紙が広げられた。どこの世界でも、犬は日なたの土の匂いがするらしい。


「いいですか? 東西の隣国は、大きな町が海の近くにあります。港の町ポルトへは街道が整備されていないので、みんな仕方なく水の都ワタンへ来ていたんです」

「それは理解した。俺の言うのは、そういう利便の問題でない部分だ」


 理詰めでなら、ワンゴの言い分に誤りはない。仕方なくとは言い過ぎにしても、経済の中心への距離が縮まれば喜ぶ者が大多数のはず。


「どういう部分です? ボクも見たわけじゃないですが、新しい聖殿も用意されるんです。神像を丁重に運び、もちろん宝物の祭壇もある。なにが問題だって言うんですか」

「その、なんだ。容れ物だけ用意しても、中身がな」

「中身も移動させるんですよ」

「いや、そうなんだが――」


 俺を責めているのでないのは分かる。ワンゴは知識欲の強い性格なのだろう。こちらの言い分を理解しようと、対照として自身の認識を口にする。


「ケフッ、ケフッ。お前たち、人が忙しくする横でじゃれ合うな」

「そんな、コルピオ。当面の受付はしないんでしょう? そしてあなたの仕事には触れるなと言われた。だからボクは、あなたの嫌うエッジの応対をしてですね」

「分かった分かった。その有名人はだ、聖殿の役割りだけでなく、部屋ごと移せと言うのだよ。出来るなら城ごとだ」


 コルピオが多忙なのは、偽りであるまい。ロタも朝から、各人種の司祭からの問い合わせにてんてこ舞いだった。

 その上で一眼人の侍祭に指示を与え、全体の引っ越し作業の監督もせねばならないらしい。


 この札管理所にも、働く者が大勢居る。大概のことは自分たちで判断しているようだが、最終確認だけはコルピオでなければ出来ない。

 まあそれもワンゴに言わせれば、「何年も担当者に任せきりにするからでは?」となるようだが。


「城ごとですって? それこそ出来るはずがないじゃないですか。積まれた石を全て運ぶのが不可能とは言いませんが、港の町ポルトの近くでも石は採れます。それに城には幽霊が――」


 勢い余って、少年は自分の口を押さえた。「幽霊?」と復唱しても、ぶんぶんと首を振って否定する。


「なるほど、聖戦の時の」

「違います。ボクはそんな噂のあるものを、わざわざ動かす必要がないと」

「幽霊に怯えるなら、分かるだろう。神や先人の威光は、一つの神像や宝物だけに宿るのでないと」


 どうしても認識を同じにしたい、などとは思わない。誰がどう考えようと、既に為された出来事は変わらないのだから。

 ワンゴと話すのは、ロタやニクともまた違う意見を持っているから。それにこうしてからかった時の反応も、真面目で面白い。


「怯えてません」

「そうか、悪かった。ところでワンゴ、歳は幾つだった?」

「十四です」

「それでもう一人前に働いているのだな。俺がその歳には、まだ母親に言われた手伝いをするのがせいぜいだった」


 少年の鼻息が荒くなる。表情の変化は分からないが、垂れた尻尾の先がはたはたと揺れ始めた。


「近くの墓地で幽霊が出ると聞いて、一年ほども傍を通れなくもなった」

「だからボクは怯えてません!」


 尻尾がピンとまっすぐに伸びた。そろそろ潮時らしい、悪かったと地図を筒にし、ロタにもらった焼き菓子を付けてやる。

 するとワンゴはため息を吐き、「やれやれ」と言いながらも菓子を口に運ぶ。


「まったく。ボクはハンブルも人それぞれと思ってますが、エッジだけはやはり極悪と言わざるを得ません」

「なぜだ。無法を働いた覚えはないぞ」

「他のハンブルは、きちんと等価を支払います。物でも金銭でも。あなたの非礼に対して、焼き菓子一つでは釣り合わない」


 文句を言いながら、少年は俺の渡した物を拒んだことがない。毎日、昼前の一時間くらいを過ごすのに、うまい茶を淹れてもくれる。


「分かった。明日はもっとたくさん持ってくる」

「エッジ、あなたは居候でしょう。そんな期待をするほど、ボクは馬鹿じゃない」


 札管理所には、多くの出入りがあった。聞いた通りに行商人を眺めることが出来たし、その連中を相手にするこの町の住人も。

 俺が居たところで、芙蓉子の名の出る確率が上がりはしない。


 身寄りのない女が、安全に暮らせるのはどこか。そういう女を拐っていくような場所はないか。

 この国を出て行く時、次に目指す場所の目星をつけておかねばならなかった。


 とは言え傍目には、暇そうに座っているだけだ。そんなことにロタやニクを付き合わすことも出来ない。

 だから行商人たちと同じく、顔を隠す物をコルピオに譲ってもらった。豆茶コーヒーで煮しめたようにどす黒い、フード付きのマントを。それさえあれば、俺は怪我をせずにここまで辿り着けた。


「さて。ではそろそろ戻って、菓子の都合でもするとしよう」

「期待はしませんよ。ああそれに、明日は皇帝陛下が港の町ポルトへ発つ日です。たぶん午前中は、ウロウロしないほうがいいです」

「遅れて来ようとは思っていたが。午後からがいいのか、忠告ありがとう」


 建物を出る俺に、コルピオがなにも言わないのは毎回のこと。今日はワンゴからも、「シッ、シッ」と追い払う仕草を頂戴した。

 芙蓉子はどこに居るか。考え始めると気の遠くなるのを、少年は紛らわせてくれる。


 あと数日。準備が整えば、二人ともが町を出て行ってしまう。冗談ではなく、ささやかな礼くらいは用意したいと思った。

 ――だが。この日ロタにもらった菓子と果物を手渡す機会は、永遠に訪れなかった。

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