第12話:踏み出す一歩

 また別の向きから、背中の側へ引っ張られた。咄嗟に足を出したが、今度は反対に引き倒される。目の前へ迫った石畳が、落ちた汗を蒸気に変えた。すぐ脇に四、五人。その合間からまた二、三人分の手足が出てくる。


 せめて人相を覚えようにも、顔の区別がそもそもつかない。鼠人と角鹿人が見えたのは、間違いないけれど。

 こうなると、もう自力で立ち上がるのは難しい。手足を縮こませ、身体を丸め、亀のごとく。隙の生まれるまで耐えるのみだ。


「おい何やってんだお前ら!」


 三十歩ほども先から、ニクの怒声が駆け戻る。

 きっと目隠しの人垣が何枚もあるはず。それを掻き分けるのに「くそ、どけよ!」と、声に怒気が増していく。


「エッジ!」


 やがて、紅潮した顔が覗く。と同時に最後の人垣は自ら崩れ、散っていった。

 俺を助けてくれるのは、片膝突いて手を差し出す一人だけ。ならば立ち去ってしまえば、危害を加えた証拠は残らない。

 闇討ちは砂の民でなく、森の民の十八番オハコだったかと思うほどのやり口だ。


「おいエッジ、意識はあるか!」

「問題ない。すぐに来てくれたおかげでな」


 手を取り、跳ね起きる。ほぼ無傷を知らせるためと、ゆるゆる立ち上がっては死角が危ない。


「お、おお。無事なら良かった」

「無抵抗を囲むのには慣れていても、戦いやり慣れていないらしい。痛いは痛かったが」

「すまん。ハンブルを連れるのは初めてで、俺もこれほどと思わなかった」


 ニクの手が、全身をくまなくはたいてくれる。舞い上がる白煙が、芙蓉子の得意料理を連想させた。


「大丈夫だ。焼け石で天ぷらになるかと思ったがな」

「てん――なんだそりゃ」

「いやとにかく、目的地へ急ごう」

「いいのか? 一度宿舎へ戻ってもいいが」

「問題ない」


 急ごうとは言ったが、結果として歩くことになった。ハンブルを憎む住人たちも、それがロタに伝わるのは避けたいようだったから。

 ニクと並んで。むしろ俺が半歩先を歩くようにして進むと、これ以上の被害を受けなかった。

 決して真正面からは向かってこない、灼け付くような視線は感じ続けたが。


「遠慮は要らない、扉を開けろ」


 城から伸びる大通りを、一つ折れた横道。これも車が行き違える程度には広かった。

 通りに面した大きな壁に、ぽつんと。板を貼り付けただけのような戸を、ニクは目的の場所と言う。

 建物の規模は、周囲の数倍もある。入り口とのアンバランスさに奇妙を感じるものの、言われるまま扉を開いた。


「噂をすれば。ようこそ、有名人」


 中は十畳ほどの広い部屋だった。それでも建物全体から言えば、五十分の一程度だが。

 入室した者を壁と挟むように、長いテーブルが置かれている。そこで何やら、重ねた木札を勘定する小柄な狗人が一人。

 だが口を聞いたのは、その人物でない。正面奥に陣取る、蠍人だ。


「昔の因縁も忘れ、呑気にやってきたハンブルをどうしてくれようか。企みは万端整っている、ということかな」

「そういう奴も多い、と言っただけだよ。ここは忙しくてな、それどころでない」


 目の前で話しているのに、狗人はちらりとも視線を寄越さない。数えた木札を帳面に書きつけ、また足下から別の木札をテーブルに載せる。


 忙しいと言った蠍人は、じっと俺を見つめ続けた。脇の茶卓子ティーテーブルからポットを取り、握ったカップに中身を注ぐ時もだ。


「コルピオ、からかわないでくれ。早速やられたばかりなんだ」

「ハッ、それはそれは。互いにご苦労とは思うが、止める理由もないのでな」


 ニクは部屋の真ん中のテーブルまで、俺の背中を押した。背もたれのない椅子を隅から勝手に持ち出し、知った風に振る舞う。


「構わんが、そろそろ教えてくれてもいいだろう。ここがどこで、俺はこの男となにをして遊べばいい」


 椅子に座ると、狗人が奥の扉に消えた。が、すぐに戻って茶を出してくれる。土を焼いたカップが湯呑みのようで、赤い液体は番茶に似ていた。


「コルピオは蠍人の司祭だ。それからここは札管理所で、その管理人でもある」

「札管理所?」


 聞いて狗人の手元へ目を向けた。こちらからだと、足下の木箱から溢れんばかりの木札まで見える。


「サンドレア帝国は、北の流通の要なのだよ。多くの者は難所と呼ぶがね。ともあれ訪れた商人は、取り引きの書面をここに置いていく。次の商いに使う木札を買うのもな」


 詰まるところ、税関のようだ。行商人に好き勝手をさせても、国は潤わない。だから商売を許す手数料を払えと。木札を持たずに商っている者が居れば、おそらく厳しい処罰が待っている。


「ああ、なるほど。売り上げに応じて、札の値段も毎回違うわけだ」

「……驚いた。ハンブルとは、盗っ人にだけ長けた種とばかり考えていたが。まさかと思うが、計算という言葉を知っているのかね」


 鷹揚というか不遜というか。どちらかと言えば後者の雰囲気の強かったコルピオが、カップを茶卓子に置いた。

 空いた手を顎にこすりつけ、座ったまま俺の顔を覗き込むようにする。


「俺もまさかと思うが、訪れる商人とはハンブルも含まれるのか」

「含むどころか、八割まではハンブルだよ。各々、顔を隠しておるから、目にはつかんだろうが」


 連れられた意味を理解した。ロタは芙蓉子を探す手伝いをすると、その約束を忘れていない。蠍人の司祭とは、なにか折り合いがあるのだろう。だからニクに案内を頼んだ。

 もう少し安全に気を配るよう言ってもらえれば満点だったが、そんな減点も吹き飛ぶほどにありがたい。


「どうした、真っ赤な顔をして。芋粥でも詰まらせたか」

「そうだな、さっき食べたのを戻しそうだ。なあコルピオ、芙蓉子という名を聞いたことがないか。女だ」


 舌の根辺りまで込み上げた感情を飲み下す。行商人なら、近隣の情報にも強いはずだ。

 もちろんその範囲に芙蓉子が居るとは限らないが、千里の道も一歩からと言う。


「フユコ? 聞かんが」

「コルピオ、俺からも頼む。それにロタさまも、どうか協力してほしいと仰っていた」


 俺の問いを、コルピオはつまらないと感じたらしい。浮かしかけていた腰が、ゆっくりと戻った。

 それを見てだろう。ニクも口添えをしてくれる。


「ロタさまが? 手ずからハンブルを拾ったとは、偽りでなかったか。行商人と言えハンブルに、一時でも自由を許さない方法はないかと。常には仰る方だ」


 彼女が心の中ではハンブルを嫌っている、とは意外でない。俺に良くしてくれるのは、人種の枠を越えた別の理由と思う。それがなにかは、さっぱり分からないけれども。


「まあいい、恩を売る材料と思えば安いものだ。なにか分かれば知らせてやる」

「恩に着る」

「大胆な男だな。ほかにあれば、もう一つや二つは聞いてやれるが」


 コルピオは司祭である前に、商人のようだ。ハンブルの俺を敬遠しながらも、自身の利得に繋がる種を探している。

 この男の天秤が計算に偏っているのはともかく、問いたいことなら一つあった。どうもロタには酷な気がして、口に出せない。


「それなら教えてくれ。この国でハンブルは、いったいなにをした」

「ハンブルが? よく気付くと思えば、基本を知らん。妙な奴よ」


 荒く鼻を鳴らしたように、コルピオは息を吐く。なにがこそばゆいのかと思えば、どうも笑っている。


「そう馬鹿にしないでくれ。聞くは一時の恥だが、聞かぬは一生の恥だ」

「なるほどたしかに。まあ、それほど長い話にもならん。聞かせてやろう」

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