第10話:森と砂の民

「なぜだか聞いても?」


 とは今さらだ。無関係の者の聞いて良い境界は、とっくに通り過ぎてどこだったやら。

 だがここから、一段と深くなる。聞けばきっと、後戻りは出来ない。

 俺にはその心積もりがあるけれども、しかしロタは。ロタを慕う者たちに、不和を招かないか。

 そういう部分を改めて問うてみた。


「――もちろん。聞いてもらわないと、むしろ困るわ」


 彼女は目を合わせたまま椅子を立ち、やはりそのまま頷く。

 それから、すっすっとしっかりした足取りで窓辺に向かう。一つの窓に留まらず、三つある全ての景色を指し示す。


「見て、これが私たちの国よ」

「ああ。灼熱の風は乾いて、息をするのもためらう。しかし少なくとも、きみの周りだけは潤っている。それは住む者たちが、きみを正しいと考えているからだ。むろん、皇帝陛下の周囲にも居るのだろうが」


 眼下には、水の都ワタンの街並み。名の通り、たくさんの泉が散らばった。

 その一つひとつを囲んで家が建てられ、集まった境界を接して町となる。そんな時の流れが、目に見えるようだった。


 川の向こうには果てしない砂漠。岩山もあるが、ここからではどこにも生命を感じない。

 対して手前には、川沿いに草地が伸びゆく。さすがに河口の町までは見えないが、きっとそこまで続いている。

 川から離れても、ちらほらと低木の茂みが見える。川を挟んであちらとこちら、随分と居心地が違いそうだ。


「湖があるんだな」

「ええ。川が折れ曲がっているから、溜まったんでしょうね」


 三日月湖というやつだ。町のすぐ下流に、巨大な窪みがある。野球場の三つや四つ、優に入ってしまうほどの。

 川が曲がったのは、北の丘のせいもあるだろう。乏しい流れに応じて、どの道今は干上がっているが。


「川と、泉と、湖。探し出したのは私たちのご先祖よ。川のこちらに一眼人と、狗人。それから鼠人ラトルに、角鹿人セブル

「三眼人は川の向こうか」

「ええ。だから彼らが、私たちを森の民と蔑んで呼ぶのも分からなくはない。八人種の中で、誰が最初だったかも知らないしね」


 蠍人と蜥蜴人は、三眼人と同じ川向こうからこの水辺に辿り着いた。ならば今も協力的なのは理解できる。森などとはとても呼べない僅かな緑を、あえて皮肉る気持ちもなんとなく。


「でも。卑怯者のハンブルから町を奪い返したのは、全員の力だったはず。それを今になって、ディランドはあれこれ言い始めた」


 俺もそのハンブルに属するそうだが、ロタははっきりと言った。

 既に開拓した土地を奪われれば、そういう評価は仕方がない。単なる悪口とは違う。


「なにか不公平を?」

「いいえ、まだそれほどのことは。兵士の八割が砂の民になったり、遷都の発表される一年も前から移動が始まってたり」

「それも十分にひどいが」

「ええ、もちろん」


 頭痛を堪えるように、ロタは額に手を当てる。ほんの数瞬、視線が床を向いたのが、彼女の苦慮を物語った。


「いっそ弾圧でもしてくれれば、こちらも確固たることを言えるの。でもあの男は、決して尻尾を掴ませない。前の司祭長が亡くなったのだって――」


 発言力のある者を闇討ち、暗殺。なるほどそれはタチが悪い。実際にロタと出会った最初からそうだったのだ、説得力もある。

 前の司祭長と言えば、ニクの親と聞いた。彼を見ると、「気にするな」とばかりに肩を竦める。


「話が見えてきた。しかし皇帝陛下は、なぜそうまでする。兵権を握っているなら、もっと大胆でも良さそうなものだ。森の民を結集させてはいかん、と考えるのかな」

「それもある。でももう一つ、蜥蜴人が生粋の戦士ということ。誇り高く、筋が通らないと思えば全力で抗う。彼らを敵にしないためね」


 ああ……と、言葉に詰まった。

 条件が折り合わなければ交渉にならず、一族が死に絶えるまで戦い続ける。ジャングルの奥地で、そういう者の集う名も知れぬ集落にも出会った。


「よく分かった。それなら魚人を取り込むことを考えねばなるまい。結果が伴わなくとも、行方不明者を必死に探していると見せつけるべきだ」

「気が進まないけど、言う通りね。でも無闇に人を繰り出すだけ?」


 小さくため息を吐きつつも、ロタは首肯した。まつ毛を撫で、座ったままのニクを眺める。


「海流は分かるか? 流れ着く先に調査を出そう。魚人の島と、他に分かっている住処があればそこも。仮宿があると言ったな、こっそり戻っていないか見張りを置くといい」


 見つからないにしても、意図が知りたい。魚人が消えた、とは直接的に誰の意図なのかを。


「国境に近い町の出入りも押さえられればいいんだが」

「ニク、どう?」

「今日、明日ってわけにはいきませんがね。手配しましょう」


 ロタが頷き、ニクは部屋を出て行った。軽やかに階段を下る音が、石壁に響く。

 しっかりと彼女を立て、身内のようでもある。年齢も踏まえれば、側近としてかなり優秀な部類と思う。


「色々と思うところはあるはずだが、いい男だな」

「ええ。親のことを、自分からはひと言も口にしない。でも若いから、心配も多いわ」


 開け放たれた扉を眺め、ロタはしばらく沈黙した。

 姉と弟、幼馴染のようでもあるのだろう。そう考えると、迂闊なことを言い出せない。たっぷり三分ほども経ち、なお黙ったままの彼女に問う。


「ところで、もう一つ聞いてもいいか。俺はきみらの言うハンブルだそうだが、どうして信用してくれる?」


 ロタは自身の感情を、抑圧しているように感じる。見た目に分からない分を差し引いても、だ。

 それでもハンブルという人種への忌避感だけは、食わず嫌いの納豆を見たがごとし。

 あからさまに「食えない」とは言わないが、テーブルの反対へ押しやる様が時に見える。


「見えるのよ」

「見える? まさか天空神の導きがか」


 見えないはずのなにかが見える。と言うなら、それくらいしか思い付かなかった。

 本当にまさかと言ったのだが、ロタは唇を微笑みの形に頷く。


「だから私は、この歳で司祭長を継いだの。でもそのせいで、余計に心配なこともある」


 怪我を治すことに加え、俺の常識にない力が彼女にはあるらしい。

 一旦は逸らした視線を、ロタはまた階段に戻す。ニクになにかあるのか聞いても、「分からないの」と。

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