第9話:変わり目
「やれやれ」
腰を上げつつ、ロタは呟いた。
首を傾げ、大きくひと呼吸。同時に目を瞑り、一拍置いて開く。と、声のするほうへ視線を投げ、ニクを呼ぶ。
「私はここです! 取り乱すものでありませんよ!」
「ロタ――」
かちり。音を立てて、なにかのスイッチが切り替わった。いや実際に鳴ったわけでなく、俺の目にそう見えた。どこがどうと問われても、しかとは答えられないが。
一つだけ言えるのは、眼だ。大きさに圧倒されるが、俺には見慣れた黒い瞳。たった今まで柔らかな水まんじゅうのようだったそれが、硬く鋭い
長く軍という組織に居た俺には、鋼鉄の色味にも思える。
「ロタさま、休息のところを申しわけありません! しかし緊急で、魚人たちが――」
「待って」
岩と砂の斜面を滑り降りたニクは、息急き切って話し始める。しかしその口を、ロタの手が塞いだ。
「ねえニク。水が冷たくて気持ちいいわ、まずこれを飲みなさい」
「しかし」
「いいから飲みなさい」
そっと手が離される。するとニクも渋々ながら腰を屈め、両手に水を掬う。
「これでいいですか」
「ええ。それで? あなたが話そうとしているのは、ここで聞いていいの?」
言って、ロタの顔が上向く。倣って見上げれば、岸のところにたくさんの住人たちが居た。二十や三十でない数が、川底の俺たちを見下ろしている。
ほとんどは先ほど見かけた鼠や鹿、狐の姿をした。けれど中に、初めて見る姿が混ざった。
髑髏を思わせる痩せぎすの顔に、大小の眼が六つ。
六眼人というのも居るのか? と思ったが、どうも一眼人や三眼人と印象が異なる。鼻は見当たらず、口元は左右から赤子の手のような蓋が塞ぐ。
全体的に刺々しく硬そうな風貌は、
どこかで見たことがある。故国だけでなく戦地での僅かな記憶も掘り起こし、ようやく辿り着く。
「
俺の独り言に構わず、ニクは首を横に振る。
「いいえ。すぐに聖殿へ戻ってください」
「分かったわ。エッジ、戻りましょう」
二、三人の蠍の顔を持つ者たち。それが原因かは分からないが、ロタとニクは城の方向へ戻り始めた。
祭壇のあった一階を通り、宿舎があるという二階と三階を横目に、五階にまで上った。
最上階のそこには一室しかなく、分厚い扉をニクは厳重に閉じる。
「魚人たちが消えたそうです」
「消えた? 魚人島へ戻ったとか、誰かと争って死んだとかではないのね」
「そうです。今日の工事に、誰一人現れなかったと」
ロタとニクは奥の窓際で向かい合い、声を潜めた。
魚人と聞いてギョドを思い浮かべたものの、どうも違うようだ。偏見だがあの肥満体は、工事を請け負うように見えない。
「とうとう始めたのかしら。でも最初に魚人を狙うなんて」
「分かりません。ですが専用の仮宿に、荷物も置きっぱなしのようで」
「誰かに襲われたのは間違いない、のね」
「おそらく」
物騒な事態とは分かるけれど、話の中身がさっぱりだ。しかし割り込みはしない。少なくとも、ロタがまつ毛に触れなくなるまでは。
ただし同室させたからには、俺にも聞いていろと言うのだろう。部屋の真ん中のテーブルに着き、一眼人の二人を眺める。
「荷物が残っているなら、
「信頼の置ける奴を選べと、頼んであります。うまく行くか分かりませんが」
「そう。それなら他には……」
会話が止まった。
居なくなった魚人たちの行方を知る術か。協力したいが、それにはこの土地の常識を知らなさ過ぎる。
ギョドに問う。それ以外にあるか考えていると、ロタの指が動きを止めた。
「ねえエッジ。行方不明の人たちを探すのに、いい案はない?」
「考えているところだが、その前に教えてくれ。魚人たちの工事とはなんだ」
質問に質問を返すとは、我ながら不躾だった。しかし暗闇のままよりも、灯りを確保したほうがいいに決まっている。まだ目の前に敵が居るわけでないのだ。
「そうね、慌ててしまってごめんなさい。魚人たちが消えたのは、
なにも知らない部外者が居ると、思い出してくれたらしい。それでもロタは、出て行けと言わなかった。
空いた椅子に腰かけながらも、順に話してくれる。
「ディランドは外洋貿易をしたいと言っているわ。それには大きな港が必要で、
「魚人は陸の上より、水中のほうが動きがいい。工事夫にはもってこいってわけさ」
国を富ませるには、外貨が手っ取り早い。港を大きくすることは、皇帝ならば普通に考えるだろう。その場合、貿易相手はハンブルにならないのかと疑問は残るが。
「もう分かると思うけど、サンドレア帝国は一枚岩に程遠いわ。そもそも聖戦のときから、一眼人寄りと三眼人寄りに勢力が分かれたの」
「首都の移転が決まって、とっとと移動したというのがそうだな。先ほど蠍の顔を持った者を見たが、あれか」
あの場で話を続けてもいいのかと、ロタはニクを諭した。つまり聞かれてはいけない相手が居たことになる。
もちろん内容によっては、慕ってくれる者でもまずかろうが。
俺の推測に、ロタはこくこくと頷いた。
「あれは
「魚人もついでだ。浮気癖のせいで、信用されてないがな」
勢力分布はおよそ分かった。この国には八つの人種が居るのだから、一眼人と三眼人にそれぞれ三種の味方がある。ニクの言うように、魚人は浮動的としても。
「それで魚人が最初なのはおかしい、か。すると皇帝陛下は、国の半分を排除しようとしている。そう聞こえてしまうが?」
異なる国、異なる種。それらを統べる為政者を、皇帝と呼ぶ。少なくとも俺の仕えた国ではそうだった。
だからこの問いは、違うと答えてほしかった。しかしロタは、首をおもむろに縦方向へ動かす。
「まだ確証はないの。でも私たちは、そう考えているわ」
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