第6話:芙蓉子は居るか

「それが本当なら、是が非にも芙蓉子を探し出す。しかしロタ、なにか根拠があって言うのか。たとえばそう、誰か前例があるとか」


 馬鹿な、あり得ない。ロタの言葉を妄言と聞いたはずだ。

 俺は芙蓉子の葬式を、自分で取り仕切った。近所の人々や上官の方々が、やってやろうと言ってくれたのに。

 そうすれば、妻の優しさに少しは報いられる。という下心があった。約束を反故にし、富国強兵などと。くだらぬことに没頭した己への言いわけだ。


 だからこそ覚えている。玄関から寝室まで幕を張り、表には花籠と提灯を並べ、箪笥に位牌を、踏み台に棺桶を載せた。あの物悲しさは、なんだったと言うのだ。

 そう、思うのに。

 俺はまた、下心を持っている。ロタの言葉が真実であればいいと。その証拠を見せろと舌の回りが早くなる。


「だから前例は、あなた自身よ。気に入らなければ、サンドラの伝承を聞かせてあげる。どこまでも見通す鷹の眼が、求め合う者を引き合わせた話はいくらでもあるわ」


 部屋の中央まで進んだロタが、つかつかと戻ってくる。不躾に俺を指さし、その次は自身の崇める神の像を指した。


「しかし、芙蓉子は死んだ。間違いなく」


 冷たくなった頬に、何度も触れた。この両手にまだ、その時の感触が残っている。どんな漆器よりも滑らかで、氷菓子よりも冷たかった。

 自分で触れた感覚と、誰かから聞くおとぎ話。どちらを信じるべきか、最初から知れている。


「でもあなたは生きている。でなきゃ、この胸の鼓動はなんだと言うの?」


 すっ。と華奢な腕が伸び、指先が俺の胸に触れる。およそ真ん中、ぴたり心の臓の真上を。

 女から男に触れるとは、はしたない。だが許しも得ず、俺も彼女の素肌に触れられなかった。

 いやロタは、話の流れでそうしただけだ。不可抗力だ。これはなにも、芙蓉子を裏切ることにはならない。


「エッジ、あなたも誰かに殺されたと言ったでしょう? でもあなたは生きているの。私はその場に居て、寸前まであなたの姿がなかったのを知ってる。あなたの祈りをサンドラが見つけたとしか思えない」

「ゆえに芙蓉子も、か。可能性を論ずるに間違っていないが、不確定が多すぎる」


 幸いに二重の衣服が、彼女の体温を遮ってくれた。視線をロタから外し、意味もなく辺りを見回す。

 ぐるり、円の内側に扉の多い部屋だ。入ってきたのを含め、十枚もある。


「だから居ないと決めつけるの? たしかに私も、必ず居ると保証は出来ない。でも探す手助けはしてあげられるわ。それともあなた、十割の保証がなければなにもしないと言うつもり?」


 強く突きつけられていたロタの指が、だらんと落ちる。俺を見つめる眼からも、力みが引いた。いささかに呆れられたらしい。

 けれど、それも仕方あるまい。彼女の言い分は、いちいちもっともだ。


 仮に。芙蓉子が居ないと十割の保証があったら、俺はどうするのか。妻の居ない場所に用はないと、世を儚むのか。

 勝手の分からない俺を助けてくれると言うなら――。

 縋ることは、きっと恥でない。


「ああ」

「ああ、って。そんな弱気で――」

「いや違う、きみの言う通りだ。どれほど少ない可能性であったとして、ゼロではない。ならば今の俺にやれることは、そこに向けて歩むだけだ」


 ロタの拳が揺れて、苛立ちの大きさを示す。物に当たるでもなく、幼い子どものようで可愛らしくはあった。

 俺の返答を聞いて、素直に動きを止めるところなども。


「良かったわ。まさかこのまま、無気力にのたれ死ぬのかと思ってしまったもの」

「俺もそう思った。だから、きみの口車に乗ることにしたんだ。さあロタ、妻探しを手伝う代わりに、俺になにをさせる気だ?」


 ここまでの言動から、きちんと計算の出来る人物と分かった。これは厭味でなく、褒め言葉だ。

 その彼女。若しくは一眼人の全体が、皇帝を含む三眼人とおそらく揉めている。部外者の俺をどうしようと言うのか、そこだけは想像がつかない。


「え。あなたに、なにを――?」

「違うのか。皇帝陛下は、盗っ人がどうのと言っていた。なにかそういう揉め事があるんだろう?」


 かなりの確信を持っていたのだが、ロタの声は間抜けに力を失った。ぱちぱちとまばたきをして、これはポカンとしているので間違いないだろう。


「ロタさま、例の件です。エッジは手伝うと言ってくれてるんですよ」

「あっ、ああ! その件ね、うっかりしていたわ」


 素早く傍へ寄ったニクが、小声で促す。と、どうにか本意を思い出したようだ。

 俺と話すうち、彼女も迷子になってしまったか。慌てた様子で頭や顎に触れる。


「周りを見て」


 一つ、咳払い。それだけで平静を取り戻し、ロタは周囲の壁に指を向ける。神像の他は、十枚の扉しかない。


「一つはさっき、入ってきた扉。反対は、宿舎へ上がる階段の扉」

「他の八つは?」

「仲間の扉よ」


 言いつつ彼女は、神像の左にある扉へ向かった。着いていくと、一眼人と見える彫刻レリーフが飾られている。

 もう一つ左の扉には、鹿のような姿が。どの扉も、それぞれ違った人種を示すらしい。


「ハンブルとの聖戦で、力を合わせた八つの人種。この扉には、それぞれの種の捧げた宝物があるの」

「理解した。戦いに役立った、聖なる武器というわけだ」


 ロタは頷き、「でも」とため息を吐く。同時にまぶたも閉じ、しばし黙る。

 次に開いた眼は、神像を挟んだ隣を睨む。俺にもそうと分かるくらい、強い嫌悪を篭めて。


「その扉にはなにもない。以前はあったわ、でも誰かに盗まれた」


 どの人種の扉か、想像がつく。が、しかと見る。

 やはり。取り付けられた彫刻に、三つ目の人間が彫られていた。


「三眼人の扉か。鍵は?」

「もちろんあるわ。開けられるのは三眼人の司祭と皇帝。それに、司祭長の私」

「つまり皇帝陛下は、三眼人の宝物をロタが盗んだと疑っている?」


 長いまつ毛を指で触れ、ロタは首肯した。もちろんここまでで言えば、他に疑う者は居ない。強いて言うなら三眼人の司祭が、狂言をしているくらいだ。


「私が誰かに指示して盗ませたそうよ」

「それを俺に探せと言うのか」

「いえ、それは無理だわ。私なら、なにも知らないあなたが辿り着く場所に隠したりしない」

「つまり皇帝陛下自身の狂言を疑っているんだな」


 また彼女は、少しの間を黙した。頭痛を堪えるように、額の辺りをさすりながら。


「……あなた頭の回転が速いわね。おかげで私は、頭が痛いわ」

「芙蓉子のためとなればな。しかしそうなると、俺の役目がない」


 疎まれているハンブルとやらの立場では、行動も制限されるかもだ。諜報や裏工作でないなら、なにをすればいいのやら。


「まだ具体的には。でもきっと、近いうちになにか起こるわ。その時あなたは、サンドラに導かれた者として私の隣に居てほしい」

「そんなことでいいなら、頼まれよう」


 どうにも食客のようで、居心地が良くなさそうだ。だが多少も待てば、状況が変わるだろう。

 急いては事を仕損じる。我慢の時と己を納得させたところで、一枚の扉が開いた。三眼人の扉の、一つ向こうが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る