第5話:皇帝と司祭長
「エッジ、お呼びだ」
謁見室と聞かされた扉を、先に入ったニクが開いた。そろそろ慣れたつもりだったが、やはり咄嗟に目を見張ってしまう。
ともあれやはり先に入室した、この国の最高位にあるという司祭長に呼ばれて否はない。同じ場所に皇帝が居ると聞かされては、なおのこと。
深く息を整え、扉の中へ足を踏み入れる。
十間ほどの奥に、大きな背の付いた椅子が二脚。向かって左にはロタが、右には上下真っ白な衣服の男が座る。
我が帝国の作法で良いのか、迷いつつも目を伏せて前に進んだ。床へ目印に布が敷いてあるので、きっと間違ってはいまい。
「そこで良い」
左右に並んだ臣下の誰かに言われ、もちろん素直に従う。片膝を突き、頭を垂れて次の言葉を待った。
「ハンブルにしては、よく人間の所作を躾けられたものだな」
「ディランド。仮にも私の招いた者ですよ」
「これは失礼、過ぎた礼に戸惑ったのだ。この城で、そこまで畏まらずとも良い。顔を上げよ」
右前から、明らかに見下した声が落ちてくる。
姿勢は変えず、言われたまま顔を上げた。三十代半ばといったところか、焼けた額に宝石付きの組み紐。鋭い三つの眼が、俺を貫こうとする。
「サンドレア帝国が皇帝、ディランドである。お前の名と経緯は既に聞いた、名乗る必要はない」
皇帝に視線を向けるロタの感情は、今ひとつ分かりにくい。彼女に限らず一眼人の表情には、眼の様相しか情報がないからだ。
対して皇帝はからかう口調に反し、ゴキブリを見るような視線と口元が分かりやすい。俺にと言うより、ハンブルに向けられたのだろうが。
「我が帝国の片翼、司祭長ロタからはこう聞いている。我れの同族、つまり三眼人の集団に襲われ、通りがかりのお前に助けられたと。相違ないか?」
そうか、一眼人以外の証人が必要だったらしい。事実を問う皇帝の口調が平たくなり、そう理解した。
けれども相違はある。俺は通りがかりの旅人でない。どの道、許可の出ぬうちに発言も出来なかったけれど。
「ああエッジ、発言して構わないわ。あなたは自身も傷を受けながら、私の同胞たちと一緒に戦ってくれた。その相手は三眼人だった」
「その通り、間違いございません」
答えに困る部分を、ロタは外してくれた。すぐさま返した俺を、皇帝はあからさまに睨み付ける。
「間違いはない。その返答で、それこそ間違いはないのだな?」
「決して」
「――そうか」
相槌までの沈黙に、舌打ちが混ざったように思う。
いや一国の主が、そんなことをするはずもない。きっと俺の妄想だろう。
「話は分かった、付近を調べさせよう。しかしロタ、いかに我れが三眼人の長と言え、全員を綱に結んでいるでない。どこぞの盗っ人と同じにな」
「もちろんです。勇猛な三眼人から、姑息な真似をする者が出た。それを見過ごすディランドでないと、安心しました」
それだけ言うと、ロタはさっさと席を立つ。膝を突いたままの俺を横目に、謁見室を出て行く。
当然にニクも着いて行き、俺は取り残された。
「なにをしてるのエッジ、あなたも来るの」
どうしたものか考える間もなく、再び入り口が開いた。ロタに呼ばれ、見上げた皇帝は下がれと手を振っている。
「では失礼致します」
よその国とは言え、御前の緊張感は久しぶりだった。毎日は肩がこるだろうけれど、ときには気持ちを引き締められていい。
などと言えば不敬に当たるか。松と檜の御所が懐かしい。
「どこの作法か知らないけど、ただの平民ではないようね」
「否定はせんが、過去を云々としても虚しいだけだ。今の俺は、単なる迷子でしかない」
「そう。ではまず、寝泊まりする屋根くらいは貸してあげるわ」
言ってロタは、先頭をどんどん歩いていく。男に指図したり、男よりも前を歩いたり。太日本帝国では、考えられないことだ。
しかし不快感はない。男を立てるとか立てないとか、当人がしたければすればいい。
そう思えば、芙蓉子は気の毒なくらいに俺を立ててくれた。俺もその気持ちに甘えてしまい、結果がこの有り様だ。
他人の背中を眺めて、なにを考えているかと。正反対の気性を持つロタには叱られそうだが。
「宿屋にでも案内されるかと思ったが」
「あいにく、そんな贅沢はさせてあげられない。私たちの宿舎だけど、不都合はないはずよ」
正門までまっすぐの廊下を、ロタは右に折れた。その先にあったのは、色とりどりのタイルで壁画の描かれた空間だった。
一軒家が丸ごと入りそうな円形の部屋は、教会とか神殿と呼ぶべきものだ。その証拠に、祭壇らしき場所に神像が祀られている。
「砂漠の鷹だったか。あれが、きみたちの神の姿だな」
「ええ、そう。私たちに風と水を与えてくれるの」
鷹の頭。鷹の翼を備え、胸から足先までは人間。街で見た半人半獣の者たちと、通じる姿だ。
「名は?」
「天空神、サンドラ。あなたを呼んだのもサンドラね。だからきっと、あなたの奥さんもどこかに居るわ」
「芙蓉子が?」
聞き捨てならないことを、ロタは言いきる。神に仕える者として、神の力を信じるのは当然と思うが。
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