第3話:どこからどこへ

 どうにもここは、俺の知る場所でないらしい。

 女だけでなく、連れの男たちも一つの眼しか持っていない。しかも相手の三つ目ともども、互いに当たり前としているようだ。


 するとおかしいのは、奇妙に感じている俺ということになる。

 郷に入っては郷に従えとも聞く。それになにより女の器量をあれこれ言うような、下卑た口を持ちたくはない。


「ならば、かかる火の粉を払うのみ」


 正面にサーベルを押し立て、地面を蹴る。剥き出しの土が、コンクリートのごとき音を返した。

 向かったのは二手に分かれた三つ目たちの、三人組のほう。もう一方は、先ほど俺を庇った男が一人で相手をしていた。それもまだまだ、余裕を持っていると見える。


「一人、譲ってもらおうか!」

「助かる!」


 こちらの一つ目は二人。一瞬の視線で答え、その隙に切りつけられた。剣を持つ腕から鮮血が噴き出し、手を空にする。

 三つ目の腕がなおも追撃に伸び、俺のサーベルが薄く削いだ。


「くっ、手練れか」

「それほどでもない」


 その男は傷を押さえる。が、剣を手放さなかった。浅い切りつけだったものの、手のひら二つ分ほどの刺し身を拵えたというのに。

 忍耐力も人外の域なのか、はたまた痛みを感じぬのか。それはどうやら前者らしく、男はじりじりと距離を取る。


 代わりに隣の男が、小さく振りかぶった剣を振り下ろした。

 俺のサーベルより逞しい剣身を、まともには受けられない。柄を逆手に持ち替え、担ぐように受け流す。予想以上の重い一撃が、刃に嫌な軋みを上げさせた。

 前のめりとなった腕を取り、背負い投げに放る。と、男は受け身も知らぬらしい。大の字に背中を打ち付け、骨の折れる鈍い音を立てた。


「さて、数の配分も覆ったようだが?」


 腕を切られたはずの一つ目が、なにごともなかったように隣へ並ぶ。やはり女に治してもらったのだろうが、それは良い。

 三つ目は二人が戦闘不能に陥り、三人となった。もはや誰の目にも、勝敗が明らかだ。


「退け!」


 間髪入れず、撤退が指示される。腕を削がれた男が頭目らしい。無傷の腕に骨折した男を抱え、後退っていった。もちろん残りの三つ目たちも、素早く続く。

 事情の知れぬ相手を深追いする理由もなく、俺は立ち止まって周囲を警戒するに留めた。


「ニク、追っては駄目!」


 一対二で戦っていた男が、三つ目たちのあとを追う。女の鋭い声が飛んでも、足を止めない。


「戻りなさいニク!」


 二度目で歩みが遅くなった。なおも睨み続ける女の気迫に負けたか、ついに止まって振り返る。


「――しかしロタさま!」

「罠だったらどうするの。戻りなさい」


 押さえつけるような女の声に、ニクは従った。三、四歩ごと、三つ目の消えた岩陰へ視線を向けつつ。


「お礼を言っておきます。そのためには、名を聞いておきたいのだけど」

「兒島英治だ」


 一つ目たちで最も上位にあるのはこの女、ロタらしい。俺と向き合った周囲を、他の男たちが取り囲む。

 ただし警戒の対象に、俺は入っていないように見える。彼らは囲んだ外ばかりを気にした。


「コジュ……なんですって? 相変わらずハンブルの名は、長くて分かりにくいわ」

「ハンブル? いや、兒島だ。兒島、英治」


 どうもこの辺りに、俺のような名前はないと見える。何度も発音を繰り返し、舌を噛みそうだと苦情を受け、ついにあだ名で呼ぶことに落ち着く。


「それでエッジ。あなたはどこから来て、どこへ行くの。あなたがいつ紛れ込んだか、私には分からないのだけど」

「いやそれは俺にも――」


 知りたいのは俺のほうだ。とは言え、話さねばなにも分からない。では何からと言葉に詰まり、その間にニクが口を挟む。


「ロタさま、なにを言ってるんです。エッジは水の都ワタンから一緒だったじゃないですか。今の名前のやり取りだって、そっくりそのまま二度目だ」

「なんですって? じゃあニクは、尋ねる前から名を知っていたと言うの?」

「もちろんです。なあ?」


 ロタの疑問は、苦笑で返された。彼らの顔には巨大な目だけでなく、俺と同じような口も備えられている。ただし鼻はどこだか分からない。

 ニクに同意を求められた他の男たちも、「ええまあ」と遠慮気味に笑う。


「それはおかしい。俺はこの背を刺されたとき、太日本帝国だいにっぽんていこくは東亰府に居た。そこで息絶え、気付けば同じく背中を刺されてここに居た」

「帝国?」

「そうだ。死の間際、天の大神に祈った。亡くした妻に、もう一度会わせてくれとな」


 傷はもう痛まない。なんとなく残った違和感のようなものはあるが、寸分違わず一カ所だった。己の不覚は恥ずかしく思うが、事実だ。右も左も分からぬ俺が、これしきを隠して益はない。


 ロタの向こうへ見える景色に、人の背丈に勝る木は一本もなかった。足下の土は焼いたように赤く、軍施設の赤煉瓦を踏むがごとし。

 見れば見るほど、太日本帝国とは異なる土地と分かる。


「帝国と天空の神、か」

「聞き覚えがあるか? おそらくないはずだ。俺にはお前たちの言う、ハンブルだの水の都ワタンだのも分からんのだ」


 ロタは指先で、自身のまつ毛を撫でた。眼の大きさに比例するのか、長さは一寸ほども。

 硬く鋭いようで、しなやかに跳ねる。雨後の松葉に似て、美しいと思った。


「聞き覚えはあるわ。この国にも皇帝が居るし、私は天空神に仕える司祭だもの。それからハンブルとはなにか、だった?」


 纏った布の前をはだけ、肩から掛けた鞄を彼女は探る。すぐに取り出されたのは、上等そうな布で厚く覆われたなにか。

 華奢な手にどうにか収まる大きさのそれを、ロタは俺の前に突き出した。当然に覆った布も解いて。


「あなたのような二つ目の、非力な人間のことよ」


 目の眩むほどに陽を撥ねさす、金属の鏡。きっと黄銅製のそれには、ロタの言う通り二つの眼を持つ男が映った。

 けれども俺には見覚えがない。短い黒髪に触れてみると、鏡の中の男も同じ動作をした。白髪がなく、顔の皺もなく。二十歳そこそこの若者が、呆然と俺を見つめる。


「ねえ、あなたたち。本当にこのエッジと、ここまで来たの?」


 我が顔をつつき回す俺に構わず、ロタは連れの男たちにもう一度問うた。するとニクを中心に、互いの眼を見合わせる。


「そりゃあもちろん。と思うんですが、そこまで念を押されるとどうも――」


 ニクの視線から、強気が三割ほども目減りしていた。だがロタは、むしろそれで納得したというように頷く。


「そうね。やはりエッジ、あなたは天空神に導かれたのかもしれない」


 彼女の両手が、指を絡ませて組み合わされる。唇を一文字に引き結び、遠く天を見上げた。

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