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 カブトムシをつかまえた瞬間、彼の体は宙をったかと思うと、そのまま地面に強く叩きつけられた。

有戸ありとくん!」


 私がさけび出したのも束の間、彼の体は地を這うへびのようにずるずるとやぶの奥へ引きずられていく。有戸は何が起こったのか理解できないようで、ただ呆然ぼうぜんと自分の足元を見ていた。


 大慌おおあわてで彼を追う。手元の懐中電灯で彼の姿を照らすと、不可解な出来事の詳細が分かりかけてきた。


 彼は今、その足首を何かに捕まれている。その色や線の細さはまるで、あの擬態ぎたいカブトムシが止まっていたえだに瓜二つだった。

 そうして観察する間も、みるみる有戸の引きずられる速度は上がる。彼はようやく事の重大さを理解したようで、しきりに「助けて!」と懇願してくる。


 彼を引きずる何かの正体をつかみたい。私は足先にからんだ枝より奥を照らし、何者が彼を藪の闇へと連れ去ろうとしているのかをたしかめた。


 えだにはいくつもの青々とした葉っぱがついている。しかし光をずらすと、似たような葉っぱ付きの枝がもう一本、彼を連れ去るのと同じ速さで動いていた。

 そうして私は直感する。


 あれは枝じゃない、


 私の直感の証左とばかりに、れる草むらの闇を照らした中から、肢の正体が文字通り顔を出した。


 一対のギロリとした複眼。貝類のように無機質な口。周囲の草にまぎれるようにびた触覚。黒を基調とした外骨格。



 知っている。あれは、キリギリスだ!


 *


 擬態ぎたいカブトムシが止まっていた枝、並びに有戸ありとを連れ去ろうとしているあしの正体は、この世の生物とは思えないほど巨大な、キリギリスだった。


 とすると、枝から生えていたのは葉っぱではなく、キリギリスの前肢についていたとげだ。普段は枝にけて獲物をおびき寄せ、気を計らって葉を真似まねた刺で獲物を捕縛する。

 とすると、獲物をつかまえた生物がその後する行動など目に見えている。


 私は全力で彼を、キリギリスを追った。もはや地面が木の根とで走りずらいことなど、どうでもよかった。連れ去られる前に、有戸を助け出さなければ!

 だがキリギリスは予想に反し、突然に動きをめた。


「えっ……」

 青ざめた顔でおびえきった有戸の悲鳴がトリガーになったのか、今度がエレベーターじみたいきおいでキリギリスが、上空を駆け上がる!


 いや、正しくは上空を駆けたのはない。ライトでらして分かった。キリギリスは背後の樹木を垂直にのぼっている。きっとこの樹木の上がここがヤツの住処すみかだ。このまま有戸の体を、木の上にあるのであろう住処にまで持っていく気なのだ。


 私は木までの開いた距離をめるべく、意を決してびかかった。一対しかない両腕でしっかりと有戸の腕とリュックサックをつかむ。


 巨大なキリギリスも抵抗するのか、今度は有戸にばした腕に向かってその前肢を伸ばしてきた。葉の形をしたものはやはりとげで、私の片腕にぐさりと突き刺さった。

 引き裂かれるようないたみで手を放しそうになったが、ここで有戸を置いていってはいけない。


 さすがの巨大キリギリスといえども子供二人はくるしいのか、明らかに連れ去る速度がおそくなっている。私はチャンスだと思い、何か打開できないかとのうを回転させた。

 そしてたった一つ、よぎったこのひらめきにけることにした。


 *


有戸ありと、散らかすよ!」


 私は彼の体を離さないようにしつつ、彼が背負せおったリュックのジッパーを開ける。そしてさかりの状態の彼の背中から、空の弁当箱などを地面に落としつつ、目当ての物を片手で何とかつかみ取る。


 手にしたのは、彼が用意してきた虫よけスプレーだ。

 私は申し訳ないと思いつつ彼のリュックの中身をぶちまけるいきおいでスプレー缶を取り出すと、リュックから左手を思い切り手を引き抜く。


 私が手を放したのを好機こうきと見たか、キリギリスが一気に有戸の体を引き揚げにかかった。だがその一瞬のすき、そこを突く。

 私は天頂のスプレーボタンを思い切りしこみ、内容物全てをキリギリスの複眼にぶちまけた!


 ギィィッッッーーー‼ と骨がきしむようなうめき声をあげ、有戸を押さえていた肢が離れる。有戸は枯れ葉のかれた地面へと自由落下した。

 そのまま私はもう一本の左腕にたずさえた彼のポケットナイフを展開し、今度はキリギリスの口元目掛けて刺突しとつする。


 今度は明確に、ギャアァァッッッーーーー‼ とうめいたのを確信し、私はナイフごとキリギリスをちあげた!


 みきから引っぺがされた後、私は背後に投げ出されたキリギリスの背中を見る。

 黒々としたヤツの背中に、昼間私たちがナイフでった、ひし形に縦線たてせんの目印が付けられていた。


 木の幹に擬態ぎたいして獲物を待ち構え、掛かった子供を樹上へさらう巨大なキリギリス。


 その存在は、そうとしか結論付けられなかった。


 *


 その後は有戸ありとを抱え、持ち物を全て山に投げ出して下山した。ふもとまで降りると、辺りはすっかり闇夜につつまれていて、欠けた月が空から私たちを見ていた。


 元々子供だけでいていい時刻ではない。私たちは山の管理者だというヒトに見つかり、ひどく説教を受けた。だが、次第にボロボロと泣き出した有戸の様子をおかしいと思った管理者が詳細をきたがったので私が説明すると、その後は何も言わなくなった。


 管理者が連絡したのか山に直接、有戸の両親がむかえに来てくれた。彼らは管理者のようにおこることもせず、ただ有戸の体をたからのようにきかかえていた。


 その後は車で送ってくれるとのことで、ご厚意こういに甘えることにした。見慣れた学校まで到着すると、私は車上にくくってくれた自転車を駆り、住処すみかへ帰ることにした。何度も何度も「家まで送っていくわ」と有戸のお母さんに言われたが、家が近いの一点張りで、最後には一人でかえらせてもらった。



 帰る間際、はららした顔で有戸ありとが呼び止めてきた。


「ありがとうな。そんで、ごめん。俺がさそわなければ、こんな目にわせずに済んだんだ」

 行きとあまりにも違う、全てをあきらめきったような顔。このままだと、彼は虫に対しての興味にかぎをして、記憶の奥底にめてしまいかねない。


 そうなってほしくはない。有戸が虫について語る時の瞳のかがやきが、私は好きだった。

「全然。だって生きてるじゃん、僕たち。それよりさ」

 私は自転車を彼に近づけると、行き場をうしなった彼の手を固くにぎった。


「虫の研究、続けててよ。きっと有戸くんなら、世界中をおどろかせるような発見が出来るし、実際に出来たじゃん。今日だって8日前の君の発見が無かったら、あのカブトムシもキリギリスも、誰にも知られないままだったかもよ?」


 彼は呆気に取られた様子で、何度もまばたきをした。

「元気でね。またいつか、虫捕りにさそってよ」

 私は“楽しかった”の意を込めた笑顔を送り、自転車をこぎ出した。

 


 待ってろよーー‼



 風に乗って聞こえてきたこえは少なくとも、悲観的なものではなかった。


 *


 あの一夜から、もう20年もつ。

 夏の暑さは年々増して、もはや極小な虫も巨大な虫もかまわず焼き殺さんばかりである。


 その後の有戸ありとの行方は知らない。あの夜以降、私は次の住処すみかを求めて移動してしまったから、彼も、学校も、バケモノ山も、擬態ぎたいカブトムシも知らない。

 ただ昔は今よりも無茶をしていたから、ひょっとすると私の正体に薄々だが気付いたヒトはいたのかもしれない。例えば、“昆虫博士”の彼とか。


 今はヒトのマンションに間借まがりし、ヒトと同じようにPCを打鍵する仕事をしている。これの器具は非常に便利で、あの日以降教えてくれなかった発酵バナナの作り方を簡単に知ることができた。今は焼酎をくして味わうのにはまっている。


 二対目の腕の誤魔化ごまかし方はれてきたが、やはりその他は難しい。特におとろえと共に視力がかすんできたのにはおどろいている。今は眼鏡がないとヒトの生活もままならない。



 仕事から帰って、投函とうかんされていた封書の記載を見る。


【日本昆虫研究施設】より「桐鍬きりすき実久李みくり」様宛。


 どうやら私は研究施設とやらに案内されているらしい。室長の名前を見て、ふと20年前を思い出す。彼はあの夜、すでに気付いていたのだろうか。



 やはり人間の擬態ぎたいは難しい。



 最近は角のびも早くなった。施設に出向く早朝には、忘れずにけずっておこう。


                                  〈了〉

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ミミクリーカブトムシ 私誰 待文 @Tsugomori3-0

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