滅亡の幕開け(3)


 術師達は驚愕した。黒龍は強力な霊獣である。御乙神織哉がえにしを結んでいたのは納得していたが、まさかわずか四歳の幼子が縁を結べるとは想像もしていなかった。


 縁を結ぶには、術者の霊能力を開示して、それを霊獣が納得し術者を認めれば縁が結ばれる。


 まだ大した修行も積めていない幼子なら、その潜在能力を黒龍は認めたのだろう。


 殺さねばならない―――黒龍の強い霊圧を受けながら、術師達は戦慄した。


 今殺さねば、これは成長すると手が付けられなくなると、誰もが思った。本来なら宗家の子供がこれほどの強さなら、一族の者として何より喜ばしい事だっただろう。


 けれど、必ず敵に回ると占術師達が揃って予言する相手が、これだけの潜在能力を持っているのなら、見逃すことはできなかった。五人全員が己が得物、霊刀を構える。


 黒龍が吠える。その声は霊体を攻撃するもので、対する術師達は肉体ではなく霊体にダメージを受ける。咆哮がまるで幾千もの針の様に術師達の霊体を傷つけていく。

 

 皆、呪術や霊刀の力で防御するが、全ては防ぎきれない。


 黒龍は長い尾を鋭くくねらせ、一番近くにいた術師を薙ぎ倒す。動きは早く、攻撃された術師は弾かれ、カラマツの幹が折れんばかりの勢いで叩き付けられた。


 鋭い黒い爪をうごめかせ、血の様に赤い口を開きなお威嚇し、黒龍は激しい敵意を向けてくる。


 そのおぞましいほどのぎらついた敵意は、明の意志そのものだった。何が何でも母を守りたいと願う、明の意志に呼応したものだった。


 しかし、不意に黒龍は姿を消した。あっけないほどに何の前触れもなく、姿を消した。



「明、明っ!」



 ぐったりと弛緩した息子に唯真が必死に声をかける。


 縁を結んだ者が意思疎通できない状態になると、霊獣は人の次元には居られず、己が拠点とする次元へと送還されてしまう。


 四〇度超の発熱をして、氷点下の気温の中を激しく揺さぶられ連れ回された。その上で、多大な霊力を必要とする黒龍の使役を行った。


 まだ四歳の小さな体は、莫大な負担のあまり、呼吸すら怪しくなっていた。


 明の呼吸が浅くなっていることに気が付き、唯真は地面に吸われたかと思うほど血の気が引いた。

 

 その場に座り込み明を抱き、みるみる白くなる我が子の顔に手を当てる。



「明っ!明、目を覚まして!明!」



 土を踏む音に、唯真の声が止まる。四人の術師が、至近距離で唯真を取り囲んでいた。


 人形の様に弛緩した我が子を、何が何でも離さないとばかりに、唯真は腕に強く抱き込む。恐怖なのか絶望なのか、理由の分からない涙があふれ、こぼれていく。



「織哉お願い早く来てっ!織哉ぁっ!織哉っ!」



 泣き叫ぶ唯真の姿は、ひたすら我が子を庇う、ただの女だった。我が子への愛情が、痛いほど感じられる姿だった。


 取り囲む術師達も、唇を噛む者、悩む様に眉根に皺を寄せる者、それぞれ身の置き場の無い様子を見せていた。


 我が子を守って泣き叫ぶ女の姿など、普通の感性の人間なら気の毒にしか思えない。


 それでも任務を遂行しなければ、ゆくゆくは自分の家族が命を奪われる。人として、最悪なほど後味の悪い任務だった。



「お願いやめて!お願いだからこの子を殺さないで!お願い!お願いだから!」



「それはできない。滅亡の子を、渡してくれ」



 進み出てきたのは、メインストリートで唯真に視線をやった、あの白髪の術師だった。


 彼は他の者達とは違い、唯真への憐憫を見せていなかった。冷酷なほどの落ち着いた目で、泣く唯真を見下ろしていた。


 唯真は、首を横に振った。この人には、泣き落としも同情も効かないと感じた。ゆるぎない信念がひしひしと伝わってきた。


 悪意ではない。明の命を奪う事に対して、強い信念を持っていることを感じたのだ。


 どうしても明を離さない唯真に、白髪の術師は霊刀の柄を鳴らして、言い渡す。



「離さないのなら、貴方ごと斬る。それでもいいか」



 強い信念の宿る目は、六年前のあの夜の輝明の目に、どこか似ているような気がした。


 男の問いに、唯真は何も返さない。震える体で明をなお抱きしめ、男を見据える。それが、唯真の返答だった。


 納得したように、白髪の術師は刀を唯真に向けた。どこか責める様な眼差しは、やはりあの夜の輝明の目に似ていた。



「あなたに篭絡ろうらくされ織哉様は自分を見失い、そのせいで輝明殿はこの六年有り得ない恥辱と苦渋を味わった。美鈴も孫のひかるも宗家の人間とは思えない扱いを受け、苦しんだ。


 何よりあなたは、あれだけ厚く信頼し合っていた兄弟を引き裂いた。それがどれだけの罪なのか、あなたはまるで分かっていない」



 美鈴の父、蘇芳すおう家当主・蘇芳武志すおうたけしは、この六年溜め込んだ怒りを、形だけは淡々と言葉にする。


 娘は宗家の奥であるにもかかわらず、屈辱に塗れた罵声を浴びせられ、次期宗主であるはずの孫も、正に冷遇という言葉が合う扱いを受けていた。


 六年前の事件から御乙神一族は、七家が一族の政治を執り始め、特に飛竜家が強い権力を持ち始めた。


 力関係の狂った御乙神一族は、刃こぼれが生じる様に統制が崩れ始め、『諸法度』の順守すらもおざなりになってきていた。



 滅亡の子の件を悪化させた元凶として非難を受け、輝明は以前の求心力を失った。


 けれどそれでも、変わらず宗主を慕う者達も少数ながら居て、輝明は自分を支持してくれる者達を取りまとめ、七家とは別に織哉の追跡を続けていた。


 輝明が率いる追跡チームは、例えれば塵の様な僅かな痕跡を地道に集め、織哉の行方を追っていった。


 周囲の冷ややかな目にも負けず、累積していく情報を元に年単位で追跡を続け、とうとう一週間前、捜索範囲をこの高原一帯まで絞り込んだ。


 そして現地に乗り込んだ今夜、正に偶然に、子供を背負って診療所へと入っていく唯真を発見したのだ。



「あなたが織哉様を呼ぶ声を聞くと、正直、虫唾が走る。あなたのその綺麗な姿で織哉様をたぶらかしたかと思うと、見ているだけではらわたが煮えくり返る。

 

 ――あなたはまるで、美しい姿をした魔物の様だ」



 静かな口調で、刀よりも鋭く刺さる事を言われ、唯真は、心が血を流したような気がした。


 この六年、分かっていたのに自分の幸せのために目をつぶり続けた現実を、正に突き付けられた。



「織哉様は来ない。式も遠隔の術も届かない次元の狭間で、輝明殿が足止めをしている。あなた達を助けに来ることはない」



 断言されて、それでも唯真は震える声で言い返した。



「……織哉は、来る。必ず、来てくれる」



(約束してくれた)



 必ず妻子を守ると。プロポーズの時、建速たけはやに誓ってくれた。



 織哉はいつも唯真の窮地に駆けつけてくれた。誰が唯真を見捨てても、織哉だけは見捨てないでいてくれた。


 だから今度も来てくれる。助けに来てくれる。そう信じて、唯真は腕の中の、呼吸の浅い明を抱きしめる。



―――絶対に、絶対に織哉は、私達を見捨てることはしない。



 

 ぼんやりとした月明かりに、霊刀が僅かに光を返した。それが唯真が見た、この世での最後の景色だった。



 恐ろしいほどの切れ味を持つ日本刀は、一体の様に抱きしめ合う子と母をやすやすと貫いた。確実に二人の心臓を貫き、母子の身体は地面に倒れた。



 土道に広がっていく赤黒い染みに、残りの術師達は苦しげな顔をする。顔を背ける者もいた。



 不意に背後で大きな音がして、さすがの術師達も驚いて身を震わせる。


 音は、物体が落下してきた音だった。空中の枝を折り地面に叩き付けられ、複数の派手な音が重なった。



「輝明様!」



 落下してきたものが宗主だったことに気付き、術師達は急いで駆け寄る。そして言葉にならない叫びを上げる。


 輝明は、顔の左半分を頭から左目を通りあごまで斬られ、激しく出血していた。


 そしてその刀傷は上半身を左から右脇腹まで走り、衣服は上半身はほぼ裂けて、溢れ出る血に染まっている。


 一目で致命傷だと判断が付く容体に、修羅場に慣れた術師達さえも浮足立つ。


 その中で蘇芳は血に塗れるのも構わず輝明を助け起こし、声をかける。



「輝明殿!しっかりしてください。滅亡の子とその母は仕留めました。目的は達成しました」



 重傷の宗主に返答を求める気はなく、現状の報告だけをして一刻も早く医師の元へと運ぼうとする。


 しかし意識が無いものと思っていた輝明が、自分を支える蘇芳の腕を掴んだ。


 驚いて顔を寄せる蘇芳に、輝明は口が上手く動かず不明瞭な言葉を、細い声で絞り出す。



「織哉も、仕留めた。二人の、遺体を、屋敷に」



 それだけ言って、輝明の身体は弛緩した。


 男性としては細身の輝明を、蘇芳が背負う。そして輝明の言いつけ通り、止めを刺した母子の遺体を、他の術師達が抱えた。



 男達の立ち去ったカラマツ林は、普段通りに静まり返った。凍る空気の中を、生臭い鉄の匂いが長く漂っていた。


 赤く濁った月は、何事も無かったかのように、二つの命が消された場所を照らしていた。


 

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