泡沫

泡沫(1)



 桜の花がほころび始め、春の青空に白い点描を描いていた。



 穏やかに吹く風は今日は少し冷たくて、咲き始めたばかりの桜も、少し寒そうに見える。


 咲き始めの桜の下で、明るい髪色の、ショートボブの女子大生がひとりベンチに座っていた。


 和風の顔立ちを生かしたメイクと、肌の色に絶妙にマッチした髪の色はあか抜けていて、コンパなどでは一目置かれる存在だろう。


 服装もデザインは年齢相応に甘目だが、配色は紺と灰色でシックにまとめバランスを取っていて、明るい髪色であっても威圧感は無く上品だ。


 周囲の大学生と比べると、頭一つ抜けたセンスの良さだった。



 彼女の座る場所は、大学構内に設けられた小さな公園だった。公園内には他にも学生達がいて、彼らは全員カップルだった。


 談笑しながら昼食を取っているカップル達を眺めながら、二十一歳になった三奈はひとり黙々とピタパンサンドを咀嚼している。



 その眼差しは、年齢に合わない、大人びて乾いたものだった。




 織哉と唯真が姿を消してから、六年の月日が流れていた。二人の行方は未だ、掴めていない。


 三奈は現在、霊能の世界とは無関係の、普通の大学生として生活している。


 実家を離れ、同年代から一年遅れではあったが高校に入学し、世間では難関と評される関東の大学に進学した。今春から政経学部の三回生になる。



 六年前のあの夜、結界も張らず神刀の使い手同士がぶつかり合い、宗家屋敷の広大な森は約三分の一が焼失してしまった。


 もう事件は隠すことはできず、全てが明るみに出た。



「三奈、あんたも二人の事を気付いていたね?なのに口をつぐんでいたんだね!その結果がこれだよ!」



 やつれたちとせに激しく叱責されたのは、あの日から一か月程経った頃だったか。


 その頃輝明は、七家を筆頭とした一族中から、正に非難の集中砲火を浴びていた。


 輝明が七家の反対を押し切り独自の方針で解決を目指した滅亡の子の案件は、実は鍵であったその父親が、輝明の実弟で腹心の織哉だった。


 しかも未来を知ってからもその事を伏せ、秘密裏にひとり決着を付けようとしていた。


 輝明の行動は、宗家と七家との信頼関係を、正にズタズタにしてしまった。どう弁解しても、これは輝明の失策だった。



 滅亡の母こと佐藤唯真を連れ姿を消した織哉は、滅亡の子を抹殺する上での最大の障害となった。


 七家は宗主の指示を待たず二人に追手を掛け、また、七家から除名処分をされていた佐田と飛竜を独断で復職させた。


 七家とのこれ以上の断裂はできず、輝明は七家の動きを全て容認した。


 織哉と唯真の追跡を、御乙神一族全体に正式に命じた。



 配下であるはずの七家に突き上げられる輝明は、本当に気の毒で、哀れだった。


 特に飛竜家の当主、飛竜健信は、それ見た事かとばかりに輝明を責めた。


 過ぎてみれば、飛竜の行動は全て正解だった。七家は信を得た飛竜を中心としてまとまり、少しでも摩擦があれば輝明と対立する姿勢を取る。


 本来なら絶対的な権力を持つはずの輝明が、有り得ないほど立場が弱くなった。


 あの日から、宗家の威信は地に落ちて、神刀の使い手は、ただの腕の立つ術師の代名詞となってしまった。



 三奈は本家の家政婦を辞めた。事件からしばらくして、美鈴に家政婦を辞するよう言い渡された。いわゆる、クビである。


 実は離れの家政婦を命じられた時、美鈴から内密に告げられていたことがある。


『もしもどちらかが相手を意識する様子があったら、すぐに知らせて。あなたはとても察しが良いから気が付くはず』と。


 女性ならではの視点で、美鈴は夫の仕事を支えていたのだ。


 そんな美鈴の采配を台無しにした自分は、クビは相応だった。言い訳はせず素直に従った。


 しかし後になって、それは美鈴の思いやりだったのではないかと思った。


 少し考えれば気付くはずなのだ。三奈が、誰よりも二人の傍にいた事実は。


 あの頃は、一族全体が混乱し冷静さを失っていた。苛立ちをぶつける先を、血走った目で探しているような状況だった。


 そんな荒れた状況の中で、三奈が頭に血の昇った者の標的にならないようにと、美鈴が守ってくれたのだと今では思うのだ。


 

 家政婦を辞めてから、美鈴に会う事は元より、宗家屋敷には一度も行っていない。


 美鈴を裏切ってしまった自分は、宗家屋敷の敷居を跨ぐことはできないと思っている。


 聞く話では、美鈴は無事出産し、子供も元気に育っているそうだ。


 美鈴に良く似た、女の子と見紛うほど可愛い男の子らしい。


 名前はひかる。子供の名前には、上の子から順に輝明の一文字をもらうつもりだと前に美鈴に聞いていた。もう、今年で五歳のはずだ。



 公園内にいる大学生のカップル達は、素直に互いへの好意を声に乗せ表情に乗せ、正に青春を謳歌している。


 その様子を眺める三奈の目は、少し、寂しげだった。



 仲の良いカップルを見ると、三奈はいつも思い出すのだ。大好きだったあの二人を。


 織哉は、初めの頃は、隠してはいたが内心浮足立っていて、そして時間が経つにつれ甘く重く、眼差しが真剣さを増していった。


 唯真は、織哉に守られるたびに、少しずつ固く閉ざした心の壁を取り払っているように見えた。


 織哉の、日々の小さな心遣いに、表情が柔らかくなっていった。


 元々綺麗だったのに、退院後再会した時には別人の様につややかになっていて、正に女性として花開いていた。



 三奈は嬉しかった。疎まれてけなされてきた自分の、長所を見つけ褒めてくれた人と、努力を認め分け隔てなく扱ってくれた人が、真剣に想い合っていた。


 大好きな二人の恋を、実らせてあげたかった。二人が幸せそうに連れ添っている姿を見たかった。


 事態の重さが分かっていない、浅はかで子供じみた考えだったとは思うが、今の自分が同じ立場に立ったとしても、やはり美鈴の命を破ってしまうだろうと思った。



(お二人の子供も、輝様に負けず劣らず可愛いに決まってる。きっと優しくて心の綺麗な、天使みたいな子に決まってる)



二人の子供が、虐殺なんてするはずがないと、三奈は心の底から信じていた。



(織哉様ならきっと、息子さんに正しい力の使い方を教えるはず。唯真さんならきっと、あふれんばかりの愛情を注いで息子さんを心豊かな子に育てるはず)



だから、二人の子供が虐殺者になどなるはずがないと、三奈は確信している。絶対に大丈夫だと。



 現在の先視では、輝明だけが滅亡の子の姿を捕らえることができるらしい。


 一時は占術師達の先視にも視えていたのだが、ある時を境に視えなくなったそうだ。


 恐らく、織哉が先視の邪魔をしているのだろうと言われている。逆に考えれば、滅亡の子はもう既に、この世に生を受けているのだ。



―――織哉が、我が子を守っているに違いない。



 三奈は顔を上げる。早春の、冬から春に切り替わる、境目の空を見上げた。



(織哉様、頑張ってください。唯真さんを、息子さんを、どうか守り抜いてください)



 世界中に続いているはずの空へ、願う。


 もう会うことはないだろう、初めて恋した人へ届くように。



(織哉様の優しさで、唯真さんを幸せにしてあげてください。


 唯真さんはとても傷ついて生きてきた人だから、もう二度と傷つくことが無いように守ってあげてください。

 そしてお子さんの未来を、必ず変えてください。三人で、幸せになってください)



 過ぎてみてわかる。自分でも気づかないほどの、ほんの淡い、幼い恋だった。綺麗な初恋の思い出を、彼にもらった。


 容姿の劣った自分にも優しく接してくれた。女の子として扱ってくれた。


 入院中、怪我の痛みと不安と、肉親からの仕打ちに打ちひしがれていた時、静かに弱音を聞いてくれた。


 いつ思い出しても優しい気持ちになれる、素敵な思い出。



 ありがとう、と、空に向かって呟く。


 

 晴れた空は遠く青く無限で、見ていると、本当に織哉達に繋がっているような気がした。

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