第四の刺客(6)
前触れもなく、体ごと吹き飛ばされるような突風が吹いた。
体を持って行かれそうになって、地面にしがみつく様にうつ伏せてしまう。
わずかに見上げると、周囲の景色に、まるで巨大なガラスがひび割れる様に縦横無尽に亀裂が入り、あっという間に風に巻き上げられ粉々になった。
夢のような夜桜の景色は消し飛び、現実の、冬枯れた蒼い夜の景色が広がった。
目の前が、純白で覆われた。顔を上げると、広い背中が見えた。
唯真を背に庇った織哉は、地面に片膝を付き建速を構えていた。厳しい表情で、火雷を構える輝明に怒鳴る。
「騙したな?結婚を了承すれば唯真さんは元の生活に返すんじゃなかったのか!」
噛みついて来る弟に、輝明も険しい表情で睨み返す。
「騙したのはどっちだ?お前が正直に話してくれていたならここまでせずに済んだんだ。
僕は何も知らず、お前達を一年近くも側に添わせて恋のお膳立てをしていた訳だ。こんな馬鹿げた話があるか!」
「違う!」
「どこが違うんだ!僕を騙し皆を欺き一族同士疑心暗鬼の
お前がちゃんと話していれば僕も唯真さんの命を奪うまではしなくて済んだ!」
「だから違う!俺は唯真さんとどうなろうとも思っていなかった。まさか自分が彼女の子の父親なんて思いもよらなかった。先視には自分の姿は視えなかった!」
「当たり前だ!術者は自分の事は占えない!そんな初歩の初歩くらい分かっているだろう!建速に守られたお前が、一族随一の使い手のお前が、他の者の先視に映る訳がない!
お前は自分が滅亡の子の父親である可能性に気づいていた筈だ!おまえは故意に真実から目を逸らしていたんだよ!」
織哉の背後で、唯真はただ驚愕して二人の怒鳴り合いを聞いていた。目を見開いて、織哉の背中の影から、二人を見ていた。
織哉が、痛い所を突かれた様子で、苦し気に言い募る。
「……何も告げるつもりはなかった。唯真さんには指一本触れないと誓っていた。
ただ、唯真さんを守り抜いて未来を変えて、彼女の望む人生が送れる様、笑顔で幸せになれる様、手伝いたかっただけだ……!」
弟の言い分に、輝明は低く重い声音で返した。
「そういう気持ちを、愛情というんだろうが……!」
輝明の怒りを具現するように、
織哉は素早く立ち上がり
「唯真さん、コートのポケットの中の
言われるままポケットを探り、探り当てたものを取り出す。それは動かなくなっていた、あの白い和紙の
人形は取り出した途端、破裂する様に砕け散った。
細かく砕けた人形の破片は、唯真の身体の周囲を取り巻き、そして空に溶け込む。
「!」
間髪入れず、唯真は前方から強い衝撃を受けて飛ばされた。勢いで地面を転がる。
受け身を取り素早く体制を整え、片膝を付き立ち上がる。
かなりの衝撃だったのに、体に痛みや怪我はない。先程の術は、護身術であったことを知った。
五メーターほど離れた場所で、織哉と輝明は切り結んでいた。
輝明の
しかし織哉の周囲に強く風が渦巻き、火雷の炎は織哉には到達しない。
燃える炎と逆巻く風がぶつかり合い、周囲は火が燃え移り、風に煽られ木々が燃えだしていた。
現実離れした力のぶつかり合いを、唯真は赤い光に照らされながら凝視していた。
「輝明頼む、唯真さんの命だけは助けてくれ。助けてくれるのなら俺は二度と唯真さんには会わない、お前の選んだ相手と結婚する、お前には絶対に逆らわない。
だから頼む、唯真さんを殺すのだけはやめてくれ!」
刀を押し合いながら織哉は兄へ懇願する。
対して輝明は、火雷の炎の下で、赤い陰影が付いた顔を弟に向ける。
「―――駄目だ。お前達を引き離しても、別の相手と結婚を決めても、唯真さんの気持ちを逸らそうとしても、先視の幻影は全く変わらない。
それどころかより鮮明になってきている。もう他の術師が視てしまうのも時間の問題だ。
でも今すぐ唯真さんの存在を消せば、即座に未来は変わりお前が滅亡の子の父親であったことは皆に知られることもない」
一瞬力を抜き織哉の体勢を崩し、輝明は火雷を切り返し織哉を押し飛ばした。
揺るがない決意の表情で叫ぶ輝明の周囲を、爆発するが如く赤い炎が燃え上がった。
「お前を守るためには、もう、唯真さんを殺すしかないんだ!」
輝明が火雷の柄を鳴らし構えを取る。それを見取って織哉も一歩踏み込み右手で建速を真横に振りかぶる。
「唯真さん離れて早く!」
鋭く振り下ろされた火雷から、刃物の様に形成された炎が飛ぶ。
対して織哉の周囲に風が逆巻き、下から振り上げた建速から目に見えない何かが炎に向かって飛ぶ。
炎の刃は幾つもの見えない何かに切り裂かれ、四方に飛び散る。
それは、風の刃、かまいたちだった。
切り裂かれ飛び散った炎が、また周囲の木々に火を付ける。高い音弾ける音、不気味な燃焼音が折り重なる様に聞こえてくる。
周囲の木々が本格的に燃え上がり始め、護身術に守られた唯真にも熱が届き始める。
あっという間に小さな広場は、盛大な
「織哉そこをどくんだ!」
「できない!唯真さんを殺すのだけはやめてくれ!」
「お前の為だ!言う事を聞け!」
激しい風が吹き上げ炎が飛び散る中、二人は激しい剣戟を繰り広げる。
神刀の超常的な力がなくとも、二人の剣技は研ぎ澄まされた技量で、一瞬の隙が命を落とす紙一重のものだった。
神刀に守られているはずの二人の身体が、切り裂かれ、着物が燃える。互いが繰り出す攻撃の威力は、護身術を超えた強度だった。
不意に、唯真は耳が痛くなる。まるで飛行機の離陸の時の様だった。
間髪入れず、目の前の二人の姿が霞んだ。織哉の周囲の地面が削れ黒い土が巻き上がった。
草や灌木が、暗い空に飛んでいく。火雷の炎も、竜巻に巻き上げられ消えてしまった。
巻き起こった竜巻が、織哉が建速を振り下ろすと同時に輝明に襲い掛かった。
木の幹がへし折られる激しい音が連続で上がり、竜巻は輝明を巻き込み森に道を作りながら突き進んでいった。
広場の周囲の森は、燃え上がっていた。木が燃え弾ける音がして、赤と黄色の光が、揺らめきながら周囲を明るく照らしていた。
それは、桜の幻影とはまた違う、脈動感のある美しさだった。
その危険で美しい炎の景色の中に、手に建速を下げたままの、傷だらけの織哉が立っていた。
周囲の炎に照らされながら、織哉は静かに唯真を見下ろしていた。
鍛えられた体幹で姿勢良く立つ織哉は、無造作に立っているだけなのに、とても、綺麗だった。
木々が激しくはぜる中で、織哉の、静かな呟きが流れた。
「……初めは、本当に、ただ、会ってみたかっただけだったんだ……」
一年ほど前、初めて先視で滅亡の母を見た時、ひどく気に掛った。
胸に染みるほど愛情深い笑顔なのに、寂し気で、深く傷ついているのが分かった。
気に掛って、忘れることができなくて、繰り返し先視を行った。
彼女が何を思っているのか、どんな人生を送ってきたのか、知りたくなった。本物に会ってみたいと思うようになった。
傍に居るようになって、人が良くて不器用な性格であるのを知った。きっと騙され傷つけられてきたのだろうと察した。
笑わないのは、周囲を警戒しているから。地味な格好をしているのは、美しい容姿で痛い目に遭ってきたから。
ハリネズミの様に尖っている彼女を見て、もっと早くに知り合って、守ってあげたかったと思った。
優しすぎる心がこんなにも傷つかないうちに、守ってあげたかったと悔しくなった。
守ってあげたら、守られて安心出来たら、先視の幻影の様な、胸に染みる笑顔を見せてくれるだろうかと考えた。
彼女の笑顔を見たがっている自分に気が付いた。他の女の誘いなど、何の興味も湧かなくなった。
唯真に抱く気持ちの名は分かっていた。許されない事だというのも分かっていた。
三奈の件で距離を取られた時は、いい機会だと思い、このまま忘れてしまおうと努力した。
けれど唯真の不器用で真摯な謝罪に、努力は消し飛んだ。あの時は抱きしめたい衝動を、笑いで誤魔化し必死にこらえていた。
一族を、親同然の輝明を裏切る行為だと、十分分かっていた。けれどどうしても、唯真の傍を離れられなかった。
女に惚れるというのがどういうことか、初めて知った。
現実と自分の望みとの、あまりの落差が苦しかった。誰も傷つけることが無いよう、必死にバランスを取っていた。
けれど輝明に指摘された通り、それはただの隠蔽だった。
客観的に考えればすぐに分かる事なのに、正しい判断ができなかった。
「ごめんね唯真さん。俺のせいだったんだ。命狙われて、軟禁されて、信頼していた輝明に手の平返されて、それもこれも全部、俺のせいなんだ」
燃え盛る炎に照らされた織哉の顔は、
苦しみが絞り出されたように、涙が頬を伝った。
まるで、心の葛藤が溢れ、涙に姿を変えたように見えた。
今の織哉は、何も心を隠していなかった。これほどに織哉は、苦しんでいたのだ。
「あなたを愛してしまって、本当に、ごめん……」
唯真は立ち上がった。引き寄せられるように織哉の前へと進み出る。
伸ばされた白い手が、燃え盛る炎に照らされて、赤く染まる。
織哉の頬に手を当て引き寄せ、唇を重ねた。苦しむ織哉を慈しむ様に、優しく口づける。唯真も泣いていた。
唯真は織哉の背に手を回し、抱き付いた。最初に襲われた時頬を摺り寄せた、織哉の胸に顔を埋めた。
あの時と同じで、不思議なほど安心できた。
「あなただけのせいじゃない……」
家族に愛される事なく見捨てられた。
仲の良い同僚達も、自分や家族を犠牲にしてまでは唯真の窮地を救う事はできなかった。
最初は守ろうとしてくれた輝明も、弟を取り唯真を切り捨てた。
けれど、織哉は、織哉だけは、唯真を見捨てなかった。
いつも窮地に駆けつけ、身を削ってまで唯真の呼び声に応えてくれた。唯真の安全と引き換えに、他の女性と結婚までしようとしてくれた。
(もう、だめ……)
薄々、気が付いていた。織哉の行動が仕事の義務を超えていることに。
交わす会話が、ふとすると心を開かれ踏み込んだ内容になっていることに。
懐を開かれている事に気が付いていた。夏を過ぎた頃だろうか、腹の読めない笑顔の中に、時折切ない微笑みが混ざり込むようになっていた。
気付いていたのに、逃げなかった。成就は決して許されない想いなのに、心を閉じることができなかった。
一生独りでいると決めていたのに、織哉の傍はあまりにも安心出来て、離れたくなかった。
敬愛する兄さえも敵に回し守ってくれた姿を見て、唯真はもう、自分の心に嘘を付けなかった。
呆然としていた織哉が、我に返ったように表情を変える。輝明の様に、ゆるぎない決意が眼差しに映っていた。
空いた手で唯真を抱き締める。耳元で囁く。
「危険な術を使うから、俺にしがみついて絶対に動かないで。失敗すると本当に消し飛ぶから」
建速を振り上げ高く掲げる。
燃える周囲に更に風が逆巻き、炎が空へ巻き上がっていく。夜空に火の粉が巻き上がり、赤い竜巻が立ち上がった。
風の音と森が燃える音の中に、織哉を呼ぶ声がする。輝明がこちらへと走ってきている。
追随する人影が複数見えた。騒ぎに気付き、屋敷の人間が集まってきていた。
「織哉待て!よすんだ!」
兄の必死の声にも耳を貸さず、織哉は
秘術中の秘術である次元渡りの術は、霊能力によりこの世に幾層にも重なる次元を超える術である。
それにより遠く離れた場所に瞬時に移動することもできるし、別の次元にも飛ぶこともできる。
しかし施術を失敗すれば、体は消し飛ぶ。もしくは次元の狭間にはまり込み、元の世界に帰れなくなる。
高い霊能力と技術が必要な術で、現在の御乙神一族の中では、織哉しか使い手のいない術だった。
炎の竜巻に巻かれ、二人の姿は消えた。
燃え盛る森の中、消えゆく竜巻の前で、輝明は成す術なく立ち尽くしていた。
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