第四の刺客(5)



 喉が潰れたように、声が出なかった。体が自分のものではないように、動かなかった。


 身動き一つしない唯真に向かって、輝明は火雷を抜刀する。


 闇にともるように咲いていた桜が、火雷の炎を受けて赤く照らされる。


 まるで蝋人形の様な唯真の顔も、赤く照らされた。


 欧亜混合に整った顔に、輝明は火雷を向ける。



「ちとせに命じて、就寝中にあなたの過去の記憶を探らせた。僕らは、そういうこともできる」



呪術で他人の思考、記憶を覗くことは諸法度しょはっとで禁じられている。


 この術は、世を渡る戦略として非常に有用なものであると同時に、人間の尊厳を著しく傷つけるもので、使い方を間違えれば、いとも簡単に術者に人としての道を踏み外させるものであるからだ。


 やむおえず行使する場合は、事前に宗主の裁可が必須であると定められている。


 宗主の行動が諸法度に抵触する場合は、合議に掛け事前に七家の意見を聞くのが最低限の配慮だろう。


 『合議』に掛けることなく独断で配下に命じたことが知られれば、輝明は一族内から非常な不信を買う。


 けれどもう、輝明はなりふり構ってはいられなかった。



 

 輝明の言葉を聞き、唯真は声が出ない。頭の中も何も浮かばず、真っ白だった。


 輝明はただ淡々と言葉を紡ぐ。



「自分の事を潔白だと言える人間は、この世にはまず居ないよ。そんなことは、正面切って言うものじゃない。


 僕とて、口が裂けてもそんなことは言えない。あなたを殺すことでしか、織哉も、我が子も、一族の皆も守ってやれない、そんな弱い人間なのだから」



唯真はその場にへたり込んだ。


 殺される恐怖よりも、輝明によって現在に引きずり出された過去の悪夢が、唯真の全身の力を奪った。


 涙に霞む景色は、夢の様に綺麗で、赤い炎が綺麗で、立ちはだかる輝明は、悪魔の様に怖かった。


 その姿を見て自分が怖かったものを、唯真は思い出していた。



 男が怖かった。女も怖かった。大人が怖かった。結婚して一年足らずで離婚した母親は、次々と男性を渡り歩いていた。


 母は資産家の一人娘だった。連日連夜遊びまわる母をひとり自宅で待ちながら、唯真は家政婦が作り置いた食事を食べて育った。


 たまに酔った母親に殴られていたけれど、それでも母親が好きだった。いつも母親を待っていた。


 小学校に通い始めると、とても楽しかった。


 勉強も好きだったし運動も得意で、そんな唯真を先生達は褒めてくれた。優しく可愛がってくれた。


 だから学校に居れば寂しくはなかった。放課後も学校に居たくて、小学校の部活動のひとつだった器械体操部に入った。


 途中から新体操にコース変更して、全国大会にも出場するようになった。


 周りの人は容姿や新体操の事を褒めてくれたけど、母親はいつも不機嫌だった。小学校高学年辺りから更に当たりがきつくなり「色気づいて」と、捨て台詞をされていた。


 けれど高校生になった頃、母親は再婚すると、驚く程穏やかになった。


 家事もするようになった。新しい夫に手料理を食べてもらい、褒められると少女のように笑っていた。


 唯真も嬉しかった。母親が笑顔でいてくれて、もう夜も遊びに出ていかない。唯真にとっては初めてできた父親と一緒に、大会に応援に来てくれた。


 両親に応援に来てもらえる子達が、ずっと羨ましかった。優勝するより表彰台に立つより、家族に応援に来てもらえる方がずっと嬉しかった。


 だから壊したくなかった。やっと手に入った欲しかったものを、失いたくなかった。



 就寝中、義父に襲われた。


 筆舌に尽くしがたい恐怖と嫌悪に、こんな事二度としないでと言ったら「このことをばらしたらお母さん捨てるよ」と返され、誰にも相談できなかった。


 繰り返される行為を、歯をくいしばって耐えるしかなかった。


 母親に、笑っていて欲しかった。やっと幸せそうに笑うようになった母親を、寂しさに荒れていた昔に戻したくはなかった。


 次第に食事が取れなくなり体重が激減して、精神が不安定になった。高校三年生の頃には競技ができなくなり、せっかく選ばれた全日本への招集も断るしかなかった。


 友達にもコーチにも本当の事は言えず、理由を聞いた母親に、とうとう真実を話した。


 最後は母親にしか、助けを求められなかった。



 「そんなことある訳ない」と、話を聞いた母親は言った。


 その顔は、鬼の形相だった。


 散々唯真を殴った後、義父に詰め寄ると、義父は「唯真に誘われた。抱いてくれないと死ぬと言われたからこの子を助けると思って抱いた」と言った。


 「出ていけ」と、母に怒鳴られた。


 「お前の様なふしだらな女は私の子供じゃない。二度と顔を見せるな」と、包丁を突き付けられた。


 家から引きずり出された時、母の後ろであさっての方向を見ていた義父の姿が忘れられない。


 自分はまるで関係ないような顔をしていた。男がどれだけ狡くて怖いものか、骨身に染みて知った。



 帰る家を失った卒業までの三ヶ月間、居場所を提供してくれたのは担任の若い女性教師だった。


 補導された唯真を引き取り自宅に連れていき、無理に理由を聞かず居候をさせてくれた。


 先生は、推薦が決まっていた大学に進学するよう強く勧めてくれたけれど、唯真は就職を選んだ。


 一円も所持金が無いのに、奨学金だけで大学に入学できる訳がないこと位、当時の唯真にも分かっていた。


 何より、強くなりたかった。母や義父に、狡い人間に負けない心と体の強さが、今すぐ欲しかった。


 警察官になれば、取り締まる側になり強くなれると思った。不本意な目に遭った時、自分を守る強さと賢さを得られると思ったのだ。


 でも本当は、強い集団の中にいて、自分が守られたかったのだ。警察官をひどい目に遭わせる一般人は居ないと思ったのだ。


 要は、母と義父が、怖かったのだ。



 情けなく悲しい、救いようのない就職の理由だった。先生には本音は話せなかったが、薄々、気が付いていたように思う。


 最後まで「お金が貯まって気が変わったら、大学に行って。将来の選択肢が増えるから」と説得された。こんな先生だったから、これ以上迷惑を掛けたくなかった。



 警察の退職を決めた時、今度こそ自分で人生を選び取ろうと思った。


 追い詰められ追い込まれて仕方なく選ぶのではなく、希望を持って、自分の意志で人生を選びたかった。


 自分を守る力も知恵もなかった子供の自分に、できる限りの事をしてくれた先生の様に、自分も追い詰められた子供の力になりたい。そう思って、教員への道を志したのだ。


 一〇年前とは違う、今は金銭も住む場所も戦う力もある。今度こそ、今度こそ、自分で選んだ人生を手に入れる。そう思って頑張ってきた。


 でも。



「あなたはもう僕の結界に捕らわれている。この結界からは、あなた一人では逃げられない。


 織哉も織哉の霊獣も、あなたの居場所はつかめない。織哉の護身術ごしんじゅつも、神刀にはほぼ無効だ」



身に迫る、炎の燃える刀を、唯真は涙の溢れる目で見ていた。


 疲れた、と、思った。もう、疲れた、と。


 頑張る事も、諦めずに前を向く事も、裏切られる事も、絶望する事も、繰り返し過ぎてもう疲れてしまった。


 もう、立ち上がれなかった。



 「どうして」と、唯真は呟いた。地面に崩れたまま、輝明へ問う。



「どうして……今になって、私を殺すのですか」



輝明は、火雷を突き付けたまま答えた。殺気が映る顔が、不似合いな憐憫れんびんに歪んだ。



「唯真さん、本当にすまない。本当に、申し訳ない。けれど、まさか、まさかあなたの相手が、滅亡の子の父親が、織哉だとは思わなかった。


 どうしてもその未来だけは、絶対に変えなければならない。織哉だけは、どうしても駄目だ。織哉だけは、僕はどうしても守ってやらなければいけないんだ……!」



先視の幻影の中、唯真に抱かれる幼子の後ろ姿に、輝明は理由の分からない引っ掛かりを感じていた。


 その引っ掛かりの理由が閃いた時、突如先視さきみはその先を開いた。



 視えた未来は、気を失いそうなほどの、悪夢だった。



 跡形もない宗家屋敷と死体の山。その中に、御乙神一族の正装を纏う二人が対峙している。


 一人は、背を向けていて顔が見えないが、少しくせのある黒髪の、まだ若い青年の様だった。


 鷹揚に刀を手に下げているように見えるが、輝明にはどこにも隙が見出せない。相当の使い手であるのが分かった。



 顔の見えているもう一人も同じ年頃の、茶色がかった髪の細身の青年だった。


 彼の構える日本刀は、白い雷光を纏っていた。それは五本の神刀の中の一振り、雷に縁を持つ『天輪てんりん』に間違いなかった。


 追い詰められた、決死の表情の顔は見覚えがあった。


 色素の薄い茶色がかった髪と女性的に整った容貌は、美鈴に良く似ていた。彼は、美鈴が今身ごもっている我が子に間違いなかった。



 放電するように体周りに雷光が躍り、息子は天輪を振り上げ、対峙する相手へと斬り込む。


 黒い空を白い光が割り、振り上げた天輪めがけてほとばしる。天から雷撃を呼んでの、勝負の一撃だった。


 爆発する地面と雷光で、二人の姿は見えなくなる。



 雷光が消え土煙が薄れ、景色が見えてくる。立っているのは一人だけ。


 日本刀を振り抜いた格好の、黒髪の方だった。


 息子は、首と胴が離れ、相手の足元に転がっていた。


 御乙神家最後の一人の首を刎ねた黒髪の術師は、踵を返した。何の感慨もなく、用は終わったとばかりに。


 初めて視えた『滅亡の子』の顔に、輝明はもう、叫び出しそうだった。


 『滅亡の子』は、織哉と瓜二つの顔をしていた。


 けれど肌の色は織哉よりもずっと白く、その眼差しも、どこか影のある寂し気なものだった。


 それは間違いなく、織哉の容貌に、唯真の肌の白さと眼差しが合わさっていた。先視に映る幼子の後ろ姿は、屋敷に来たばかりの頃の織哉に瓜二つだったのだ。


 それは、織哉を育てた輝明にしか分からない事だった。


 真実に気づいた輝明だけが、その真実を踏まえた未来を視ることができたのだ。





 輝明が片手で火雷を振り上げた。唯真は目を閉じた。途端、涙がどっとあふれた。



(そういう、事か……)



自分は輝明にとって『駒』だったのだと気づいた。


 輝明の理想の統治を叶えるための『駒』。霊能力に奢らない、人道に則った統治を行うための『駒』。


 織哉や美鈴達の輪に入って生活をしていたから、錯覚してしまったのだ。


 自分も彼らの一員であると。あの深く暖かい信頼関係の輪の中に入った仲間であると。


 でも違った。唯真は仲間ではなかった。あくまで外部者であり政治の『駒』だったのだ。


 織哉と唯真が天秤に掛かれば、輝明は本当の仲間である『家族』の織哉を取る。そんなことも、見通すことができなかった。



(うれしかった……)



守ってもらって。優しくされて。心配されて。まるで家族の様に。


 手作りの温かい食事を用意してもらって、世話を焼かれて、本当は、うれしくてくすぐったかった。

 

 離れでの生活は、子供の頃憧れた、温かい家庭の様だった。

 

 居心地が良すぎて自分はまた判断を誤ったのだと、涙がとめどなく零れる中、唯真は悟った。



 そして絶望の中、子供の父親が織哉であったことが知れて、それだけは胸が締め付けられるほどに―――うれしかった。



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