第四の刺客(2)



 織哉の不在は長引いていた。



 最初の分家への応援は二週間ほどで終わったのだが、今度は別の案件でそのまま現場へと向かうことになった。


 一つ終わればまたその次、そしてまたその次と、途切れることなく仕事が入り続ける。


 唯真が御乙神家に来てからもう一〇か月が過ぎようとしていたが、こんなに長く織哉の顔を見ないのは初めてだった。



 寝室のライティングデスクの上に乗る和紙の小箱は、開かなくなってもう三週間が経とうとしていた。



 その夜は新月だった。常夜灯だけの明かりの中、唯真は静かに小箱のふたを開ける。


 動くことの無くなった人形は、ただの紙切れとして美しい箱の中に横たわっている。


 唯真はただ、見つめていた。薄暗い寝室の中で、寂し気な目で人形を見つめていた。

 




 

 一〇月も終わろうとしていた頃、明るいニュースが二つ入ってきた。



 一つは美鈴の懐妊の知らせだった。


 体調が優れないという理由で、夏の終わり頃から唯真の護衛を外れていたが、本当の理由はこれだったらしい。


 そして無事安定期に入ったので、お披露目と相成ったようだ。


 以前三奈に、御乙神宗家は子供が生まれにくいと聞いていたが、例外なく美鈴もなかなか子供を授からず、唯真は不妊の悩みを打ち明けられていた。


 血筋によって貴重な能力が受け継がれる以上、子を成す事を期待されるのは当然の流れだろう。


 結婚してから二年の間、不妊治療とまではいかなくとも子宝に良いとされる健康法を色々試していたそうだが、ようやくその成果が出たようだ。



 そしてもう一つのニュースは、三奈がようやく退院し、離れの家政婦に復帰するという知らせだった。


 織哉も長期不在で美鈴ももう唯真の護衛をすることはないだろう。


 そんな中で三奈が離れに帰ってきてくれるのは、唯真にとっては久しぶりに気分が明るくなる出来事だった。



「唯真さん!」



離れの玄関を開けるやいなや、持っていた荷物を放り出して三奈は唯真に抱き付いた。


 唯真も細い三奈の身体をしっかりと抱き返す。


 三奈と直接会うのは、梅雨前の五か月前、ぼろぼろになって離れから運び出されたあの時以来だ。



「良かった……元気になって良かった……おかえりなさい三奈さん。おかえりなさい」



思わず涙ぐみながら三奈を抱きしめる。


 御乙神家に来てから、すっかり涙もろくなってしまったと唯真は思う。


 けれど、こんな自分も嫌ではなかった。嬉しい時悲しい時、素直に涙を流すのも悪くないと思うようになっていた。


 ほんの半年ほどしか一緒に過ごしていないのに、肉親のように親友のように二人は抱きしめ合った。


 髪伸びましたね、と、抱擁を解いて三奈が唯真を見上げる。


 涙を拭きながら、笑顔で肩過ぎまで伸びた唯真の髪へと手を伸ばす。



「また、結んでいいですか?あ、やっぱり綺麗な髪。伸ばすと少しウェーブがかかるんですね。良く似合っていますよ」



「ありがとう。またお願いするね。手入れの方法を教えてちょうだい。色々、流行りの方法を習ってきたんじゃない?」



「任せてください。病院で仲良くなった子達と、今度外で会うんです。あれ?そういえば」



不意に三奈は周囲を見回す。ものを見る訳ではなく、空中に視線を巡らせる。怪訝な顔をした。



「離れの今の結界、ちとせさんと……輝明様の結界ですね?黒龍も気配がありませんけど、あの、織哉様は……?」



三奈の様子に唯真はほんの少し、表情をこわばらせる。しかしすぐに口を開く。



「外での仕事が忙しいみたいよ。一ヶ月以上ここには帰っていないの」



「もうここには帰ってきませんよ」



割って入ったちとせの声に、二人は同時に振り向く。



「織哉様は、唯真さんの護衛から外れることになったんです。私が正式に唯真さんの専属の護衛になりました。


 実は織哉様、おめでたい話が進んでいてお忙しくて、直接お話しする時間がなかったみたいですね」



いつもの朗らかな笑顔で告げるちとせとは正反対に、三奈は表情が凍り付いた。



「え、ええ?おめでたい話ってまさか、織哉様、ご、ご結婚されるんですか?そんな、何で急に」



「急でもないよ。以前から、それこそ一〇代半ばの頃から山のようにそういうお話はあったから。三奈も噂くらい聞いているでしょ?


 御乙神宗家の神刀使いの上あの容姿だから、他の霊能術家やら顧客の資産家やら政治家やら、よりどりみどりで話が来て、輝明様も断るのに一苦労だったんだよ」



「あの、相手は、どなたなんですか?」



「幼馴染の鶴城家つるきけの次女さんだよ。あの女だてらに霊刀使った退魔行をやる、ちゃきちゃきしたお嬢さんだよ。


 子供の頃から仲良かったそうで、輝明様もとても喜んでいらっしゃったよ。おめでたい事続きで、師匠の私も本当に嬉しいよ」



 今までの喜び様はどこへやら、目を見開いて狼狽える三奈は、うまく言葉を選べず、しどろもどろになっている。


 ちとせそれは嬉しそうな顔で、立て板に水のごとく話を続けていく。



「あんな方がいつまでも一人でいると、もしかしたらと惑ってしまう女性が後を絶たないから、早く身を固めてもらった方が全てに置いて良いんだよ。


 織哉様ももう十分遊び倒したでしょうから、そろそろ年貢を納めてもらわないとね」



「……あの人、そんなに派手に遊んでいたんですか?」



沈黙していた唯真が、ぽつりと尋ねる。ちとせは待ってましたとばかりに口を開く。



「まぁあくまで噂ですけどねぇ。でも、皆が知っている派手なのありましたよ。


 織哉様が一五の頃でしたか。何と飛竜様の当時の恋人に手を出しちゃってですね。その方と別のお嬢さんが、どっちが織哉様の本命かってことで術を使って大げんかしてしまって。


 でも織哉様、皆の前で『どっちも違う』って言い切って。お嬢さん達は号泣、飛竜様は真っ青、輝明様はため息、織哉様はどこ吹く風で。それはもう地獄絵図でしたよ」



頬に手を当て溜息混じりに回想するちとせに、三奈が両手を握って反論する。



「そ、その件は飛竜様の恋人が、実は織哉様に乗り換えようと狙っていてそれを織哉様が逆手に取ったって聞いてます!


 もう一人の女性は、その、よ、夜這いが成功したのを女の子達に自慢して、それを聞いた飛竜様の恋人とケンカになったって。


 結局、全部織哉様が仕組んだ、飛竜様への盛大な嫌がらせだったって聞いてます。第一それ一〇年近く前の話じゃないですか!」



「一五歳でそれだけの事やらかすんだから、とんでもない女たらしだよあのお方は。

 鶴木家のお嬢さんはそれを知った上で結婚決めたんだから、織哉様を支える覚悟ができてるんだよ。


 それに飛竜様はあの騒ぎが原因で恋人と別れてるから、今でも織哉様とものすごく仲悪いじゃないか。

 そうやって禍根が残るんだよ。だからああいう人は、早く家庭を持って落ち着いた方が良いんだよ」



「で、でもっ……!」



「三奈さん」



更に言い募ろうとした三奈を、唯真がやんわりと止める。



「移動で疲れたでしょう?取り合えず部屋で少し休んだ方が良いと思う。夕食の支度は私がするから」



「え?それはダメです、それは私の仕事……」



ふわりと三奈の髪を撫でて、唯真が優しく微笑む。それは計算された様に綺麗な笑顔だった。



「いいのよ。まだ病み上がりなんだから。少しずつ体を慣らしていって」



 にこりと微笑みながらそれだけ言うと、三奈の荷物を持って唯真は二階に上がって行く。三奈も慌てて唯真の後を追った。

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