第四の刺客
第四の刺客(1)
『椿の間』に、雑に打ち付ける金属音がする。
薄い行燈の明かりの中、輝明が正座のまま、床に
驚愕も極まった表情のまま、両手は火雷を掲げていたそのままの姿勢で微動だにしない。
いや、手は細かく震えていた。神器として崇められている神刀を取り落とすなど、あってはならない事だった。
纏う炎の消えた火雷は、一振りの刀として床に投げ出されている。
大切な神刀を拾うこともなく、輝明は抜け殻の様に呆然と、身動きを止めていた。
眼鏡の奥の目が、見開かれていく。内心で荒れ狂う混乱が、瞳に映し出されていた。
己が感情を常に統御せよと教え込まれた輝明が、思わず叫び出しそうになり、ぎりぎりで歯を食いしばり激情を飲み込んだ。
ようやく体が動くようになり、手を膝の上に置く。崩れそうな体を膝に手を置いて支える。
がくがくと、体が震えだした。膝を握りしめ、体の震えに耐える。
視点の定まらない目には、うっすらと涙が浮かび始めた。
混乱の、極みだった。
「そんな……馬鹿な……!」
冷房を付けることもなくなり、日暮れも日に日に早まっていく。
九月中旬の今夜は十五夜で、今年は月の巡りが例年よりも早かったらしい。
まだススキの穂が出てないんだけどね、と、秋の七草を花瓶に生けているちとせがぼやく。
作り終えた団子を三宝に盛っていた唯真は、笑顔を向けて相槌を打った。
「今年の十五夜は早いですからね。夏も暑かったし、しょうがないですよ」
「あの白いフサフサがないと、何か気分が上がらないんだよねぇ。
昔は子供達が十五夜の団子を取って回ったりしたもんだけど、今はそういうのもなくなって、ますます気分が上がらなくってね。孫達もちょっとつまらないと思うんだよ、最近の十五夜は」
他愛ない雑談をかわしながら、唯真は離れでの日々を過ごしていた。ちとせともひと夏を共に過ごし馴染んで、穏やかな毎日を送っていた。
今夜は、ちとせが護衛を務めてくれていた。織哉は、今朝から急遽遠方の分家へ応援に駆り出されたそうだ。
ちとせの話によると、かなりやっかいな案件で負傷者が続出していて、その分家の当主も負傷し指揮を執れなくなったらしい。
分家の体制が整うまでしばらくの間、織哉が常駐して指揮を執るとのことだった。
一般の会社で言う出張ね、とバランスに気を配りながら団子を並べつつ、唯真は思う。
(しばらくって、どのくらいだろう……)
事件はいつも、織哉の留守を狙って起こっている。
織哉は離れていても、結界内部の異変を察知できるらしい。だから織哉は唯真を離れから出さない。結界の中なら、離れていても織哉の守護が届くのだ。
そう考えながらも、唯真の胸の中に、じわりと染みのように不安が湧き出る。
今までも唯真の命を狙う者達は、僅かな抜け穴を探り当て身辺に迫ってきた。
輝明が『一番安全だから』と連れてきた、自身の目と鼻の先、屋敷内の離れでさえ二度も襲撃を受けている。
これが一般の社会に居たままなら、唯真はとっくの昔に抹殺されていたのだろう。
輝明の配慮を改めて有り難いと思いながら、目の前の、綺麗に盛り付けた月見団子を見る。
実は唯真は初めて作った月見団子だ。食べる時に付け合わせる餡子も、初挑戦で小豆から炊いてみた。
(甘めの餡子にしてみたんだけどね)
実は甘党の織哉に合わせて。実は餡子菓子が好きな織哉の分を見越して、月見団子を多めに作ってみたのだけれど。
出張の話を聞いたのは、団子を作っている最中だった。
少し多めに作ってしまった月見団子は、ちとせに持って行ってもらおうか。
ぼんやりと盛られた団子を見ていた唯真に、ちとせが声をかけてくる。
「お団子、窓辺に持って行ってもいい?」
「あ、はい、お願いします」
ごくわずかだけレースカーテンを開け、出窓に秋の七草を生けた花瓶と秋の作物を盛った籠、そして白い団子の盛られた三宝を置く。
カーテンをを全開にしないのは、唯真であってもうっすらと何者かの視線を感じるからだ。
いつか織哉に見せられたあの不気味な光景が、ちとせには普通に見えているのだろう。
もう少しでお月様が上がって来るよ、と、朗らかな笑顔で告げるちとせに、唯真も笑顔を返す。
けれど、気分が上がらない。口角が上がらない。
それは身の危険に怯えるせいなのか。
(……不安なだけよ)
胸の奥が寒々しく感じる、この感覚は、一体何なのだろう。
「ねえ唯真さん」
会話の弾まない唯真に、ちとせが窓辺からキッチンへと歩いて来る。
ちとせは、まじまじと唯真の顔を見る。歳の割に皺の少ないちとせの顔が近距離に迫り、唯真は少しうろたえる。
「ちとせさん?」
「あなた、綺麗よねぇ。前から美人だとは思ってたけど、何かこう最近、いやにそう思うよ。
髪も地毛だから、染めて金髪にしているのと違って本当に綺麗だよ。人間て、持って生まれた色が一番似合うもんなんだね」
「あ、あの、何か……?」
意図の見えないちとせの言葉に唯真は戸惑う。
まじまじと唯真を観察しながら、ちとせは言う。
「何で嫁に行かなかったの?恋人もいなかったって聞いたけど、あなただったら引く手数多だったでしょう?何か事情があった?」
冗談交じりに織哉にも聞かれた質問だったが、年上の女性に真面目に尋ねられると言葉に詰まる。
本気で疑問に思っているらしいちとせに、唯真は頭の中のデータベースを検索する。
用意している解答の中から、この場にふさわしいと思われるものを口に出す。
「仕事が激務でそれどころじゃなくて。それに私、職場では男勝りで通っていて、女と見られていなかったんですよ。
ふと気が付いたらいい年になってしまって、すっかり行き遅れてしまったんです」
笑顔を作って答える唯真に、ちとせは腑に落ちない表情をしていたが、うん、とひとつうなづく。
「警察官だったそうだね。格闘、強いんだってね。それで男共も怖気づいてしまったのかね。情けないねぇ最近の若い男は。
投げ飛ばされても死にやしないんだから、ダメもとで告白しにくればいいのにね。だからこんな美人が売れ残ったりするんだよ」
売れ残り、とはっきり言われて唯真は心の中で苦笑する。
「今はとてもそんな気分じゃないと思うけど、この件にけりがついて未来が良い風に変わったら、ぜひ結婚相手を探しなさい。
やっぱりね、一人は寂しいし、子供はかわいいものよ。孫もすごくかわいいから。家族って、良いもんだよ」
ね、と唯真の肩を軽く叩き、優しい笑顔のちとせは和室へと入っていった。
ちとせの言葉は、嫌らしさがなく優しかった。親切心から発された言葉は、そうでない言葉達とはすぐに判別が付くものだ。
ちとせが芯から唯真を心配して言ってくれた台詞は、唯真の心に染みた。寒々しかった胸の奥が、温かくなったような気がした。
しかし同時に、唯真の瞳は暗い光が宿る。
暖かくなったはずの胸の奥は、瞬時に冷えた。
凍り付く、真っ黒の―――絶対零度の記憶に。
我知らず表情の凍った唯真を、仕切り扉の陰からちとせは盗み見ていた。
入浴を終え寝室に入った唯真は、ライティングデスクの上に、見慣れないものを見止める。
赤と桃色を基調としたかわいらしい千代紙で飾られた、A5サイズの長方形の紙箱だった。
茶色に金が散った和紙で縁取りがされている、紙製とはいえしっかりとした作りの、高価そうな箱だ。
古い時代、高貴な身分の女性が小間物入れにしていたような美しい箱に、唯真は見覚えのない品なのに思わず心が躍る。
「きれい。かわいい……」
手を伸ばし、箱に触れようとする。と。
唐突に『ぱかっ』と、箱のふたが開いた。箱に伸ばしかけた手を止め、唯真は思わず目を見張る。
「……」
美しい和紙張りの箱の中には、白い和紙から切り抜かれただけの
ほんの数瞬、唯真と和紙の人形は顔を見合わせる。
そしてすぐに『ぱたんっ』と、箱のふたは閉まった。唯真の目は正に、テンになる。
「……」
ほんの少し考えた唯真は、人差し指で美しい箱のふたを『トントン』と、優しく叩く。まるで部屋のノックをするように。
『は、入ってまーすっ』
どこかで聞いた気のする声が、わざわざ甲高いアニメ声を作って律儀に返事をしてくる。
もう全身から一気に脱力した唯真は、何の遠慮もなく一気に箱のふたを取った。
箱は内側も白地に金や茶のかすり模様が散らされた和紙が綺麗に貼られていて、とても手の込んだ品である事が分かった。
しかしそこに足を延ばしてちょこんと座っていた人型は、箱の高級さをぶち壊す調子で元気よく片手をピッと上げ、やはりアニメ声でフレンドリーにあいさつしてくる。
『やあこんばんは。ボク
「……」
この人イケメンで仕事もできるのに何でこんなにバカなんだろうと思いながら唯真は、きょろきょろと周囲を見回す。
その何かを探す様な素振りに、織哉は素の声で尋ねる。
『どうしたの唯真さん?』
「いや、ハエ叩きあったかなって思って……」
『ひどいっゴキブリじゃないからっ』
立ち上がって抗議の声を上げる身長一〇センチほどの人形を、唯真はちょいと摘み上げる。
『うわぁ~暴力反対~』と、じたばたとする人形に溜息を吐きつつ、唯真は反対の手のひらにそっと乗せる。
唯真の手の平に収まりひと心地付いた様子の織哉へ、唯真はもう悟りの境地の心境で話しかける。
「何がどうなっているのかあえて聞かないけど、取り合えず、お仕事お疲れ様。大丈夫?怪我とかしてない?」
『ありがとう、大丈夫。急に遠くに行くことになってごめんね。挨拶したかったんだけど時間が無くて。代わりにこれをね』
よいしょと、唯真の手の平で器用に胡坐をかき、人形は唯真を見上げてくる。
「このお人形……あなたの分身?」
『そう。俺が術で遠隔操作してるの。今回の応援ちょっと長期になりそうだから、通信機器代わりにと思ってね』
スマホとか使わせてあげられないから、と、目鼻のない人形はそれでも唯真を見上げながら伝えてくる。
『こいつが動くのは俺が術を使える時だけだから、一方通行の通信手段だけど、まあ、唯真さんの暇つぶしにでもなればと思って』
捨てたりしないでね、と小首をかしげてくる人型に、唯真は黙り込む。
『唯真さん?』
沈黙してしまった唯真に織哉が声をかける。我に返ったように唯真は口を開く。
「あなた……緊急時にはいつも湧いて出てくるけど、実はその気になればどこでも出没可能なんじゃない?」
唯真の台詞に、手の平の人形はほんのわずか、動きを止める。けれどすぐに手の部分を顔の前でぱたぱたと横に振って、首も横に振る。
『ま、まっさかぁ!そんな瞬間移動なんて漫画かアニメみたいなことできる訳ないじゃない。俺人間だよ?そんなのムリだよできないよっ』
「誤魔化さないでよ。ゴリマッチョの時には遠出してたって言ってたし、三奈さんの時には仕事中の上、本当に空中から湧いて出てきたじゃない?
第一あなた、この箱どうやって置いたの?私部屋出る時、必ず鍵かけるんだけど?」
『……』
「返答は?」
『……』
黙り込んだ人形を、唯真はゆっくりと指を曲げて握ろうとする。握りつぶそうとする。
動きに気づいた人形が、慌てた様子で両手で身を庇う。……でもどこかわざとらしい。
『わあぁ唯真さんひどいむごい!どうせ拷問するならオトナで意味深なヤツにして~』
「……ここのキッチンIHヒーターだから燃やせないわね。マッチかライターあったかしら」
『冗談です唯真さん今の心底冗談だから燃やすとかやめてマジやめて』
レースカーテンを透かして、十五夜の月が照明を灯していない室内を、明るく照らしていた。月の光が似合う、静かな夜だった。
もう肩過ぎまで伸びたダークブロンドを、中秋の名月は煌々とした光で艶やかしていた。
明るい月の光は、花開くように嬉し気な唯真の笑顔を、なお美しく輝かせていた。
楽しげに語る二人の声は、静まり返った廊下にわずかに漏れていた。
それは扉のすぐ横に立つちとせには、十分拾える音量だった。
悩むような、険し気な表情のちとせは、全く物音を立てない鍛錬された身のこなしでその場を離れた。
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