第三の刺客(5)



 離れに閉じ込められたまま、唯真は梅雨の時期を過ごした。


 三奈を元気付けられたらと、手紙を書いて美鈴に託した。



 三奈の為とは言いながら、実は自分が心許ないのだと、唯真は自覚していた。


 御乙神家に連れてこられた当初からずっと傍に居てくれた三奈がいなくなり、それがひどく寂しく感じた。


 そしてもう一人、同じように常に傍に居た織哉とも、気兼ねなく話をすることはなくなった。


 三奈の事件に関する事情を聞いた時からだ。



 異性関係のことなど他人が口を挟む事ではない。頭では分かっているが、どうにも織哉が腹立たしくてならなかった。


 そしてあの時、怪我をしていた織哉を投げてしまった。


 相当頭に血が上っていたようで、実は怪我をしていたことをすっかり忘れていたのだ。


 織哉が悪いとか、やりすぎたとか、二十八にもなって大人気ないとか色々な事を考えながら、織哉とは必要な事だけを話すようになった。


 向こうもそれについて何も触れず、相変わらずの腹の読めない笑顔で必要事項を伝えてくる。


 そしてぱったりと、からかってはこなくなった。



 これくらいの距離感が、本来は適正だったのだと思うことにした。今までが妙に近くなり過ぎていたのだと。


 そう思いながら、唯真の気持ちはどこか晴れなかった。まるで今の季節、梅雨の空模様のようだった。



 三奈の事件の後、織哉と美鈴の他にもう一人護衛が増えた。谷崎ちとせという名の、壮年の女性術師だった。


 ふくよかな体形の朗らかに笑う女性で、もう孫が五人もいるという。


 昔、輝明と織哉の呪術の師匠だったそうで、今でも女性の術師の中では一番の使い手なのだそうだ。


 輝明が、自らが信頼している人間を厳選して手配してくれることに感謝しつつも、これだけの手厚い守りを配備しなければならない自分の現状を思い、更に憂鬱な気分になった。



 梅雨が明けた頃、三奈からの手紙が届いた。




『唯真さんへ



 お元気ですか?お手紙ありがとうございました。


 先週から手のリハビリが始まり、やっと手紙を書くことができました。まだ字がヨレヨレですが、どうか許してください。


 まずは唯真さんを襲ってしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。


 私も一応術者の端くれなのに良いように利用されてしまい、本当に、ここには書ききれないほど申し訳ないと思っています。


 本当はもう、唯真さんに合わせる顔がないので本家屋敷の家政婦はやめようと思っていました。


 けれど織哉様が、『今回の事は自分がかなりの原因だから気にしないで』と。


 強制はできないけど、私がいなくなったら唯真さんが寂しがると思うから、できればまた離れで働いてほしい。


 今度こそ俺が守るからって言って、引き留めてくださいました。


 この一ヶ月、色々考えましたが、唯真さんがご迷惑でなければ、また、離れの家政婦としてお勤めしたいと考える様になりました。


 退院までまだ少し時間がかかりそうですが、もし良かったら、また唯真さんのお世話をさせてください。勉強も教えて欲しいです。



 織哉様、お忙しいだろうに、しょっちゅうお見舞いに来てくれます。


 おかげで女性の看護師さんや同室の女の子達は大喜びで、私もそれに便乗して仲良くしてもらっています。


 織哉様もそのつもりでお見舞いに来てくれているんだと思います。



 今私のいる病室、四人部屋なんですけど、三人で使っています。同室の二人は高校生です。


 普通の女の子達とうまくやっていけるか心配だったんですけど、全然心配ありませんでした。すごく楽しいです。


 ただ、織哉様の仕事とか彼女の事とか色々プライベートを聞かれるのはちょっと困ってしまいます。


 私の彼氏に間違われないのだけは、何というか、納得です。


 明日からは足を動かすリハビリが始まります。早く帰れるよう、頑張ってきます。


 唯真さんも、色々大変だと思いますが、輝明様や織哉様がきっと良いようにしてくださるはずです。どうか気を落とさず頑張ってください。




      七月二十一日    五階の病室から夕陽を見ながら  折小野三奈』






 水色の縁取りに、上部にスイカや花火の和風のイラストが入った便箋は、品よく楽し気だ。


 文章も、できるだけ暗くならないようにと注意を払って書かれた雰囲気がある。


 子供の頃から周囲に気を使って生きてきたのだろう、三奈らしい手紙だった。


 三奈の怪我の状態は、複数の筋断裂に肩の関節と靭帯の激しい損傷、右足のアキレス腱は切れかけていたらしい。


 指や手首の骨はひびだらけで、左足の脛の骨は、完全に折れていたのだそうだ。


 その他あちこちに通常起こりえないような怪我があり、特異な病状を見慣れている筈の御乙神家専属の医師が、一体何があったのかと質問してきたほどの重症だったそうだ。


 家族も、犯人である長女の後始末で手が足りないらしく、母親が一度病院に来たきりで、後は折小野家の使用人が必要な用をこなしに来るだけだという。


 聞くだけで気持ちが潰れそうな現実なのに、本当に強い子だと、唯真は思う。


 大人の自分が落ち込んでいる場合ではないと、自分自身を叱咤激励して返事を書く。


 三奈に喜んでもらえる様な、三奈を元気付けられるような内容を考え、手紙を書いていく。


 三奈に習ったレシピでクッキーを焼いて、手紙と共に美鈴に託した。



 一〇日後、美鈴から黄色い洋封筒を渡された。


 ひまわりの優しいタッチのイラストが入った封筒には、前回よりしっかりとした字で「唯真さんへ」と書かれていた。



 


『唯真さんへ



 お元気ですか?病室から見える景色もすっかり夏らしくなり、差し込んでくる日差しがまぶしいです。


 クッキーありがとうございました。とても美味しかったです。同室の子達にも大好評でした。


 昨日は初めて許可が下りたので、外を少しだけ散歩しました。


 織哉様が付き添ってくれたんですが、なぜか同室の子とその子の担当の看護師さんと、回診中だった私の担当医(全員女性です)も一緒に行くことになりました。


 ……みんな、天気が良いからとか私の回復具合を見たいからとか色々言っていましたが、本音は絶対違います。


 織哉様の奥様になる方は、さぞ気が休まらないことだろうと思いました。


 でもこうやって織哉様が周囲の人と橋渡しをしてくれるので、私は病院内の色々な人に顔を覚えてもらい、楽しく入院生活を送れています。


 怪我をして入院したのに、楽しいなんておかしいですね。


 でも、同室の女の子二人には本当に仲良くしてもらって、この間は流行りのお化粧を習いました。


 まつげとか、付けて増やせるんですよ?すごいです!


 アイプチで二重も作れるし、黒目の大きな可愛い目になるカラーコンタクトまであるそうです。


 私があんまりおしゃれの事を知らないので、二人が面白がって色々教えてくれます。


 こうやってみんな色々な工夫をして可愛くなるために努力しているんだなと思ったら、容姿の事を言われて落ち込んでいた自分は努力が足りなかったなと思いました。


 つまらない話ですが、私に催眠暗示をかけた和香姉は、醜い私の事を子供の頃からとても嫌っていました。


 「どうしてそんなに不細工なのその顔どうにかしなさいよ」と、面と向かってしょっちゅう言われていました。


 気の弱い私は、言われっぱなしで泣いてばかりでした。私が不細工で和香姉が輝くような美人なのは、変えようのない事実だと思っていたからです。


 でも、場所を変え方法を探れば、現状を変える手段は見つかるものなんですね。


 もちろん和香姉のようなとんでもない美人にはなれませんが、土偶と言われた私の細い目も、アイメイクで少しは見栄えがしそうです。


 泣いている場合ではありませんでした。さっさと化粧を勉強するべきでした。


 呪術というのは失敗すると施術者に返りますが、その際、施術者の一番大切な物に返る事が多いんです。


 姉は、何より自慢だった自分の顔に返ったようです。でも、性格悪いと思われるかもしれませんが、同情する気になれません。


 和香姉には私にはない術者としての才能もありますから、罪を償った後、ちゃんと再出発できると思います。本人のやる気があれば、ですが。


 本当につまらない、ぐちを書いてしまってすみません。三人で撮った写真を同封します。


 織哉様も写っていますが、これは他の二人がどうしても一緒に撮りたいと言って無理矢理入ってもらったんです。


 二人はこの写真を入院の記念にすると言っていました。


 本当に、織哉様の奥様になる方は心配でたまらないだろうと思います。



 明日から一段階負荷を上げたリハビリに入ります。頑張ってきますね。




       八月三日  三人で窓から打ち上げ花火を見ました  折小野三奈』






 それでいいのよ、と、唯真は心の中で呟く。



 後半なかなか辛辣だったが、実の姉に殺されかけた事実を乗り越えるには、これくらい強気でいなければ参ってしまうだろう。


 外の世界に触れ同年代の少女達と過ごし、三奈が成長しているのを感じた。もっともっと成長し強くなり、自分なりの幸せを掴みに行って欲しいと思う。 



 リビングで手紙を読んでいた唯真は、ちらりと可動式の仕切り扉を見やる。そこはリビングと続きの和室となっていて、今日は織哉がいる。


 最近は離れに滞在している時は、ほとんどこうやって扉を閉めた和室に籠っている。


 特に物音もしないので、何をしているのか本当に分からない。


 織哉の様子は別段以前と変わらない。必要事項を会話して、三奈の見舞いに行っていることも聞いている。


 別に何か問題がある訳ではない。食事もちとせを交え一緒に取る。


 笑顔で『普通』に対応してくる。『普通』に。



「……」



 閉じられた和室の仕切り扉を、唯真は少しの間見つめる。


 扉は、ぴったりと閉じられている。



 唯真は静かに二階の寝室に上がり、ライディングデスクに向かう。



 白地にワンポイント、四つ葉のクローバーの型押しが入った便箋に、三奈への返事を書き始めた。





『唯真さんへ


 お元気ですか?毎日のように最高気温を更新していますが、夏バテしていませんか?ご飯食べれていますか?


 こんなに暑い日は、薬味の効いたお素麺を作りたかったなと思います。


 お仕事に復帰したら、美味しいものいっぱい作りますね。待っていてください!


 昨日、同室の子が一人、退院しました。私がスマートフォンを持っていないので、自宅の電話番号と住所をメモ書きして渡してくれました。


 「手紙ちょうだいね、私も書くから。退院したら絶対に三人で遊びに行こうね」と言ってくれました。本当にうれしかったです。リハビリを頑張る目標がまた一つ増えました。


 何だか、入院してから良い事ばっかりです。入院していること自体があまり良い事ではないですけどね。


 もう一つ、あまり良くない事がありました。和香姉の離婚が決まったそうです。


 実は私、和香姉が織哉様に熱を上げているのを知っていました。でも別の人と結婚したので諦めたのだと思っていたんです。


 姉は昔から、陰であちこちの男の人をからかって遊んでいたんです。もてあそぶ、という表現がぴったりくるやり方です。


 でも織哉様だけは、自分の思う様にできなかったみたいです。


 母の愚痴から聞くだけなので正確な所はよく分かりませんが、どうやら今でも本命は織哉様で、旦那様の事は、織哉様への当て馬に利用しているつもりが、いつの間にか外堀を埋められて逃げられなくなって、仕方なく結婚したんだそうです。


 姉に夢中とはいえ、押さえるべき点は押さえてきた旦那様の方が一枚上手だったということでしょう。


 織哉様にはとっくの昔にフラれていたのにそれでも諦め切れず私をダシに近づいてまたフラれ、たまたま話に出てきた私の事を勘違いして、盛大に足を引っ張りに来たというのが今回の事件の真相の様です。


 御乙神一族の未来なんて、これっぽっちも考えていないのが丸わかりです。


 状況をまとめると、いわゆる以前唯真さんにお話した『織哉様をめぐる女の闘い』に巻き込まれたわけですが、察するところ和香姉にとって私はとことん人間ではないのでしょう。


 そしていい加減、男の人を馬鹿にし過ぎです。


 おかしいとは思っていたのですが、織哉様が忙しい中、こんなにしょっちゅうお見舞いに来てくれる訳がようやく分かりました。


 自分と和香姉のいざこざに巻き込んでしまったと、私に対して責任を感じていたんですね。


 そしてきっと、私に同情しているんだと思います。感情移入の方が正しいかもしれません。


 織哉様は、実は輝明様とは異母兄弟で、お母様は霊能の世界とは関わりのない一般社会の方なのだそうです。


 私は話に聞いただけですが、御乙神家に引き取られたばかりの頃、御乙神宗家の血が汚れると言って、保守的な人達が織哉様の暗殺を企てたそうです。


 けれど勘付いた輝明様が駆けつけ、間一髪で織哉様を守ったんだそうです。


 だから姉に殺されそうになった私の事を、放っておけないんだと思います。


 まだ子供で無力だった織哉様が輝明様に守ってもらった時の事、織哉様は忘れていないんだと思います。


 きっとすごく怖くて、そしてすごくうれしかったんじゃないかなと思います。


 だからお二人は今でもあんなに仲が良いんだと思います。


 唯真さん、もしかして今回の事で織哉様の事、怒っていませんか?


 唯真さんの手紙の中に織哉様の事が全く出てこないので、もしかしたらと思っていました。


 まだ子供の私に大人の恋愛は理解できない事だと思いますが、織哉様は悪くないと思います。


 私の怪我は、織哉様のせいじゃありません。もし織哉様とケンカしていたら、仲直りしてください。お願いします。



         八月二十日  夕日が秋らしくなってきました  折小野三奈』



  


 寝室のベットの上で手紙を読んでいた唯真は、思わず手紙をまじまじと見つめてしまった。


 三奈のどう見ても一六歳とは思えない観察眼と察しの良さに、脱帽だった。


 暗殺という単語が日常会話に登場するほどの、正に魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする御乙神一族の中で育ち、三奈は人間観察眼が相当に鍛えられているのだろう。


 一足先に秋らしい萌黄色の便箋を使って書かれた手紙を手に、唯真は溜息を吐きつつ天井を見上げた。



(こんな環境で育ってよくまあこんなに優しい子になったものね……)



 繊細な性格で理不尽な目に遭い、だからこそ優しさの貴重さを心底理解しているのだろう。


 御乙神家のとんでもない事情に巻き込まれた自分は不運だと思うが、三奈の様な人間に出会えたことは本当に良かったと、唯真は思った。


 ベットから降りて、ライディングデスクを開きレターセットを取り出す。


 ちとせが持ってきてくれた上部にタータンチェックのラインが入った便箋を広げ、ペンを走らせ始めた。

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