第三の刺客(4)



 梅雨に入ったようで、雨の日が続いていた。薄暗い日中、蕭々しょうしょうと降る雨は唯真の気分そのままだった。



 リフォームされたばかりのリビングで、唯真は一人過ごしていた。


 三奈によりあちこち穴の開いた離れからはまた引っ越しとなり、壁が新しく造られたばかりの、以前住んでいた離れに戻ってきていた。


 三奈はもちろん即入院となり、いつ退院できるかも分からない状態だった。


 身の回りの事は自分でできるからと、唯真は新しい家政婦の手配を断った。



 三奈に暗示を施した犯人は不明だった。


 里帰り中に暗示を掛けられたのは間違いなかったので、輝明はすぐに折小野家全員を呼び出し調査を行ったが、疑わしいものは出てこなかった。


 

 あの日から一〇日が過ぎていた。離れから出ることができない唯真は、三奈の見舞いにも行くことはできない。


 降る雨の音を聞きながら、ソファの上で膝を抱え、三奈の事を考えていた。


 自分がひどく落ち込んでいることを、唯真は自覚していた。


 妹の様に可愛く思っていた三奈を救うことができず、自分がひどくショックを受けてしまっているのを自覚していた。


 玄関から物音がして、二人分の足音がする。


 リビングの扉を開いたのは、先ほど離れを出ていった美鈴と、ここしばらく姿を見なかった織哉だった。


 唯真の顔を見た美鈴が、一瞬表情を曇らせる。しかしすぐに軽い笑顔に切り替わった。



「唯真さん。あの、あまり楽しい話ではないんだけど、ちょっといいかしら」



 静かに唯真の隣に腰を下ろす。織哉は扉の傍に立ったままだ。



「あのね、実は……三奈に催眠暗示をかけた相手が、分かったの」



「犯人が分かったんですか?誰だったんですか?」



 思わず目を見開いて聞き返す唯真に、膝頭を唯真に向けて座る美鈴は、少しの間、口ごもる。自分の膝頭に視線を落とす。


 しかし意を決したように目線を上げ、唯真の目を見た。



「織哉さんが、催眠暗示をかけた相手を探りだしたの。


 三奈に掛けられた催眠暗示は普通のものと違って、言葉に霊力を込めた『言霊』を応用して威力を破格に強化されていた。


 ただ言霊は、呪術ほどの痕跡を残さないからまず探査は無理で、相手もそれを見越して暗示をかけたはず。


 でも織哉さんは、探査を成功させた。そして三奈にかけられた催眠暗示を、呪詛返しの要領で相手に打ち返したの」



 唯真は思わず織哉に目をやる。扉の枠に寄り掛かり唯真を見ていた織哉と目が合う。しばらく見なかった織哉の顔は、少し痩せたようだった。


 そのせいかどこか精悍さの増した織哉は、感情の見えない目で唯真を見ていた。


 織哉に目をやったままの唯真へ、美鈴は淡々と話を続ける。敢えて感情を抑えている様子だった。



「三奈に催眠暗示をかけたのは、折小野家の長女である田知花和香たちばなのどかと、夫の田知花家次期当主の、田知花繁久たちばなしげひさだったわ。


 打ち返された催眠暗示にかかって、二人は三奈の様になってお互いを……殺し合ったそうよ。


 使用人では二人を止めることはできなくて、田知花家本家から救援が到着した時には、お互いに深手を負わせて動けなくなっていて、二人共命は助かったけれど、田知花和香は顔面が陥没するほど殴られていて、大変な美貌の持ち主だったのに、潰れた顔はもう元に戻ることはないそうよ。


 三奈の件は、お互い相手が言い出したと責任を押し付けあっているらしいわ」



 壮絶なしっぺ返しの顛末を聞き、唯真は足元へ血の気が引いていくような気がした。


 織哉を見たまま、何も考えることはできず、心に浮かんだままの台詞が口を付く。



「お姉さんだったの……?三奈さんをあんな目に遭わせた犯人は、実のお姉さんだったの?」



 ソファから立ち上がり悲壮な表情で訴える唯真を、織哉は変わらず感情の映らない目で見ている。


 唯真の目から涙が溢れる。はらはらと零れる涙もそのままに、目を見開いて、喘ぐように言う。



「あんまりよ、何で家族なのにそんなことを。そんなに三奈さんが憎いの?そんなに霊能力とやらが無いのがいけない事なの?そんなに美人が偉いの?


 三奈さんはにこにこ笑ってとてもかわいいじゃない、三奈さんの何がいけないのよ!」



 ショックが行き過ぎて叫んだ唯真を、美鈴が痛みをこらえる様な顔で見つめる。


 力が抜けたようにソファに座り込んで、唯真は涙をぬぐう。


 悔しいのか悲しいのか自分でも分からないまま、荒れる感情のまま溢れてくる涙を手の甲で拭う。



「……私が悪いのね。私の事情に、巻き添えになっただけよね……」



「唯真さん……それは違うわ」



 両目を覆いうつむく唯真に、美鈴が痛ましそうに声をかける。


 わずかに触れるあたりで背中に手を当て、優しくゆっくりとさする。



「私の傍に居なければ、三奈さんはあんな目に遭わなかったのに……家族とここまで亀裂が入ることはなかったのに……」



「それは違うかな」



 ずっと沈黙していた織哉が口をはさむ。


 弱った様子で泣く唯真を見ながら、やはり感情の見えない顔で淡々と話しだす。



「三奈ちゃんの事は俺のせいだよ。あの美人の姉さんのお誘いを、三奈ちゃんを引き合いに出して断ったんだよ。


 前にもう終わりだって言ったのに、しつこいからクギ差したつもりが変な方向に煽ったみたいだ」



 言われたことが良く理解できず、少し間を置いてから、唯真は顔を上げる。



「……一体、何の話?何だか……恋愛の話みたいに聞こえるんだけど」



「恋愛なんかじゃないよ、カラダだけのお遊びでって誘ってきたから乗っただけだよ。なのに結局結婚目当てであれこれ仕掛けてきたから面倒くさくて切ったんだよ。


 なのに自分が結婚した後も誘ってくるしいい加減うんざりしたから、妹の方がましだって言ってやったんだよ。


 多分それを真に受けて嫉妬して、旦那の唯真さん暗殺計画に、三奈ちゃんを駒として差し出したんだろ」



 何の感慨もない様子で赤裸々に話して聞かせる織哉を、美鈴が驚いた顔をして口元を右手で覆う。


 語られた話の内容がようやく理解できた唯真は、弱った表情がみるみる変わっていく。


 怒りが、湧いて出てくるのが目に見えて分かった。


 ソファから立ち上がり、顔をぬぐってゆっくりと織哉の前へ行く。


 壁に寄り掛かり悠然と腕を組んでいる織哉の前に立った頃には、赤くなった目で男前な顔を睨み上げていた。



「……確認するけど、三奈さんがこんな大変なことになった理由は、あなたがお姉さんと遊んで別れ話で揉めて、勝手に引き合いに出された三奈さんがとばっちりを受けたってこと?」



「まあそうだね。でもあの女、腹黒くてプライド青天井なのは分かってたけど、まさかここまでやるとは思わなかったよ。女って怖い……」



 床が鳴った。強い踏み込みの音と同時に、織哉は空中で逆さまになっていた。

 

 重い衝撃音に、美鈴が今度は両手で口元を覆う。思わず腰を浮かせて、声を上げる。



「お、織哉さん!」



 模範演武さながらに見事に決まった投げに、織哉はフローリングの上で身悶えしている。

 掴んでいた織哉の左手首を投げて立ち上がった唯真は、落雷のごとく怒鳴った。



「怖いのは男の方でしょうこの最低男!女性を何だと思ってるのよ!どんな女性だって心があるのよ雑に扱われたら傷つくのよ!


 いくらもてるからっていい気になってるんじゃないわよそんなんだからしょうもない女が寄って来るんでしょ!一生自分の能力に振り回されて誰にも本気で愛されないで寂しく生きていきなさいよ!」



 フローリングの上でそれは痛そうに体をよじる織哉に、美鈴が駆け寄る。


 そんな織哉を捨て置いて、唯真はリビングを出ていった。



「だから男は嫌いなのよ!」



 怒鳴って割れんばかりの勢いで扉を荒く閉め、唯真は二階へと上がって行った。


 まだ床に転がり身悶えている織哉を、美鈴が助け起こす。



「織哉さん、何もあんなこと言わなくても。唯真さんただでさえ三奈の事で責任感じて悩んで、あんなにやつれているのに。


 あの様子じゃきっと夜もろくに眠れていないわ」



「いでで……本当の所話しといた方がいいかなって思って。俺、聖人君子じゃないからさ。美人に誘われたらノコノコ付いて行っちゃうフツーの男だよ」



「それは、その、ま、まあそういう事もあるかもしれないけど、言いたいのは何もまるまる正直に話さなくてもそこは適度にお茶を濁す所……」



「あ、でも輝明は生まれながらの聖人君子だから安心していいよ。我が兄ながら天然記念物だよあの人は」



 痛さを堪えながら織哉は起き上がり床に座り、心配げに美鈴は覗き込む。



「傷は開いてないかしら……。五〇針も縫ったばかりなのにすぐに三日も行に入るなんて言い出すから、輝明さんとても心配していたのよ」



「時間が経つと、ただでさえ少ない術者の痕跡が消えるからね。しょうがない」



 緩く微笑む織哉は、普段の調子を取り戻したようだった。



 よっこらしょ、と呟いて立ち上がる織哉に、胸の前で右手を握る美鈴は告げる。



「護衛は私の方で請け負うから、織哉さんは自分の部屋で休んでいて」



「じゃあお言葉に甘えてそうしようかな。何かあったらすぐに知らせてね」



 左手を軽く上げ、織哉はリビングを出ていく。


 玄関が開く音がして、離れは静かになり、雨の音が聞こえるようになった。






 雨脚が強くなる中を、傘を差して織哉は母屋に向かって歩いていた。いつの間にか霧も出てきていて、薄く周囲を霞ませ始めていた。


 ふと立ち止まり、来た道を振り返る。雨と霧に霞んで見える離れに目をやる。


 織哉の霊能の視野に、寝室で膝を抱いてうずくまる唯真が視えた。


 唯真がよくするその体勢は、まるで何かから自分を守っているように見えた。頑なに何かを拒絶しようとしているようにも見えた。


 織哉は空いた方の手を顔近くに寄せ、何かを呟き始める。それは、一首の和歌だった。



『なかきよの とをのねぶりのみなめざめ なみのりぶねのおとのよきかな』



 それは悪夢から身を守ると言い伝えられている、回文の和歌だった。


 終わりのない回文は始めと終わりが繋がり途切れることはなく、悪夢の侵入を防ぐと考えられていた。繋がった言葉が唱えた者の眠りを囲み、結界となるのだ。


 和歌を読み上げる言葉に霊力を込め、言霊とする。それは織哉の手の平で、小さな光の玉に姿を変えた。



「回文の結界よ。佐藤唯真を穏やかな眠りへと導き、眠る彼女を守れ」



 言霊によって命を下し、息を吹きかけ飛ばす。


 光の玉となった結界は、雨の中、ひと筋吹いた風に舞い離れに向かって飛んで行った。


 雨が降る。蕭々と降っている。その中に織哉は一人立ち、離れを見ている。



 踵を返し、母屋へと歩き始める。織哉の姿は雨に霞み、霧に隠れ、見えなくなった。







 ゆるく柔らかく、雨が降る。肌寒い、梅雨の雨だった。


 音はせず雨の匂いだけが室内に届いていた。曇天の弱い光が入る座敷で、着流し姿の飛竜健信は青磁の水盤すいばんに向かい合掌し、瞑目していた。


 ひとしきり祈り、そして目を見開き、合掌した手越しに水盤の水面みなもを見る。


 霊能力を持たない人間には何も見えないが、飛竜健信には、先視の術により垣間見た、御乙神一族の未来が見えていた。



 毎度お決まりの様に視える、術師達の屍、破壊し尽くされた宗家屋敷。そして最近では、佐藤唯真が抱く赤ん坊が、三、四歳くらいの幼子に成長しているのが視えてきていた。


 滅亡の子は、母親の胸に顔を埋めていて後ろ姿しか見えない。服装や髪形から見る限り、性別は男子であるようだった。


 それ以上は水鏡は何も映さず、飛竜健信は先視の術を止める。


 険しい表情で水面を見つめ、そして懐から出した白い和紙の人形――形代かたしろ――を空に放る。


 形代は空中でわしに変幻し、一度羽ばたいて姿を消す。霧雨の降りしきる空を飛び、飛竜健信の式神は、御乙神家宗家屋敷へと舞い降りる。


 屋敷の結界は、殺気を持たない式神は通すようになっている。


 迷うことなく式神は宗主の執務室へと向かい、書類に目を通している御乙神輝明の元へとたどり着いた。



『輝明。宗主と七家じゃない、幼馴染として俺個人としての忠告だ』



 今日はスラックスにポロシャツと、オフィスカジュアル風の洋装である輝明は、滞空する鷲へ書類から目を上げる。



『早くあの女を殺せ!お前も見えてるんだろう、滅亡の子が育っているのが!未来は悪い方向にどんどん進んでいる。このまま手を打たなかったら、本当に一族が滅亡する未来がやってくるぞ!』



 飛竜健信の怒声に、輝明は特に何も答えない。表情も変わらない。その腹の内の読めない様子に、飛竜健信はなお強い口調で申し立てる。



七家しちけを降ろされた今、俺はもう何も怖いものはない。だから言いたいことは言ってやる。

 滅亡の子は強い。先視の幻影通りなら、御乙神一族が束になっても敵わない力量だ。だから生まれる前に手を打つしかないんだ。


 父親も強いだろうな。俺達の先視の術から逃れているということは、少なくとも俺達以上の使い手である証だ。今父親が現れたら、あの女を守り切れるのか?織哉の先視でも特定できていないんだろう?

 

 太刀打ちできる人間がいないなら、唯一潰し切れる原因を、確実に潰しておくのが正しい方法じゃないのか?』



 マホガニー材の執務机の上に、輝明は書類を置く。無言だ。飛竜健信の式神は、術者の心情を代弁する様に、翼を大きく羽ばたいた。



『お前のこのやり方で、本当に一族を守り切れるのか?お前を信じるからこそお前に付き従う者達を、守り切れるのか?お前の選択に一族三〇〇人からの命が掛かっているんだぞ、分かってるのか!』



 歳が同じで、子供の頃から何かと顔を合わせることが多かった相手に心の内をぶちまけられて、輝明は応えるため口を開いた。



「何を言われても、僕はこのやり方を変えるつもりはない。御乙神一族は、力に奢り人命を粗末に扱う風潮がある。折小野家の一件も、立場の弱い三奈の命を粗末にしたいい例だ。

 

 だから安易に命を奪う解決法ではなく、回り道をしてでも力に頼らない方法で解決できることを示したい。佐藤唯真は生かしたまま、現状を変え未来を変える」



『俺の話を聞いていなかったのか!お前のやり方は現実味がないんだ!お前の綺麗事へのこだわりに俺の一家まで巻き込むつもりか!冗談じゃないぞ!』



 目を覚ませとくちばしを開き怒鳴る鷲に、輝明は「もう帰れ」と言い捨て、再び書類を手に取り目をやる。


 しかし飛竜健信は言い募る。怒りを体現する様にかっと羽を大きく広げる。



『じゃあせめて織哉をあの女の護衛から外せ!子供が生まれて困る女によりによってあんな色男を付けてどうする!』



『その話も散々説明しただろう。織哉はそんな気は無いと断言している。年上は範疇外だと。あの二人はお互い反りの合わない者同士だ。何度言えば分かる』



『口では何とでも言える!あの二人は似た者同士だ、お前は分からんのか?俺は嫌な予感がする。織哉は、お前に……嘘を付いているんじゃないのか?』



 羽を震わせまだ何か言おうとした鷲に、輝明は目をやる。


 それは肝の座った眼差しで、見られた者は思わず後ずさりするような殺気があった。


鷲は、押し黙った。二度、三度羽ばたき、低く呟く。



『……お前達だって、力で一族を締め上げているようなものだろう。力に物を言わせているのは、お前達神刀の使い手だって変わらないぞ』



 言い残して、鷲はかき消えた。


 手に持った書類を再び机に投げて、輝明は重く息を吐きつつ椅子の背もたれに深く体を預けた。眉根が、苦し気に寄っていた。


 輝明の術で視える未来も、健信が言うのと同じく、少しずつ進展していた。


 唯真に抱かれる赤ん坊は、いつの間にか幼子に成長し、恐らくの性別まで分かってきた。


 未来は、悪い方向へ確定しつつある。そして現状を変える手掛かりは、何も見えてこない。



(何だろう……)



 脳裏に術で見える幻影を思い浮かべて、輝明はどこか引っ掛かりを感じていた。幼子の後ろ姿を思い浮かべ、目をすがめる。



(何、なんだろう……)



 言葉にできない、表すことのできない、もやもやとした引っ掛かり。気になるのに、その正体を説明できない。



 輝明の心のもやを現すように、外も霧雨がもやのように周囲を覆っていた。ぼんやりと景色を霞ませ、曖昧に覆い隠してしまっていた。

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