第三の刺客(2)



 「じゃあ、大学は別に行かなくても就職はできるんですね」



「そうね、でも自分の興味がある分野を掘り下げて勉強すると、将来就きたい仕事像がはっきりする場合もあるから、できれば大学も行っておいた方が良いかもね」



 メイプル材の折り畳み式ライディングテーブルに三奈は向かい、その傍に唯真が家庭教師よろしく付き添っている。場所は、二階の三奈の寝室である。



 春先の、御乙神一族の男達の襲撃から三ヶ月が過ぎた。その後は事件は起こらず、穏やかな日々が続いている。


 外は新緑も育ちきり緑が深くなり、次第に晴天の日も減ってきて梅雨の気配がし始めていた。



 約束通り唯真は三奈の時間が空いた時に、まずは一般の社会の教育の流れ、学生生活の様子を話して聞かせた。


 中学時代に自分の適性や学びたいことを見据え高校を選び、受験の準備をする事を教えた。


 すると三奈は「自分に合った学校を選べるんですね」と、いたく感激した様子だった。


 合わない環境に必死に自分を押し込め苦しんできた三奈からすると、自分に合う環境を選べることは、今までの苦しみがほぼ解消する手段だ。


 それを目の前に提示され、自分の将来に希望が出てきたのだろう。


 唯真から見ると、三奈の表情が、以前より快活さが出てきた気がしていた。



 三奈の学力レベルを見ると、数学は買い物に使う四則演算ができる程度だが、国語に関しては漢字の知識や読解力も高く、古文に関しては大学入試の問題をほぼ正解するレベルだった。


 問題を見た織哉いわく「呪術の文献は古代のものが多いから、こういうのは訓練ができてると思うよ」とのことで、唯真が感じていた三奈の地頭の良さは間違いないようだった。


 これなら必要な勉強さえ積めば、コミュニケーション能力も高い三奈はさほど苦労なく一般社会で生活できるだろう。


 確信を得た唯真は、取り寄せてもらった中高学生向けの参考書を教科別で使い分けながら勉強を教えていた。



 二人で話をしていると、部屋の扉が開いて織哉が入ってきた。いつものにこやかな笑顔で声をかけてくる。



「頑張ってるね。おいしそうなお菓子あるんだけどちょっと休憩しない?」



 お茶もはいってるよ、と言う織哉に、三奈が慌てて椅子を立つ。



「織哉様申し訳ありません!織哉様にお茶淹れさせてしまったなんて!」 



「ティーパックをお湯に浸しただけだよ。何もしてないよ」



 いやそんなダメです、それは私の仕事です!と、慌てて部屋を出ていく三奈を見送り、織哉が唯真に声をかける。



「邪魔したかな?あまり根を詰めるのも疲れるかと思って」



「今日の範囲は終わったから大丈夫。ありがとう」



 自分も席を立つ唯真を、織哉はどこか楽しそうに見ている。


 織哉の視線の理由を分かっている唯真は、少しむっとしたような表情をする。実はちょっと恥ずかしいのだ。



「あんまりじろじろ見ないで。三奈さんが喜ぶならと思って、好きにさせてるのよ」



「良いと思うよ。良く似合ってる。そんなに長くなくても凝った髪型ってできるんだね」



 今、唯真の髪は生来の茶金髪・ダークブロンドのまま、長さは肩に着くほどまでに伸びていた。


 今日はそのダークブロンドを三奈が両サイドから丁寧に編み込みピンで留め、まるで長い髪をアップスタイルにしているように見える。


 毎日三奈が梳いてくれる髪は艶を増し、外国人俳優のハニーブロンドのような派手さはないが美しく輝いていた。



 唯真が髪の染色を辞めたのは、三奈に『自分は自分のままでいい』と教えるためだった。


 三奈はとにかく自己評価が低く、自分は全てがダメな人間だと思い込んでいた。


 唯真は、その自己肯定感の低さが、家族からの雑な扱いに拍車がかかっているのではと考えた。


 どちらにせよ、自己肯定感が低すぎるのは一般社会に出ても周囲から軽く扱われる原因になる。


 自分自身を否定しない、それを目に見えて教えるため唯真は髪の染色を辞めた。



『私、自分の髪の色が嫌いで染めていたの。でも本当は、この髪の色も私の一部なんだから、あまり嫌い過ぎたら自分を否定しているみたいで自分がかわいそうよね。


 だから辞めるわ。まずは自分が、ありのままの自分を認めてあげようと思う』



 この行動が、どれだけ三奈の心に響いたかは分からない。


 ただ三奈は、伸びていく唯真の髪を梳きたがった。


 その行動は少し幼い気がしたが、よく考えると小学校にも通っていない三奈は、友達同士で髪をいじり合うような遊びすらしたことがないのかもと思い当たった。


 普段聞く話からして、姉達との仲も良好では無い様子だから、三奈の幼少時は、本当に孤独で苦しいものだったのだろうと唯真は気の毒に思った。


 この不可思議な力を持つ御乙神一族が、特別おかしいとは思わない。


 三奈の苦しみは、一般社会の普通の家族でもよくある悩みだからだ。


 持つ能力が違っても心は同じ人間であるのだと、この件で唯真はしみじみと感じていた。



 織哉と共に三奈の寝室を出て一階に下りると、三奈がテーブルをセッティングしてくれていた。


 織哉の持ってきたお菓子はパステルカラーの色とりどりなマカロンで、ガラスのプレートに愛らしいレースペーパーが敷かれ、そこにきれいに並べられた様子は、大人でも胸躍るような可愛らしさだった。


 茶器は白地にピンクで繊細な模様の描かれた、上品かつ可愛いらしいものが準備されている。

 

 サテン生地のアイボリーのテーブルセンターに、庭に咲いていたのだろう、瑞々しい白い薔薇まで飾られたイングリッシュスタイルのテーブルコーディネートに、唯真が笑顔で三奈を褒める。



「可愛いわね、マカロン。テーブルの上、どれも本当に可愛い。三奈さんはテーブルコーディネートもセンスが良いわね」



 三奈に自信を持ってもらうため、わざとらしくはならない様にしながら、気が付いたことは口に出して褒める様にしていた。



「ありがとうございます。綺麗な色のお菓子だから、思いっきりオシャレなコーディネートが似合うかなって思って」



 お盆を抱いて嬉しそうに微笑む三奈に、唯真も優しく微笑みを返す。


 すっきりと編み込まれたダークブロンドは、西洋の雰囲気がある顔立ちを縁取って、見る者に華やかさと同時に清楚で上品な印象を与える。


 まるで、ヨーロッパの古い時代の貴婦人のようだった。



 二人が笑顔で楽し気に話す様子を、織哉は一歩下がって見ている。



 織哉も淡く微笑んでいた。以前より明るくなった三奈を、その三奈に包む様な微笑みを返す唯真を、優しい眼差しで見ていた。








 田知花たちばな家の次期当主の自宅は、田知花家本家の屋敷から車で三〇分ほどの離れた場所にある。去年結婚する際、新妻のためにと新築したのだ。


 不動産資産として億単位の額を見積れる豪勢な邸宅のリビングで、田知花家の次期当主、田知花繁久たちばたしげひさは酒をあおっていた。



「宗主はいつまであの女を生かしておくつもりなんだ!


 現状を変えることで未来を変えるなどぬるい事を言っているが、その前に取り返しのつかない事態になったらどうするんだ?


 危険因子は気づいた時点で即潰す、それが危険回避の一番の方法だろう!」



 ソファに座りひとり愚痴をこぼす夫の横で、薄桃色のシルクのガウンを纏う妻の和香は黙って酒を注いでやっている。



 三か月前の、飛竜家当主である飛竜健信による離れの襲撃は失敗した。


 宗主は合議ごうぎで申し渡してあった通りに、諸法度に基づき飛竜健信以下襲撃に関わった者達を処罰した。


 飛竜家は七家から降ろされ、当主の飛竜健信は、現在、自宅謹慎となっている。


 神刀の使い手達に次ぐ実力者である飛竜健信が襲撃に失敗したこと、そしてその処罰にひとかけらの酌量もなかった事から、一族内での『滅亡の母』を暗殺しようとする動きは、その後は一切出ていない。

 


……表向きは。


 

 水面下では、懇意にしている者達がそれぞれに手を組み、機会を伺っていた。


 田知花繁久も、実は一時間ほど前まで私的な宴会と称して集まった、分家の次期当主達と情報を交換していた。


 隠形した式神を飛ばし離れを監視している者達の情報によると、離れにはほぼ毎日神刀の使い手、御乙神織哉が常駐し、御乙神織哉が離れを空ける時には、霊能者としては上級の腕を持つ宗主の妻、御乙神美鈴が護衛に着く。


 護衛にごく身近な者しか選ばないところが、この件に関して宗主が一族の者達を信用していない証拠だった。



 元々強固な結界に守られている離れは、飛竜健信の襲撃の後には、霊獣である黒龍が屋根から睨みを利かせる様になった。


 霊獣とは、自らの意志を持つ霊体の獣だ。元々は人の住まう世界以外――別次元――に存在しているが、人の世界にも自由に現れ、自分が認めた人間と縁を結び、力を貸す。


 生物と同じように、その力量は個体別で様々だが、御乙神織哉が縁を結ぶ黒龍は、別格の強さを持つ霊獣だった。


 ここまでされると、一般の術者が力を合わせた程度では離れに入り込むことはできない。


 標的の居場所は明確なのにどうやっても手が出せない状況に、『滅亡の母』の抹殺を目論む術者達は、はらわたが煮えくり返る思いで居た。



「将来自分らを、子供達を殺し尽くす元凶を何で庇うんだあの人は!


 一人殺す位で何をためらっているんだ!術者である以上、自分だって手を汚してきたはずだ。今更綺麗事を言ってどうする!」



 酒をあおりながら不満をぶちまける様子は、あまり見栄えのいい姿ではない。


 容姿は悪くはないがどこか覇気が足りず、三〇過ぎた今でも『お坊ちゃん』の気配が抜けない夫を、和香の目は冷ややかな様子で盗み見ていた。



「我々分家を信用していないんだあの人は!いつもあの外腹そとばらの弟ばかり連れ回して、弟しか信用していない。御乙神の血が半分しか入っていない奴の、何が信用できるものか。


 あいつの妻の座を巡って一族中の若い女が目の色を変えているらしいな。一体どれだけの女に手を付けた事やら。あんな女たらしを傍に置くとは、宗主も……」



「あなた」



 和香のたおやかな声が、酒に飲まれた夫の愚痴を遮った。


 惚れ込んだ愛妻の天女の如き笑顔に、不満ではちきれそうだった田知花繁久も表情が柔らかくなる。



「ああすまない、ちょっと飲み過ぎだな。君も一緒に……」



「あなた、ちょっといいですか」



 小首をかしげてそれは上品に愛らしく微笑む妻に、誘い込まれるように夫は顔を近づける。



「どうした、和香のどか



「一つ、ご提案がありますの」



 お耳を、と、吐息の様にささやかれ、言われるがまま妻に耳を寄せる。



 和香は、夫の耳朶に唇がわずかに触れる距離で、更に甘く息を吹き込みながらささやく。


 瞬間、田知花繁久の表情が、潮が引くように真顔になる。酔いも一気に冷めたようだ。



 唇をそっと夫の耳朶に押し付け、そして体を離す。



 術師としての顔で自分を見つめてくる夫に、和香は、にこり、と微笑む。



 それは、何の穢れもなさそうな、夢の様に美しい笑顔だった。








 その日は、唯真が夕食を作っていた。



 メインはホワイトソースから手作りしたシーフードグラタンで、スモークサーモンのサラダが副菜だ。食べる直前にレモンを絞って、さっぱりといただく予定である。


 他には、インスタントではない、具材をゆっくり煮込んで作った旬の野菜スープと、グリーンピースの炊き込みご飯かフランスパンを選べるようにしてある。


 頑張ってデザートも準備し、ベリーソースとイチゴを添えたブランマンジェを準備した。料理が得意ではない唯真にとっては、これでも渾身のメニューだった。



 四日前から実家に帰省している三奈が、今夜帰って来る。一番上の姉の、結婚一周年のパーティに出席するために宿下がりをしていた。


 関係が微妙であっても、やはり実家はまだ一六歳の三奈には落ち着ける場所だろう。


 元気になって帰ってきてくれればいいなと思いながら、普段のお礼を込めて三奈の好物を揃えた夕食を作っていた。



 お風呂空きましたよ、と、綿の浴衣姿の美鈴が声をかけてくる。


 今夜は織哉も仕事で離れを空けていて、代わりに美鈴が護衛に着いてくれていた。



「お先にごめんなさい。お夕飯の支度までお任せして」



「いつもご飯作ってもらっている三奈さんへのお礼ですから気にしないでください。ただ、三奈さんに合格点がもらえるかどうか……」



 自信なさげな顔をしながらエプロンを取る唯真に、美鈴が「実は」と、声を潜める。



「私、子供の頃からあまりお料理したことなくて、輝明さんと結婚が決まってから慌てて習い始めたんです。だから今でも三奈のご飯の方が絶対美味しいはずなんです」



 恥ずかしそうに言う美鈴に、ピンときた唯真は、からかうように微笑みながら美鈴を見やる。



「輝明さんは美鈴さんのお料理、たとえ塩と砂糖を間違えても『美味しい』って言いってくれそうですね」



 唯真に言われて、美鈴は下ろしたままの洗い髪を指でいじりながらあさっての方を見る。



「そ、それが……そうなんです。新婚の頃、失敗したお料理も『美味しい』って言って食べてくれて……。


 味がおかしいのに食べ始めてから気付いて、どうしようと思ってるうちに輝明さん『美味しい』って言いながら完食してくれて……思い出すだけで恥ずかしい……!」



 両手で顔を覆って恥ずかしさに耐える美鈴を、唯真はそんな美鈴を見て恥ずかしさに耐えている。


 まだまだ新婚真っ最中の様子に「ごちそうさま」と、心の中で呟いておいた。



 織哉と交代で護衛に着いてもらううち、いつしか美鈴とも打ち解け他愛ない話をするようになっていた。


 まるで文化財の様な母屋と、数件の離れまで持つ屋敷の女主人だけあって、美鈴は大変出来た女性だが、親しくなり見せてくれた素顔は可愛いらしい人だった。


 こんな繊細な心の持ち主では、難し気な旧家の大奥様を務めるのは苦痛ではないかと心配になるほど、美鈴は優しい女性だった。



(でも、きっと大丈夫ね)



 お互いを深く信頼しているこの夫婦は、問題があればきちんと話し合い、お互いに支え合い解決していくだろう。


 二人の様子を見ていてそれが容易に想像できたので、だから大丈夫だと思ったのだ。



(彼も、いるしね)



 裏表なく兄を慕う、頼れる弟もいる。


 兄弟もまた深く信頼し合っているのが分かるから、彼らは何があっても大丈夫だろうと、唯真は感じていた。



 彼らがここに居た方が良いと言うのなら、それは自分は理解できなくとも正しいのだろうと、唯真は最近では思うようになっていた。


 彼らは本気で唯真を守り未来を変えようとしているのだと、半年近く見てきた彼らの行動から感じていた。


 先々の事など不安も多いが、今はこの、眩しいほどに互いを信頼し合っている、不可思議な力を持つ人達を信じてみようと、唯真は考えるようになっていた。




 玄関から物音がしてリビングの扉が開き、四日ぶりの三奈の顔が覗いた。


 唯真は初めて見るワンピース姿で、髪も普段の一本三つ編みではなく低めのポニーテールに結んでいて、スワフロスキーの様な輝きのある髪飾りを付けていた。


 その不自然なく上品な装いは、三奈の本来の出自が良く分かった。



「ただいま帰りました」



 おかえりなさい、と、美鈴と唯真に笑顔で返され、三奈も笑顔を見せる。どこか、疲れたような笑顔だった。



「いい香りですね。お夕飯ポトフだったんですか?」



「それは見てのお楽しみ。三奈さんの口に合うかどうか自信ないけど、良かったら食べて」



「私の分もあるんですか?ありがとうございます唯真さん!」



 あんまり期待しないでねと笑う唯真に、三奈がほっとしたような顔を見せる。



 しかし急に、三奈の顔から表情が消える。手に下げていた荷物が、音を立てて床に落ちた。

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