第三の刺客
第三の刺客(1)
御乙神家宗家の屋敷には、霊能の術を執り行う際に使う部屋がいくつかある。
その中で最も広い、通称『
前方には大きな祭壇があり、
今は太陽の光が入らないこの部屋で、輝明と織哉は正座で祭壇に向き合い、それぞれが縁を結んだ神刀を掲げていた。
現代でも術を行使する際は、明かりを採るのに本物の火、
LEDなどに比べれば圧倒的に暗い光は、広い部屋の隅々までは照らし切らない。
けれど、今は赤い炎が煌々と部屋を照らしていた。輝明が縁を結ぶ神刀・
火雷の炎は、室内を薄く吹く風に緩くたなびいている。輝明から二メーターほど離れて、織哉が
神刀の使い手達は目を閉じ、神刀に自らの霊能力を同調させ、これから来るはずの未来を霊視していた。
室内を吹く風が収まり、火雷の炎が収束していく。普段の暗さに戻った室内で、御乙神兄弟はほぼ同時に目を見開く。
何か見えたか、と、先に口を開いた弟に、輝明は首を横に振る。
「変わらないな。この屋敷が跡形もなく破壊され、術者達の死体が山のようにあり、滅亡の子は姿が見えず、そして唯真さんが赤ん坊を抱いている。どうしてもこれだけだ」
「俺も同じだ。どれだけ探っても、他は何も見えてこない」
立ち上がり、見えない亜空間の鞘に建速を収めながら織哉は言う。
「屋敷に隔離してそろそろ半年だ。未来に繋がる原因が今までの生活の中にあったのなら、いくら何でも変化が無いとおかしい」
「何も変わらないということは、唯真さんの今までの生活圏に、父親になる男は居なかったということだな」
佐藤唯真を宗家屋敷に隔離した理由は、身辺警護だけが理由ではなかった。
今までの生活圏に『滅亡の子』の父親となる相手がいた場合、その人物から佐藤唯真を引き離し、未来を変えようとしたのだ。
しかし、先視で視える未来はまるで変わらない。織哉が軽く腕を組みつつ、言う。
「色々聞いてみたけど、食事に行く位親しくしていた男性は元上司の五〇代の既婚男性だけらしいから、本当に恋人いなかったようだよ」
織哉と同じく立ち上がり、火雷を亜空間の鞘に収める輝明は、納得いかない顔をしている弟に言う。
「格闘の腕前がかなりのものらしいから、いくら美人でも男が寄り付かなかったんだろう。
でも、先視で見える姿は今と変わらないから、このままでいけば子供を産むのはそう遠い未来ではないはずだ」
織哉は壁に向かって歩き、何かのスイッチを押す。すると、向かって右側から明るい光が差し込み始める。
部屋は右側が濡れ縁になっていて、現在では電動で板戸の開閉ができるようになっていた。
輝明は、火の灯る行燈に立ったまま目をやる。それだけで行燈の火は消えた。
炎に縁を持つ神刀・火雷の使い手である輝明は、手近な炎なら意志だけで操る事ができた。
眩しそうに差し込む光を浴びる織哉は、目元に手を当て光を遮りながら言う。
「滅亡の子は、流派は分からないけど相当の術者のようだから、父親は高い霊能の力を持った人間のはずだ。
唯真さんは霊能の才能を持っていないから、子供が高い霊能力を持っているなら父親から継ぐしかない。
先視に父親の姿が見えないのも、その人物の霊能力が強すぎるせいだ。間違いない」
織哉と同じく、輝明も差し込んできた陽の光に眩しそうに目を細める。
「御乙神に恨みを持つ霊能者の男と子を成す可能性があるな。
生まれた子供に御乙神への恨みつらみを吹き込んで、殺戮者に育て上げる。唯真さんの意志など、全く無視だろう」
「子供が殺人者に育てられるのを黙って見ている人じゃないよ。第一、そんなこと考えている男にあの唯真さんが惚れる訳ない。
その流れで子供が生まれるのなら、誘拐だか無理強いだか、唯真さんの意志とは無関係の、ろくでもない事の上だろうね」
内にも外にも敵だらけだ、とぼやく織哉を輝明は改めて名を呼ぶ。
「織哉」
「ん?何」
「お前は、唯真さんにその気はないな?」
こちらも真顔になって兄を見る弟に、輝明は明るい光の中、淡々と語る。
「護衛を命じた時にも念押しをしたし、事の重大さを理解できないほどお前は馬鹿じゃないと分かっている。
ただ、唯真さんは美人だ。性格も一見取っ付きにくいが、付き合ってみれば心の優しい、良い人だ。とても……」
輝明の言葉を遮って、織哉がぼやく。珍しく、あからさまにトゲのある声だ。
「健信が取り調べの時、何かたわ言わめいてたな」
「そう言うな。初めて唯真さんを間近で見て、常に傍に居るお前の気が迷わないか心配になったんだろう」
「女たらしだ節操無しだとか、人の顔見るたびに昔の事根に持ってグダグダ言ってきやがるからなアイツ。事あるごとにお前に難癖付けるのも、結局は自分が神刀に選ばれなかった八つ当たりだ。
あいつの器はネコの額より狭いんだよ。そんなんでよく宗主の座を妬む気になるよな。実際のお前の苦労なんてこれっぽっちも分かってないぜアイツ」
トゲトゲと言い立てる弟の様子に、輝明は「分かった」と右手で制する。
「余計な事を言って悪かった。お前には負担をかけるが、護衛の方、引き続き頼む。
僕らの家の事情で、何の関係もない一般の人間を死なせる訳にはいかない。
先視の方は、占術師達にも毎日探らせているから、変化があればすぐに知らせる」
頼んだぞと弟に声をかけ、輝明はひとり祭壇の真向かいにある出口へ向かおうとする。が、ふと立ち止まり振り返る。
「織哉、来週の水曜、
兄の声掛けに少し意外そうな表情をする弟に、輝明は穏やかに微笑む。繊細な心が透けて見える、透明な印象の微笑みだった。
「来週の水曜は明日華さんの命日だ。自分の母親の命日を忘れたのか?唯真さんの護衛は美鈴に頼むから、夜は外で飲んで帰ろう」
輝明は基本表情が変わらず、心情が顔に出ない。それは御乙神一族の次期宗主として、心の機微を読まれないようにと幼少時から厳しく躾けられたからだ。
けれど本当に心を許した家族にだけは、美鈴と織哉だけには心を見せる。柔らかく微笑む兄に、織哉も子供のような笑顔で返す。
「何だよ、ヒトの母親の命日にかこつけて遊びたいだけじゃないの輝明。昔、母さんの所に連れて行ってくれてたのも、実は修行サボりたかったんだろ」
「何を言うか。お前が『お母さんに会いたい』って僕の布団で泣いて安眠妨害するから、こっそり連れて行ってたんだろう。
まぁ明日華さんの手料理はどれも美味しかったから、それは確かに楽しみだったな」
「月に一回、輝明に手を引かれて電車乗って会いに行ってたな。あの頃輝明見上げるほど大きかったのに、いつの間にか小さくなったよなぁ」
「お前が余計に育ちすぎただけだろう。僕よりちょっと背が高くなったと思っていい気になるんじゃない。昔は春菊食べられなかった事をそこら中に言いふらすぞ」
二人だけが共有している思い出を、お互いにしか見せない柔らかい表情で語り合う。
その様子は、容姿は似ずとも心は深い信頼で結ばれた、仲の良い兄弟の姿だった。
着替えの為自室へ戻った織哉に、来客があると家政婦が知らせてきた。
「田知花家の若奥様が織哉様にお会いしたいと、西の客間でお待ちです。三奈への届け物をお願いしたいとのことだそうです」
知らせてきた壮年の家政婦長は、にこやかな笑顔で織哉に伝える。
家政婦長の伝言を聞いて、織哉は分かった、と短く答え、そのまま家政婦長に付いて客間へ向かう。
母屋に三つある客間の一つ、西の客間に着くと、家政婦長が膝を付いて襖を開ける。
開かれた襖を通り織哉が客間に入ると、机に向かい座っていた上品な白銀の和服の女性が、丁寧な仕草で頭を下げた。
手入れの行き届いた黒髪を揺らし、女性が顔を上げる。遅くもなく早くもなく、その仕草は何ともたおやかで洗練されていた。
「お忙しい所をお時間取らせて申し訳ありません」
襖が閉まり、家政婦長が去っていく。その場に立ったままの織哉へ、三奈の姉、
「妹が、お役目の為に長く実家に帰れないでいると聞いて、何か届け物をしてあげたいと思いまして。
誰もあの離れには近づいてはいけないとのことなので、織哉様なら直接渡してもらえるかと思い、失礼かとは思いましたがお願いすることにしました」
どうかお許しください、と、小首をかしげて微笑む。
二〇台半ばの女盛りのその笑顔には、匂い立つ様な色香があった。染み一つないすべらかな白い肌に、濡れたような大きな黒い瞳が映えている。
その形の良い目を濃い長い睫毛が縁取っていて、日本人形の様な端正さに西洋人形のような華やかさを添えている。
すっきりと通った鼻梁、花びらのような可憐な唇、顔のパーツが全てくっきりとバランス良く配置され、和装でも分かる曲線ある身体つきと合わさって、三奈の姉は正に絶世の美女という言葉にふさわしかった。
周囲から『正に天女』と称される微笑に、織哉は特に感銘を受けた様子はなく言葉を返す。
「妹さんに荷物を渡せばいいんですね。預かりましょう」
感情が感じられなさ過ぎて冷淡にも取れる織哉に、田知花和香は脇に置いていた包みを引き寄せ、織哉の前に押し出す。
よろしくお願いします、と微笑む田知花和香の前に、織哉は荷物を受け取ろうと片膝を付く。
包みを掴んだ織哉の右手に、白魚の様な手が重ねられた。
目を上げた織哉に、田知花和香が視線を合わせてまた微笑む。外見の上品さに合わない、妖艶な色気が滲み出ていた。
「久しぶりに……お会いできませんか」
微笑みを切なげに変えて、田知花和香はかすれる様に囁く。
「私は今でもあなたの事を……」
織哉の節だった手の甲を、田知花和香のささくれ一つない優美な指がゆっくりと滑る。
ふい、と織哉が自分の手を引き田知花和香の手を外し、荷物を持ってそのまま立ち上がる。
何の感情も見えない目で、咲き誇る牡丹の様な女を見やる。
「さすがの俺も不倫はお断りだよ。さ、帰ってください」
荷物を持って客間を出ようとする織哉に、田知花和香がすがるように言葉を放つ。
「待ってください!あなたが望んでくださるのなら、私は離婚してでもあなたの元に参ります。周りから何を言われても構いません。だから……!」
「何だか話が大分違うんだけど。カラダだけのお遊びでって誘ってきたのはそっちだよね。
それで結婚するかもってあなたが言い出したから、じゃあお相手に悪いからこれで最後ねって話したよね。で、何でそれがいつの間にか純愛になってるの?」
押し黙る田知花和香に、織哉がため息混じりに告げる。
「あなたの下心分かってて誘いに乗った俺も悪いけどさ、そこは謝るからもう一年以上も前の事だしお互い水に流そうよ。旦那さん、あなたに真剣にメロメロじゃない。大事にしてやりなよ」
「下心なんてそんな、私は本気であなたを……!」
「じゃあ最初からそう言えば良かったんじゃない?どうしても俺と結婚したかったんだろうけど、カラダで釣って他の男ちらつかせて焦らせようとか、誠意の欠片もない駆け引きばかりじゃない。
もうちょっと妹さん見習って真面目に生きてみたら?三奈ちゃんは確かに美人じゃないし霊能の才もないけど、自分にできることでコツコツ努力して、周りの信頼を得てるよ」
押し黙った田知花和香の表情が変わる。切なく織哉に縋っていた表情が一転、険しいものとなる。
その顔は、強い闘争心と自尊心が前面に出た、負けを知らない人間のものだった。
「……あんな不細工な妹がお気に入りなんですか?美人はもう飽き飽きなんでしょうね。男は、何にもできない無能な女の方がかわいいって言いますものね。
子供産むくらいしか能がない子ですから、孕ませるなりなんなり好きにしてください」
先程までの奥ゆかしさは幻の様に消え、品性が微塵もない台詞を吐く絶世の美女に、織哉は荷物を持ち直しながらさらりと返す。
「お料理上手だしセンス良いし頭良いし真面目で倫理観あるし、あなたの妹さんはめちゃくちゃ有能だと思うけど。俺があの子の彼氏なら手放さないでちゃんと結婚するね」
相手の神経を逆撫でする事だけを並べ立て、じゃあ今度こそサヨナラと言い置いて織哉は客間を出ていった。
一人客間に残された田知花和香は、織哉の出ていった襖を睨んでいた。
奇跡のような美貌は、般若のような形相で襖を睨みつけていた。
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