第二の刺客(6)
青く光る日本刀の切っ先に、唯真が自分の影を見たその瞬間、爆発するような風が吹き、いきなり飛竜健信の姿が消えた。
唯真は吹き飛ばされ壁に背中を打ち付け体を庇う。
そして気が付く。手足が自由に動くことに。
動くようになった手を見やり、そしてリビングに突如現れた織哉に目をやる。
居合い抜きの様に日本刀を振り抜いた構えで、織哉は飛竜健信が立っていた場所にいた。
今は緩く風の吹くリビングは、織哉が構える方向の壁が、綺麗に消えていた。
パラパラと建材の破片が零れ落ちる元壁のあった場所から三〇メートルほど先に、先程まで唯真に刀を向けていた飛竜健信が力無く転がっていた。
リビングはあり得ない方向から陽の光が入り、まるで別の部屋の様に見えた。
一瞬吹いた爆風で室内は滅茶苦茶にかき混ぜられ、ダイニングテーブルまでひっくり返っていた。キッチンも恐らく大惨事だろう。
飛竜健信と同じ白い装束を纏う織哉の姿を見て、まだ自分の足で立っていた二人の男達が、こぞって床にひれ伏した。
「申し訳ありません!」と悲鳴の様に叫ぶ男達に構うことなく、織哉は日本刀を、まるで武士が刀を鞘に納める様に、腰の辺りに差すようにする。
唯真は自分の目を疑った。何もないはずの織哉の腰の辺りに、吸い込まれるように日本刀は消えていった。
目を見張る唯真に、織哉が駆け寄って来る。
「ごめん遅くなった。唯真さん、怪我はない?」
「あ、あなた、一体どこから湧いてきたの?」
「……忘れ物を取りに帰ってきたんだ。俺ってうっかりものでさー」
「……遠出をしたって聞いたけど」
「いやいやそこの近所だよ今日の仕事場。いやー近場過ぎて気が緩んじゃったみたいだ」
「ねぇ、ちょっと……」
疑惑の眼差しを向けてくる唯真には目を合わさず、織哉はちらりと辺りを見回して、三奈と美鈴の様子に顔をしかめる。
そして床にのびた男二人を見て、ほんの少し、鼻を鳴らして笑った。
「かなりの腕前だとは思ってたけど、御乙神の男性術師ぶっ飛ばすとは大したもんだね。この人たち、一応子供の頃から相当鍛えられているんだよ」
可笑しげに言う織哉に、唯真が決まり悪そうに返す。
「確かに、あなたがぶっ飛ばしたゴリマッチョ、信じられないほどタフだったわ。あんなの警備部やSATにもいないわよ。拝み屋さんてインドア派だと思ってたけど実は肉体派なのね」
「肉体が健全じゃないと、術を支えきれないし、精神も強くならないからね。それより三奈ちゃんと美鈴さんを」
唯真と織哉は三奈と美鈴の元へ駆け寄る。
三奈は見た目からしてひどい状態だったが、美鈴は外傷はないのに意識は朦朧とし顔色は透けるように白く、手や顔も氷の様に冷たかった。
その時、外から複数の人間の声が聞こえた。
どやどやと移動する音が近づいてきて、吹き飛んだ壁の側から、洋服や作務衣、織哉と同じ着物など、様々な格好をした人間達が姿を見せた。
遠くに倒れている飛竜健信を見つけ、それぞれ声が上がる。集まった人間達に織哉が声をかける。
「飛竜を厳重に縛った上縛呪して牢に入れておけ。後から輝明が直々に処分を下す。他の連中も同じようにしてぶち込んどけ」
織哉の指示に駆けつけた人間達は、飛竜健信を始め唯真にのされてまだ意識が戻らない男達や、床にはいつくばって許しを乞うていた者達を、それぞれ捕まえて連行する。
荒れ果てた離れは、唯真達四人だけになり、静かになった。
織哉は、ぐったりとした美鈴を腕に抱き上げる。心配げに美鈴を見る唯真へ、状態を説明する。
「
ソファに横たわり、唯真に顔を拭いてもらっていた三奈にも声をかける。
「三奈ちゃん、すまなかった。健信の奴、自分一人では俺の結界を破れないから、結界の得意な術者を募って、俺が居ない日を狙って仕掛けてきたんだ。
あいつがここまでするとは思わなかった。俺の考えが甘かったよ。怪我させて本当にごめん」
「……私も、これだけ頑丈で複雑な結界を破って来るとは思いませんでした。唯真さんが無事で本当によかったです」
床に膝を付いて世話を焼いてくれている唯真に、静かに言う。
「唯真さん、ごめんなさい。私、何の役にも立たなくて……」
「どうして?三奈さんが助けを呼んでくれたんでしょう?あのピンを飛ばしたのはそれだったんでしょう?十分助けてもらったわよ。美鈴さんや織哉君が間に合わなかったら、私、斬られてたから」
驚いたように言葉を返す唯真に、三奈は血を拭き取られた顔をわずかに背ける。
残念ながら、やはり顔は殴られた頬が紫と青の酷いあざになっていた。
「私もそれなりに武道も呪術も修練を積んできたのに、何の役にも立たなくて。普通の生活をしていた唯真さんの方がはるかに強くて。
飛竜様が唯真さんを斬ろうとした時、身体が痛かったのもあるけど、本当は……怖くて動けなかったんです。ごめんなさい、本当に役立たずで臆病で、ごめんなさい……」
泣きそうな顔で謝る三奈の髪を、唯真はそっと撫でた。
ぼさぼさに乱れた髪を整える様に、何度も優しく撫でる。
「アレは女の子には十分に動けない位怖いわよ。ゴリマッチョが日本刀振り回して暴れるなんて、一般社会なら警官が拳銃抜くくらいの事態だもの。
それに、できない事があるって、別に悪い事じゃないのよ。苦手な事はほどほど出来るようにして後は人に頼って、自分は得意な事で頑張ればいい。
今回みたいに、あなたが術で助けを呼んで、私が格闘で戦うとか、ね」
だから気にしないの、と、三奈に優しく言い聞かせる唯真の様子を、織哉は無言で見ていた。
唯真に撫でられて、三奈は目を閉じ静かに涙を流す。
そんな三奈を、唯真は撫で続ける。少し悲しげな、切ない表情で、声を立てず泣く三奈を見つめていた。
織哉が連れ出した先は、今までいた離れから五分ほど歩いた場所にある別の離れだった。
初めて歩いた離れの外は、美しく造り込まれた日本庭園で、広い池があり鯉が跳ね小さな朱色の橋が鮮やかで、とても優美な景色だった。
そして遠目には、威風堂々とした日本家屋が見えた。
建物の造形自体に風格があり、平屋に見えるが一般の二階建て住宅並みに屋根が高い。
広さも、どこまで続いているのか唯真には見えなかった。それほど広大な屋敷だった。
一目見て、その黒光りする瓦屋根の日本家屋が、三奈達の言う母屋なのだと分かった。
唯真が想像していた以上に、この御乙神家は財力を持つ家であるようだった。
着いた離れの寝室に美鈴と三奈を寝かせ一息ついた時、織哉がマグカップを二つ持って部屋に入ってきた。
カップの中身は、湯気の立つほうじ茶だった。
織哉に促され窓辺に置かれている対のラタンの椅子に座る。
はい、と渡されたカップを素直に受け取り、口を付ける。
甘さはないが、香ばしさが程よい上質な茶葉で、コーヒーと違って刺激のない香りは、神経の昂った時には最適だと感じた。
「唯真さんもこれ飲んだら横になったら?医者が来たら呼ぶから」
織哉の穏やかな口調に、唯真は首を横に振る。
「大丈夫。皆のお陰で私は全然怪我してないから」
「でも、大変だったでしょ。今は緊張状態で何も感じないけど、緊張が解けたらガクッと来たりするから。無理しないでね」
気が付くと、もう時間は夕暮れ時だった。
レースカーテンの引かれたベランダに続くサッシから、赤みを帯びてきた光が差し込んでいる。
事件現場には慣れてる、とか、体力はある方だ、とか、色々台詞が浮かんだが、どれも口から出なかった。
代わりに、先程からずっと考えていた事がこぼれた。
「私、本当に、命を狙われているのね……」
カップで暖を取るように両手で握りしめる唯真は、視線を空にさ迷わせたままだ。
怯えている訳でもない、ショックを受けた訳でもない、強いて言うなら、納得した様子の唯真を、織哉はほうじ茶に口を付けながら、黙って見ていた。
「あなた、だからどうやっても離れの外に出さなかったのね。外部と連絡も取らせないのね。本当にあの人達、私を殺そうとずっと狙っていたのね。
……あんなのが、たくさんいる訳ね」
自宅マンションで襲われた時は、狙った相手と相対することはなかった。相手の意志をそれほど鮮明に感じることがなかった。
だけど今回、初めて狙ってくる相手と直に対面した。
視線や言葉、彼らの存在そのものから、唯真を殺すという意思が生々しく伝わってきた。
今初めて、誰かが自分の命を消そうとしている事を、体で感じることができた。本当の意味で現実として受け止めることができた。
独り言のように淡々と述べる唯真に、織哉が飲みかけのカップをテーブルに置いて、ソファを立った。
術師の正装らしい和装姿の織哉が立ち上がると、着物に焚き染められたものなのか、ふわりと和風の香りがする。
唯真は種類までは知らなかったが、それは祓いの力を持つと言われる、白檀の香りだった。
織哉はレースカーテンを開ける。サッシから外の景色が一望できるようになった。
おもむろに唯真の傍に歩み寄り、ソファに座ったままの唯真の横に片膝を付く。
ちょっとごめん、と言い添えて、唯真の右肩に左手を置く。
「神経病んだらいけないから、知らせないでおこうと思ってたんだけど」
サッシの外の景色は離れの裏手だった。
整備された庭の向こうは広大な森になっていて、離れを囲む小道が散歩道の様に入り込んでいる。
森の向こうに街の気配はなく、早くも朱色に染まった空が広がっていた。
冬が過ぎつつある、早春の夕暮れだった。
唯真の喉が、ひゅっ、と鳴った。見えた光景に、息が詰まりそうになった。
穏やかな夕暮れ時の空は、いきなり見えた得体の知れないモノにびっしりと覆われていた。
向こうの景色が透けて見えるソレは、森の木立にも無数に見え隠れし、こちらを伺っているのが知れた。
ソレは以前唯真を襲った、炎の大蛇のような巨大な蛇もいた。
人の形をした、しかし明らかに人間ではない、古い時代の鎧を纏ったモノもいた。
絵画でしか見たことのない、龍もいた。飛竜健信が斬ったような、狼もいた。
世間には存在しないはずの者達が、この離れを包囲しているのが解った。
そういえば前の離れに居た時、窓の外を見るのが何故か落ち着かなかった。
誰もいないはずなのに、何故がうっすらと視線を感じていたのだ。
だから日中もほとんどレースカーテンを引いていた。
「前に唯真さんが見た、輝明のお使いの白いカラスと同じ奴だよ。
ただこいつら、本格的に隠形しているから、唯真さんには結界の中に居ても見えなかったんだ。
見かけない奴が混ざってきてるから、もう他家にも唯真さんの存在が知られているんだと思う」
織哉が唯真の肩から手を離す。すると見えていた景色は、一瞬で普通の景色に戻った。
織哉は静かに手を伸ばし、カーテンを厚手の物も全て引いてしまう。
顔が強張ったままの唯真に告げた。
「これだけの術者があなたを狙っている。今、結界の外に出られたら、俺も守り切る自信がない。命が惜しいのなら、俺の結界から出たらいけない」
物音がした。ドアが開く音だった。
思わず身を震わせた唯真は、振り向いて、それが織哉と同じ衣装を着た輝明であると知った。
輝明は、余程急いできたのだろう、息を切らせ、余裕のない様子だった。
普段の泰然とした輝明らしからぬ様子だった。
「織哉!美鈴は?」
「向こうのベットに寝てる。まだ内川医師が来られないんだ」
スリッパも履かず上がってきたようで、足元は足袋のままだ。
その足で駆けて美鈴のいるベットに向かう。
夫の声を聴き起き上がろうとする美鈴を、駆け寄った輝明は肩を押さえるように再びベットに寝かせる。
その仕草は、壊れ物を扱うように優しかった。
美鈴の茶色がかった色素の薄い髪は、今は解かれて白いシーツの上に流れていた。
血の気の無い額から優しい手つきで髪をかき上げてやりながら、床に片膝を付いた輝明は美鈴の顔をのぞき込む。
「織哉の式を見て、心臓が止まるかと思った。一人で健信に立ち向かうなんて、何て無茶をしたんだ」
「心配かけてごめんなさい。今日は織哉さんの代わりに護衛に入る予定で、だけど急な来客でなかなか母屋を動けなくて。
三奈の式が知らせてきた時、しまったって思ったの。これは私のミスだから、どうにかしなきゃって思って……」
「それは来客も共犯だ。誰なんだその来客は」
「飛竜家の大奥様よ。輝明さん、よくよく相手の話を聞いたうえで対応してくださいね。それぞれ譲れない何かがあったんだと思うの。
皆の心が離れてしまえば、一族をまとめ切れなくなる。……相手の心を、大切に扱ってくださいね」
「分かったよ、最初から責めるようなことはしないから。約束する。だからもう目をつぶってゆっくり休むんだ。いいね?」
「はい、輝明さん。忙しいのに来てくれて、ありがとう……」
「君が無事で良かった……」
いつの間にか美鈴の左手を自分の右手でしっかりと握りしめ、輝明は懇願する様に美鈴を見つめる。
息のかかるような近い距離で見つめ合い、その目はお互い妙に熱っぽい。
隣のベットに寝ている三奈が、絶対に音をたてないようにじりじりと少しずつ、仰向けから輝明達に背を向ける様に体を移動させている。
しかしそんなに気を使わなくても、二人の世界にトリップしている主人夫婦には、三奈の存在は無いも同じだろう。
こちらも存在を忘れられた織哉と唯真は、息をひそめて置物になったつもりで窓辺にたたずんでいた。
大人の礼儀としては一応、命を狙われた唯真にまずは一声かけるところだろうが、熱く見つめ合う二人を見ているともうそんな事は野暮と言うしかない。
普段の輝明からは想像しづらい愛妻ぶりに、小さな溜息とともに織哉がごく小さな声で唯真に囁く。
「輝明はさ、すごい数の娘達をゴリ押し介されまくってたんだけど、それを振り切って美鈴さんと結婚したんだよ。
美鈴さんの実家、そんなに政治力ある家じゃないから、結婚にたどり着くまではそれはそれは大変だったんだよ」
俺もだいぶ協力したんだよ、と、苦笑しながら耳打ちしてくる織哉の横で、唯真は寄り添う輝明と美鈴を見つめていた。
弱った妻に向ける夫の労わる眼差し。
自分を労わる夫を見上げる妻の、信頼にあふれた眼差し。
何も言わず二人を見つめる唯真を、織哉はそっと盗み見る。
それぞれの思いを胸に抱える大人達の中で、未成年の三奈は冷や汗をかく思いで、いかに音を立てずに体を動かそうかと奮闘していた。
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