第二の刺客(5)



 泣いていた三奈が、不意に鋭く顔を上げる。涙が流れたままの顔には、驚愕の中に厳しさがあった。



「唯真さん逃げて!今なら窓から出られますから!」



 涙を拭いて叫ぶと同時に、自分の頭から何かを引き抜く。


 それは髪を留めていたピンだった。引き抜いてふっ、と息を吐きつけ、すぐに空中に放る。そしてピンは消えた。


 板が叩きつけられる音がする。廊下と玄関を仕切る扉が壁に叩きつけられた音だった。



御乙神家の術師が纏う白い装束を身に着けた男達五人が、足早にリビングに入ってきた。


 先頭を切るのは、七家の一つである飛竜家の当主、飛竜健信だった。


 三奈が唯真の前に出て飛竜との間に入る。状況の解らない唯真を守るように背に庇う。



「飛竜様、何事ですか?ここには……」



 物を言う間もなく、三奈は倒された。飛竜が逞しい腕を振って、三奈を薙ぎ倒したのだ。


 三奈は大きな音を立てソファにぶつかり床に転がる。


 ソファに手を付き、もがくように身を起こそうとするが、顔を押さえた左手の隙間から赤い雫が滴った。その瞬間だった。


 飛竜の大柄な体が宙を舞った。


 白い袴が天井近くを横切るのを、付き従っていた男達はただ目で追った。


 何が起こったのか、理解ができなかったのだ。


 すさまじい音がして、筋肉質の重い体がフローリングに激しく叩きつけられる。固定されているはずの床が揺れた。


 こちらも思考が追い付かず受け身の取れなかった飛竜は、更に顎に下から特殊警棒の強烈な一撃を食らう。


 身長一九〇センチ近い体は、弛緩し動かなくなった。


 体格に恵まれ、体術では輝明ら神刀の使い手以外には負けることのない飛竜家の当主がのされた所を目撃して、男達は唖然としてしまった。



 しかし声を出す間もなく、次の一撃が別の術者を襲っていた。


 激痛を叫ぶ声と共に、またもや白い袴が空中を舞う。


 腕を特殊警棒に絡められ逆関節を決められたままフローリングに叩きつけられ、止めの一撃を食らう必要もなく、男は意識を失った。


フローリングに叩きつけられると同時に嫌な音がした通り、逆関節を決められた腕は、そのまま有り得ない方向に曲がったままになっていた。



 右手に伸ばした特殊警棒を構える唯真は、もう次のターゲットに接近していた。


 相手の間合いに入り、伸ばしてきた相手の腕を特殊警棒で流して左手で掴む。


 同時に相手が唯真の足を払ってくるが、あえて受けて体勢を崩し、その反動を利用し逆に相手の重心を崩し、自分は体(たい)をさばいて投げの体制に入る。


 ずば抜けた柔軟性と運動神経に、相手は付いていけなかった。


 一瞬のスピードでまたもやフローリングに叩きつけられ、特殊警棒の一撃を腹部に受けて、この男も潰れたような声を上げて白目をむく。 


 ここまで一〇秒かかっていない。既に半数の三人が床に伸びていた。


 御乙神一族の術者は、呪術の知識と共に古武術を身に付ける習わしだった。


 術の行使には強い精神力が不可欠であり、その精神力を支えるのは強い肉体であると考えられ、古武術の技量は呪術の技量と同等に重要視されている。


 ありえない状況に残り二人の術者は混乱していた。


 殺しに来たはずの相手に逆に追い詰められ、男二人は思わず後ずさりそうになる。



 織哉に頼み込み用意してもらった特殊警棒は、用心の為、常に腰のベルトに差していた。


 その扱い慣れた特殊警棒を構え、唯真は残り二人のターゲットを鋭く見やる。


 唯真の使う格闘技術は、日本の警察官が使う、合気道や古柔術など様々な武術を組み合わせた逮捕術と呼ばれるものである。


 唯真は徒手の逮捕術の他に、特殊警棒術も併用する。


 逮捕術は本来、犯人を制圧するための技術である。


 ここまで相手を叩きのめすことはしない。けれど、今回ばかりは手加減するつもりはなかった。


 何の躊躇もなく三奈に暴力を振るったその様子を見て、この男達は自分を殺しに来たのだと悟った。


 そして殴られ血を流す三奈を見て、唯真のリミッターは振り切れた。


 自分より明らかに弱い相手に、血を流すほどの暴力を平然と振るう人間など、手加減無用と判断したのだ。



 腰の引けた二人の男のうち、唯真は一人に標的を絞り向かおうとする。


 しかし床を蹴る直前、体は突然に動かなくなった。


 体を拘束するようなものは何も見えないのに、どうしても体が動かない。


 微かに感じるのは、『何か』が、唯真の身体に絡みついていた。


 腕を、足を、腹部を、何かが触れている感触を感じていた。


 しかしそれほどはっきりとした手ごたえでも強い力でもない。体が動かなくなった理由が分からなかった。



「何て凶暴な女だ……!子供が虐殺者になる訳だな」



 背後から、絞り出すような声がする。


 体が動かず振り向けない唯真は、声のする方向から、それが最初にノックアウトした三奈を殴った男であると推測した。


 しかし、回復が早い。全力で投げた上に、半日は失神させるつもりで全力で顎の急所に一撃を加えたのに一分かからず目を覚ました。


 これはバケモノ並みに鍛えた相手だったと、唯真は心の中で舌打ちをした。


 織哉と同じ妙な力を使う人種なら、先手必勝で一人ずつ確実に潰していかないと勝ち目はないと判断しての速攻だったのに、まずい計算違いをしてしまった。


 見えない何かを振り切ろうと全力でもがく唯真の背後から、飛竜が歩み寄り前に回る。


 唯真の一撃で、歯を折ったか口の中を切ったのだろう。顎が派手に血に染まっていた。


 歩きながら、飛竜は腰に下げた日本刀をゆっくりと抜く。


 御乙神家の術者は、神刀の使い手を模倣して、祭壇に捧げ森羅万象の力を授かった日本刀、通称『霊刀れいとう』を用いて祓いの行を行う者が多い。


 もちろん神刀ほどの超自然的な力はないが、八百万の神々の力を分け与えられた刀は、退魔の武器として十分通用するものだった。


 飛竜の動きに、ようやく体を半分起こした三奈が悲鳴のような声を上げる。



「ひ、飛竜様やめてください!宗主のご意向に反します!」



 黄色いエプロンの胸部分が血に染まる三奈は、多量の鼻血が出たようだった。


 血で顔もぐしゃぐしゃに汚れた三奈は、それでも声を振り絞る。



霊刀れいとうでの殺人はご法度のはずです!やめて、やめてください!やめて!」



 三奈の懇願など聞こえない様子で、飛竜は動けない唯真の前に立つ。


 諦めずもがき続け、自分に強い目を向けてくる唯真を、飛竜は傲然とした目で見下ろす。



「輝明は昔から綺麗事ばかりだ。上に立つ人間なら、組織の為に泥を被る覚悟が必要なのに、あいつにはそんな度胸は無い。宗主たる覚悟が無いんだ。


 御乙神本家に生まれたから宗主になれただけの男だ。宗主の器じゃない」



 抜身の日本刀を両手で握る。そして大上段に振りかぶる。


 唯真を見下ろす飛竜健信の目は、何のためらいもない、感情の映らない目だった。



「俺は違う。例え神刀の使い手ではなくとも、一族の為に自分の手を汚す覚悟はある。


 お前の命と引き換えに、御乙神一族三〇〇人からの命が確実に救われるんだ。ならば俺はお前を殺すことに迷いはない」



 青光りする刀が振り下ろされる。動けない唯真は、反射的に強く目をつぶる。



 不意に、飛竜は背後を振り向き、唯真を斬ろうとしていた刀で背後の空間を大きく斬り抜いた。


 踏み込んだ床が、見事に鳴った。長く強く鍛錬されたのが分かる、達人の踏み込みだった。


 飛竜の向こうの空間に、白い大きな獣がいた。


 それは、純白の美しい毛並みの、狼だった。


 声は聞こえないが、口を大きく開けて苦し気にのけぞった。


 体勢を崩し空中で何度かもがき、そしてかき消える。


 その時、フローリングの床に何かが打ち付けるような音がした。


 先ほど荒く開けられた扉の向こうに、美鈴が膝を付いていた。物音は、美鈴が床に崩れた音のようだった。


 胸の辺りを押さえながら、苦し気に顔を歪め床に座り込んでいる。


 顔色は、離れた場所にいる唯真が見ても、血の気が失せて真っ白になっていた。


 刀を降ろした飛竜が、床に崩れた美鈴に言う。悪寒が走る様な低い声音だった。



「邪魔をしないでくれ。いくら宗主の妻とはいえ、今、邪魔をするなら容赦はしない」



「美鈴様……!」



 三奈が、床を這って真っ青な顔色の美鈴の元へ向かう。


 そんな女達にはもう興味は失せたように、飛竜は唯真に向き直り、再び日本刀を構える。


 剣道で言う下段の構えからすらりと上段に刀を持っていく。


 唯真の襲撃から免れた二人の術師が焦るように言う。



「飛竜様、急ぎましょう!結界が破られたことは織哉様にはとうに知られています!式神どころか霊獣を送られたら面倒です!」



「宗主も屋敷を空けているとはいえ、協力して遠隔の術を使ってくるやも知れません!急ぎましょう!」



 半ば怯える様子で焦れる男達に、飛竜は硬い表情でうなづいて見せる。


 その様子に、唯真は口を開いた。自分の命は正に風前の灯火だったが、それでも言わずにはいられなかった。



「……あの二人に、正面切っては敵わないから、留守を狙ってこそこそやってきたのね。正に鬼の居ぬ間の何とやらね」



 意識朦朧とした美鈴を介抱していた三奈が、血で汚れた顔を引きつらせた。


 飛竜に付き従っている二人の術師も、正に顔面蒼白といった様相となった。



 ゆらり、と、緩慢に動く様子が、逆に怒り心頭であることを示していた。


 唯真には不可思議なものは何も見えないが、それでも飛竜の大柄な体から、度を越した怒りが立ち上っているように感じられた。


 唯真に近づいてきた飛竜は、怒りのあまり目がぎらつき、男性らしい顔立ちは憤怒の仮面の様だった。顔色すら目に見えて赤らんでいる。


 どうやら先程の台詞は、飛竜の地雷を踏みぬいたようだった。


 絶体絶命の状況で、それでも退かない強い眼差しを向けてくる唯真に、飛竜は怒りの形相と反比例した静かな呟きを漏らす。



「貴様、まさか織哉と寝たのか」



 想像もしていなかった事を言われ、唯真は返す言葉が浮かばない。


 飛竜が空いた手で、唯真の髪を掴んで顔を上げさせる。


 髪を荒く引っ張られ、唯真は苦痛の呻きを漏らす。


 無理矢理上げさせた唯真の顔を、飛竜は見下ろす。先ほどまでは無かった、嫌悪の感情が目に映っていた。



「人を怒らせる遣り口が、あの外腹(そとばら)に本当にそっくりだ。正に似た者同士だな貴様らは。


 そういえばこの離れに入り浸っているし、どうやらお前は余程あいつのお気に入りの様だな」



 何を言われているかは分かっているが、思考が付いていかない。


 言われっ放しでけれどやはり返す言葉が浮かばない唯真は、ぎらついた飛竜の目から、自分の目線を外せないでいた。



「よく見るとかなりの美人だな。その顔と体で織哉を釣ったか?大した阿婆擦れだ。


お前の様な凶暴で口の悪い女と礼儀も伝統も理解できない力ばかりのバカガキの合いの子なら、御乙神一族全員を殺すくらいの暴挙を起こしそうだな」



 言葉を尽くして唯真をなじって、飛竜は日本刀の切っ先を唯真の顔前に構えた。



「さっさと死ね。お前の様な女、生きている価値もない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る