第二の刺客(4)


 年が明け梅の花が咲き、とうとう受験シーズンに入った。

 

 テレビのニュースでは連日、受験会場に向かう高校生達の姿が映し出されている。


 離れのリビングのソファで、唯真はひとり膝を抱えてその映像を見ていた。去年一年間の努力を思うと、やはりため息がこぼれてしまう。


 結局今日まで、どうやっても離れの外に出ることはできず、もちろん高遠達とも連絡を取れずにいた。


 自力で離れを出るのはほぼ諦めて、何とか交渉で話を付けようと頑張ったが、口の立つ織哉にのらりくらりとかわされた挙句おちょくられ、最後には唯真がキレてグダグダになてしまう。


 織哉の手の平で転がされているのは分かっているが、今の唯真の立場では対抗策がない。


 悔しさを顔に出している唯真に、織哉はにこやかに言う。



「そんな怖い顔しないしない。交渉事は、唯真さんならにっこり笑顔でハニートラップの方が絶対効果的だと思うけど。俺、絶賛受付中だよ♪」



 両手を広げてイイ笑顔でのたまう織哉に、このセクハラ男そのうち絶対ボコってやると誓う唯真である。





 最近では、輝明達の言う、占術の結果が変わるのを待つしかないのかもと思うようになっていた。


 しかし美鈴の話では、唯真の未来に繋がる情報は、未だこれと言ったものが掴めないらしい。


 唯真は直接見ることはかなわないが、占術で視える内容は話を聞いている。


 ある一人の人物に惨殺される御乙神家の人々。


 宗家屋敷と思われる現場は、爆破でもあったかのようにめちゃくちゃに破壊され、屋敷は瓦礫と化している。


 その現場にただ一人立つ滅亡の子は、居るのは分かるが姿が見えない。


 性別も、年齢も、姿形も何も分からないのだそうだ。


 そしてその後、赤ん坊の姿の滅亡の子を抱いた女性が映る。それが唯真なのだという。 


 その話が出た時、美鈴に尋ねられた。


「唯真さん、本当は髪の色、茶色味の強い金髪ですよね」と。


 その問いを聞いた時、胡散臭いと思っていた占術への見方が変わった。美鈴の問いに素直に答えた。



「曾祖母がイギリス人なんです。その血が濃く出たらしくて。でも目立つのは苦手だから、黒く染めているんです」



 今の状況では美容院にも行けないので、髪をいじる事はできない。放置している髪は二センチほど伸びて、根元が元の色になっていた。


 以前多忙で美容院に行けなかった時、これと同じ状態を見た井ノ上に


『もうそのまま染めずに伸ばしてくださいよ。パッキンなびかせた婦警さんなんてカッコいいじゃないですか私見たいです!』


 とのたまわれたものだ。


 井ノ上の軽口に、『そんな事したら首が飛ぶわよ』と返しておいたが、まさか現実になるとは思わなかった。


 そのうち自分で染められるヘアカラー剤を頼まねばと思っている。



 玄関扉の開く音がして、あれこれ荷物を持った三奈がリビングに入ってきた。


 いつもの黄色いエプロン姿の三奈は、スーパー帰りの主婦の様に食料品の入った袋を両手に持っている。



「唯真さんすみません大丈夫でしたか?何も変わったことありませんでしたか?」



 つい一〇分ほど前、少しだけ母屋に荷物を取りに行ってくると言って唯真を一人残し、三奈は離れを出ていった。


 唯真はどうやってもこの離れから出ることができないが、三奈は自由に出入りできる。


 織哉が、その様に『設定』しているらしい。唯真にはその理屈はさっぱりわからないが。


 相変わらず織哉も離れにしょっちゅう居座っているが、今日は朝から居ない。『仕事』がなかなか忙しい様子だ。


 代わりに美鈴が護衛に就いてくれると聞いているが、昼過ぎの今もまだ姿が見えない。


 三奈曰く、織哉は御乙神家の人間の言う所の術師としてはかなり有能らしい。


『織哉様は、子供の頃からそれこそ一〇〇年に一度出るか出ないかの才能と言われていて、最近では御乙神家の歴史に名の残る使い手とまで言われています。


 純粋な霊能の才能は、輝明様よりも上だそうです。だから難しい案件は、結局最後は織哉様が頼りなんです』


とのことだった。


 唯真の前では冗談とセクハラ発言しかしない織哉だが、当初輝明が言ったように腕は立つらしい。


 確かにこの離れに来てからは、危険な目に遭っていない。これはやはり織哉のお陰なのだろう。


 マンションで炎の大蛇に襲われた、あの時の恐怖は忘れない。

 

 自分が対抗できない力で危害を加えられることほど恐ろしいことはない。織哉が来てくれなかったら、唯真は炎に焼かれて死んでいたのだ。


 時折あの時見た、炎の中に立つ織哉の姿を思い出す。普段の様子が嘘のように凛とした姿だった。


 あの時持っていた日本刀が、建速という名の刀なのだろう。建速を振り抜いたその構えに隙は無かった。


 居合道は唯真の専門外だが、武道大会で演武を見る機会は多かった。その記憶と照らし合わせて、織哉の剣の腕前が相当の物であるのが分かった。


 そして、生活に慣れ少し余裕が出てきた頃、不意に思い出した。


 ガスを吸って倒れた時、誰かの声が聞こえていたのだ。


 『もう大丈夫だよ』と。



 苦痛のあまり動けなくなっていた時、誰かに抱き上げられた。苦しくて何かに顔を摺り寄せていると、なだめる様に声が降ってきた。


 『もう大丈夫だから』と。



 顔を摺り寄せていたものが何なのか、今になって考えると分かる。


 あれは事故、あの時は緊急事態で私に非はないと、唯真は自分に言い聞かせる。そうしないと、自己嫌悪で頭を掻きむしりそうだった。



 唯真さん、と声が聞こえて、我に返って振り返る。カウンターキッチンから、三奈がこちらをのぞき込んでいた。



「良かったら一緒にパウンドケーキ焼きませんか?パウンド型持ってきたんです」



 料理の腕もさることながら、三奈はお菓子作りも上手だ。唯真が暇を持て余さないよう、こうやってよくお菓子作りに誘ってくれる。



「あれ唯真さん、ちょっと体調悪いですか?何か顔色が赤……」



「何でもないから体調はバッチリだから気のせいだから。さ、パウンドケーキ焼きましょ」





 白を基調としたキッチンは、これといった特徴はないが設備が新しく、使いやすい。


 あまり料理は得意ではなく、お菓子作りは学生時代の家庭科ぐらいでしか経験のない唯真は、三奈の指示に従ってドライフルーツを刻んでいく。


 ボウルを抱いて卵を泡立てている三奈へ、以前から気になっていたことを思い切って聞いてみた。



「三奈さんは、高校は通っていないの?」



 唯真の問いかけに、三奈は泡立て器を握る手が止まる。この二ヶ月弱、三奈はずっとこの離れに常駐している。


 一六歳の女の子が家政婦として高校も行かずに働いているのは、今の日本ではあまり聞かない話だ。


 ニュース映像で見た高校生達の姿に、普段からの疑問が余計に大きくなった。


 三奈は解きほぐされた卵液に目線を落としていた。表情に、一六歳らしからぬ陰りが見えた。



「……私は物心ついた時から、霊能の修行に明け暮れていたんです。生半可な実力では御乙神一族の術者は名乗れませんから、一族のどこの家でも、幼い頃から厳しい修行が課せられます。


 修行の合間に学校に通わせる家もありますが、うちは親の考え方が昔ながらの家なので、姉妹全員、学校には通っていません」



「……そうなの。大変なのね」



 口ではやんわりと相槌を打ちながら、唯真は心の中で『それは立派な虐待だから』と突っ込んでいる。


 でも、と、ステンレスのボウルを抱いたまま、三奈は話を続ける。泡立て器を握る手は止まったままだ。



「姉達は御乙神一族の術者として立派に仕事をしています。特に一番上の姉は優秀で、しかもすごい美人でお見合いの申し込みも物凄い数が来ていました。


 そして去年今の七家の一つ、田知花たちばな家の次期当主に、それこそ熱愛されて嫁ぎました。でも私は、何もかも全然ダメなんです。


 姉達とは姉妹と思えないほど不細工だし、しかも霊能の才もなくて、一三歳の時にはもう、師匠である母から見放されてしまって。それで、親の言いつけで宗家の家政婦になったんです」



 そこまで言って、三奈は唇を噛んで話を止める。ぎゅっと、ステンレスのボウルを抱きしめる。


 三奈が、なぜあれほど霊能に関する話を明確に説明できるか、唯真はようやく理由が分かった。幼い頃から、それこそ血の滲むような修行を積んできたのだろう。


 家庭の中で、一人だけ特性が違うというのは、とても居心地が悪いものだ。


 それをコンプレックスと言えばそこまでだが、この特殊な世界に生まれた三奈にとっては、普通の子供よりも逃げ場のない、とても苦しい現実だろう。


 その証拠に、話をする三奈は、酷く傷ついた顔をしていた。



「宗家屋敷の家政婦は、私のような霊能の才がない分家の娘が何人かいるんです。


 目的はだいたい皆同じで、宗家屋敷で人脈を作って結婚相手を探すか、できれば神刀の使い手の目に留まってこいと。


 少なくともうちはそういう目的で働きに出されてるんです」



「……それは何かちょっと、あんまりなんじゃない?目に留まれって、いわゆる、その……」



「そうです、できれば結婚、もしくは子供作ってこいってことです。でも私美人じゃないし気も弱くて、そういうの無理なんです。


 織哉様はああ見えて本当にお優しくて、私みたいなのもちゃんと人間らしく扱ってくれます。


 そんな人相手にはしたない真似したくないし、輝明様も美鈴様と本当に仲が良いですから、美鈴様が悲しむようなこと絶対したくないし。もう本当に私、使えない娘なんです」



 さすがにドライフルーツを刻む手を止め、唯真は三奈の元へ行く。


 三奈が抱きしめているボウルを取り上げ作業台に置き、静かに両肩に手を乗せた。


 少し低い所にある、三奈のまだ幼さの残る顔を覗き込んだ。



「あのね、子供に使えるも使えないもないのよ。その価値観は絶対おかしいから。


 子供の仕事は、自立できるようになるまで親の脛をかじる事よ。どうせ親が年を取ったら子供が面倒みるんだからお互い様なの。子供は親の道具じゃないのよ」



 強い調子で、けれど責める様子ではない唯真の言葉に、三奈は戸惑ったような顔をする。


 そんな三奈の目を見て、唯真は言う。言葉に確信を持って。三奈の心に届くようにと願って。



「三奈さんは十分使える人間よ。お料理は上手だし、服の趣味は良いし、頭が良くて話し上手だし、思いやりがあって倫理観あるし、一般社会なら絶対大事にされる人よ。


 生まれた場所が全てではないのよ。自分の居場所は、自分で見つけていいの。


 ここにいる間だけでも私が一般社会の生き方を教えるから、親元離れて外の世界に出て自分に合った生き方をしなさい。あなたなら、ちゃんと居場所が見つけられるから」



 三奈の目から、粒になった涙がこぼれていった。肩に手を置かれたまま、その肩を揺らして嗚咽し始める。


 その様子から、どれだけ三奈が苦しんでいたかが分かる。唯真の胸が痛んだ。泣く三奈の髪を、優しく撫でてやる。


 『高校生に未婚で子供作ってこいとか死ねよ毒親』と心の中で超絶悪態を付きながら、顔は三奈を怯えさせないよう、優しく笑顔を作っておいた。



 両手で顔を覆って泣き始めた三奈を、無言で優しく撫でながら見守っていた時だった。


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