第二の刺客(3)
言いにくそうに話すところ、自分の話が普通の人間には受け入れられない話だと理解しているようだ。
納得や理解の前に、まずは三奈の話を全て聞こうと、唯真は相槌を打って話の先を促す。
唯真の様子を見て、三奈はゆっくりと言葉を選びながら、話を進める。
「魔物は、私達の生きる世界の
それが御乙神家では術者が該当しますが、その術者の頂点ともいえる存在が、神刀の使い手なのです」
「……その、魔物って、人を襲うの?」
「はい。いわゆる普通の人には見えない世界には、人以外の、世間に認知されていない存在が多数あります。
その中で、人を襲う存在を大きく
魔物には、銃などの普通の武器は効きません。魔物にダメージを与えられるのは、人以上の力、神仏や
御乙神家の術者達は、己が霊能力を媒介にして森羅万象の力、
洋風のリビングで、唯真にとっては正に異次元な話を三奈は話し続ける。
テーブルの上に置かれた、ぽってりとした質感の優しい曲線のポットが、話の内容にとても不釣り合いだった。
「御乙神一族の中でも、特に宗家の男子は、森羅万象と繋がると言い伝えられる
それで彼らは『神刀の使い手』と呼ばれ特別視され、一世紀ほど前までは、一族の中ではそれこそ生き神の様に崇め奉られていたそうです」
三奈の説明は端的で分かり易く、彼女が霊能の道に関して深い知識を持っているのがうかがえた。普通の家政婦ではないのが分かる。
年齢不相応にも思える三奈の説明を聞いて、唯真は更に質問を重ねる。織哉の前では聞きづらい事があった。この機会にと思い尋ねる。
「その神刀っていうのと、織哉君が、その、空中に浮いたところを見たんだけど、関係があるの?」
「はい、関係あります。神刀は全部で五振りあるそうですが、織哉様が
……織哉様は子供の頃、まだ建速の力をコントロールしきれなくて、眠っている時たまにぷかぷか浮いていたそうですよ」
今までの真面目一辺倒な口調から変わり、三奈が若干冗談めいて話をまとめる。
一六歳とは思えないウィットの効いた話運びに、唯真が思わず表情を緩めた。
「なるほど、確かに本人の性格も風っぽいわね」
「はい、伝承では神刀の方が使い手を選ぶそうで、使い手はどこか神刀の特性と共通するような所があるそうです。
ちなみに輝明様は『
唯真が自分の話を受け止めてくれた事に安心したのか、三奈の話しぶりが一六歳の少女らしく軽さを帯びてきた。
緩く微笑みながら、唯真は三奈の話を聞いている。
話を信じるか信じないかは今は考えず、とにかく三奈に気持ち良くしゃべってもらおうと考えていた。
でも、と、大分口調が軽くなってきていた三奈が、真顔になる。
「神刀の使い手は、神刀の鞘になると言われています。神刀と一体化するんです。
だから霊能力も肉体も、人以上のものになるそうです。
その話の通り、本当にお二人とも強くて正に人間離れしていて、対等に戦えるのは互いにお二人だけです。でも」
三奈は、表情が消えたまま淡々と話す。唯真は、無言に徹して聞き続けた。
「一般の術者が手に負えない案件を、神刀の使い手達は請け負います。それは選りすぐりの危険な仕事だけに当たるということです。
いくら強いとはいえ、それは本当に恐ろしい事だと思います。だから大抵、一般の術者よりも神刀の使い手達は寿命が短いのだそうです。
その上何故か宗家は子供が生まれにくいそうで、余計神刀の使い手達は特別視されるんです」
御乙神家の、大きな財力の理由が分かった気がした。正に命を懸けた危険の代償として、高い報酬を得ているのだろう。
当主である輝明の、年齢不相応な威厳を考えても、御乙神一族の生き方、在り方が、今の日本では考えられないほど厳しいものであるのが分かる。
「織哉様、とても明るくて楽しい方ですけど、実は色々な事を考えていらっしゃいます。
立場もとても難しくて煩わしい事が多いのに、そんな事微塵も感じさせず、それこそ風の様に飄々とされています。
そんな態度が気に入らないって人もいるんですけど、私は……かっこいいなあって思っています」
三奈の発言に、唯真は何とはなく口を開く。
「三奈さんは、彼の事、好きなの?」
唯真の問いかけに、いいえっ!と秒で反応して三奈は首を横に激しく振る。
「まさか!そんなのではないです!絶対違います!
織哉様、ただでさえびっくりレベルの美男子ですし、その上神刀の使い手ですから、織哉様の妻になりたくてしょうがない女性は山のようにいて、それこそ死人が出そうな位の女の闘いが繰り広げられているんです!
その、はしたない話ですが、噂では女性が夜這いに来るらしいですよっもう怖すぎですっ」
なにそれ、と唯真は呟き、表情が険しくなる。眉間にしわが寄り、強い嫌悪感が露わになっていた。
「神刀の使い手になれるかどうかはほぼ血筋なので、結婚してもらえなくても子供だけでも欲しいっていう女性も結構いるんですよ。
実は輝明様も本人が望まれれば、昔で言う側室を持つことも出来るんです。ただ輝明様が、美鈴様以外目に入らなくてその気がないっていうだけで。
だから今は特に織哉様に集中砲火って感じで……とにかく私なんてとんでもないです!あんなお兄ちゃん欲しかったなぁって思っているだけですっ!」
最期はおかしな方向に進んでしまった話を終え、三奈が誤魔化すようにお茶に口を付ける。
唯真も一口紅茶を口に含む。情報が超常現象からお家事情まで幅広過ぎて、少し落ち着きたい気分だった。
そのすぐ前に、目に見えて震えながら正座をしている男がいた。
年の頃は四〇半ばか。異常なほど白くなった顔はいかにもエリート然としていて、大量の冷や汗をかいていなければ堂々とした威厳を振りまいていただろう。
男は一辺二メーターほどの、四角に張られた荒縄の中に囲われていた。
荒縄を支える支柱の元には、墨で何か書きつけられた和紙と、清めた酒と塩を入れた白い陶器の皿が置かれている。
荒縄で仕切られた空間の中で、ノーネクタイのジャケット姿の男は、何かの病気であるかのようにがくがくと震えていた。
部屋は、広く豪華絢爛な座敷だった。
金箔の使われた襖に芸術品並みの細工のされた欄間。床の間には日本画の掛け軸がかけられ、本物のサファイアで作られた
全体的にバランスは取れてはいるが、とにかく色合いが派手で、長く居ると視覚が疲れてしまいそうな部屋だった。
小さな物音がしただけで心臓発作を起こしそうな様子の男へ、織哉が、落ち着いた声で語りかける。
「今更びくびくしても仕方が無いんじゃないんですか。あなたの指示で沢山のお年寄りが騙されて財産根こそぎ奪われたんだから。
老後の貯え失って生活できなくなって自殺した人もいる。背負った借金返すために持ち家失ってホームレスになった人もいる。
暴走した営業担当も悪いけど、そうなる事が分かっていて無茶な営業目標設定して押し付けたんだから、恨み買うのは覚悟の上だったんですよね?」
部屋の隅には、織哉と同じ純白の着物を着た術師が二人待機している。
神刀の使い手が退魔を行う際、周囲に被害が及ばぬよう、疑似の空間、亜空間を呪術により作り出し、その中で戦闘を行う。
亜空間を作成、維持するのは神刀の使い手以外の術師が行うのが慣例だった。
織哉の語りに、男は蒼白の顔をなお強張らせる。汗はもう、顎からしたたり落ちるほどかいていた。
「一見、認知症を発症したか弱いおばあちゃんだったけど、実は元拝み屋の、その道の知識を持つ霊能力の高い人間だった。
自分を陥れた相手を恨みに恨んで自分の命を代償に呪詛を掛け、同じ目に遭った他人の恨みまで吸い込み、とうとう人の域を超えてしまった。
自分を直接騙した営業担当、次は被害届を握り潰した上司、部長、そして本社の営業
誰が一番の悪人か、魔物になってもちゃんと分かっていて、他の社員は本人だけだったけど、あなただけはまず家族を惨殺していった。あなたに、恨みの深さを思い知らせるために」
男のスマートウォッチがアラームを鳴らした。真夜中の一二時だった。
もう誰もいなくなった男の自宅は静まり返っていたが、空気がざわめき始める。
周囲の温度が、急激に下がり始めた。
補佐の術師達が
口を固く閉じ目を見開き、壮絶な表情で大きく震える男の背後で、織哉が静かに立ち上がった。
「仕事だからあなたを守るけど、生き残れたらここのガラクタ売り払うなりして少しでも被害者に償うことだね。
金融詐欺の容疑で警察が動いているそうだよ。今の不況じゃあ後ろ盾の政治家達も庇う余力はない。あなた達の組織はもう、終わりだよ」
真夜中の鎮まった空気の中、音ではない気配が、重く暗いうねりとなって押し寄せてくる。骨の髄まで凍る様な冷気が部屋を満たす。
冬の寒さでも冷房の冷気でもない。それは魔物の持つ、独特の冷気だった。
依頼人を護る対魔結界の、札と塩と酒を入れた皿が、全て一気に弾け飛んだ。
男は頭を庇って言葉にならない叫びをあげる。呪力を込めた札は弾け小さな紙片となり、灰になった。酒は煙となって蒸発し、塩には青い炎が燃え、炭化していった。
それは魔物からの宣戦布告だった。「そんなものは効かないよ」と。
魔物退治で名を馳せる名門
この依頼は、他流派の霊能術家から回ってきた案件だった。
依頼人の目の前で妻は体を八つ裂きにされ、相対した霊能者は己が命を犠牲にし辛うじて魔物を退かせ、依頼人の命を守った。
依頼人を狙う魔物の力はあまりに強力で、当初請け負った流派ではこれ以上の対応は無理だと判断され、御乙神家の神刀の使い手にと名指しで回ってきたのだ。
空間から染み出てくるように、人影が浮かび上がりだした。
依頼人の目の前で急速に濃くなっていく人影は、白い着物を着た、長い髪の、若い女だった。
現れた魔物は、壮絶な形相をしていた。
目は吊り上がり赤く染まり、口は耳まで裂け唇はどす黒い。底知れぬ恨みが表情に表れていた。
形は人でも、それはもう人ではなかった。
長い黒髪は孔雀の羽の様に空中に漂い、その先から黒く冷たい│
魔物と呼ばれる存在は、実は人間以外のモノばかりではなかった。
人を超えるチカラを持つ人間達―――高い霊能力を持ち、霊能の技に長けた者達は、その力ゆえに人間としての枠組みを踏み外しやすいのだ。
度を越した欲や恨みなどの、闇に連なる負の感情が累積し魂を腐らせていく。
霊能力が高いが故に、いつの間にかその魂は人ではないモノに生まれ変わってしまう。
心が闇に飲まれた術者のたどり着く果てが―――魔物なのだ。
注連縄の結界の中でうずくまる依頼人の後ろで、織哉は動じる様子もなく、腰の辺りから何かを引き抜くような動作をする。
すると、いつの間にか手には、一振りの日本刀が握られていた。
反りのない、真っ直ぐな日本刀。白く光る刃と、飾り気のない黒一色の鍔と柄。
刀が現れたと同時に、周囲に薄く風が吹き始める。
その風に反応したように、魔物は織哉に赤い目を向けた。神刀『
周囲は既に、補佐の術師達が施した亜空間に切り替わっていた。
前触れなく部屋のあちこちが爆発し壊れていく。
精密に竜の彫られた見事な欄間も、金箔で鳳凰が描かれた襖も、時価数百万は下らないアンティークのギヤマンも、次々に爆発し破壊されていく。
男の悲鳴の中、不気味にうねる黒髪が、織哉に向かって一気に伸びてきた。
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