第二の刺客(2)
離れの一階は、リビングダイニングと繋がる一〇畳の和室、そして入浴洗面施設があり、二階の二部屋の寝室と合わせ、この離れは3LDKの造りだった。
広さ二〇畳ほどのリビングは洋風のデザインで、白木を基調としたシンプルな部屋の
汗ばんだ服を着替えリビングに下りた唯真は、織哉と離れに常駐している家政婦の少女、
ウォールナット製のブラウンのダイニングテーブルには、オフホワイトのティーポットとカップが並べられていて、白い生クリームに赤いイチゴが鮮やかなケーキが切り分けられていた。
クリスマスを意識したのだろう、テーブルセンターは緑のフェルト製で、
けれど顔に出るほど機嫌の悪い唯真は、シーズンイベントを楽しむ気分ではなかった。薫り高い紅茶を無言で飲む唯真に、三奈は恐る恐る話題を振る。
「あの、唯真さん、美鈴様から着替えを預かってきたんですが、後でサイズを合わせていただけませんか?美鈴様が、合わなかったら取り替えますからとおっしゃっていました」
カップを両手で握りしめながら、顔色をうかがう様子で主人の伝言を伝えてくる。
三奈は本来は、美鈴の専属の家政婦、いわゆる侍女なのだそうだ。
歳は一六歳。腰近くまである長い黒髪を、一本の三つ編みにしている姿が少女らしい。
容姿は、痩せぎすで地味な顔立ちで、お世辞にも美人とは言えない。
けれど礼儀正しく所作や言葉使いも綺麗で、良家の育ちであるのが察せられた。
三奈は唯真がこの離れに来た当初から常駐していて、ベッドから動けなかった間も、美鈴と共に丁寧に世話をしてくれた。
今も常に離れに居て夜も帰らず、唯真の寝室の隣の部屋で休んでいる。口には出さないが、唯真の監視も兼ねている様子だ。
輝明から護衛を仰せ付かったらしい織哉も、ほぼ毎日この離れに滞在している。どうやら夜は一階の和室で寝ているらしい。
その事を知った唯真は、夜は内鍵だけではなく扉の裏に一人掛けのソファを置くようにしていた。
訳の分からない力を持つらしい織哉に、こんなものが通用するかは分からないが、男と同じ建物で眠るのなら、できる限りの自衛はしておきたかった。
三奈を怯えさせるつもりはなかった唯真は、意識して表情を緩めて笑顔を作る。
「ありがとう。今用意してもらってる分だけでも構わないんだけど」
「気を悪くしないでくださいね、今の着替えは、屋敷内からかき集めた他人のお古なんです。唯真さんが来られたのが急だったので、準備が間に合わなくて。お洋服、忘れないうちにお渡ししますね」
唯真の笑顔にほっとした様子の三奈は、席を立ちリビングのソファに置いていた大型のペーパーバックを二つ持ってくる。
色はオフホワイトの、画用紙の様な質感の紙で作られたバッグは、ショップやブランドのロゴは入っていない。
手提げ紐の太く黒いリボンが唯一の装飾で、バック全体から突き抜けたセンスが感じられた。
その恐ろしく洒落たペーパーバッグを受け取って中を見ると、今の季節に良さそうな幾種類かのニットに、ジーンズやスラックスが数本入っていた。
触れてみると、どの服もうっとりするほど手触りが良く、明らかに品質が高い。
唯真は、一緒に入っていたベージュのロングカーディガンを取り出す。
ふんわりと優しい質感のカーディガンは、驚くほど軽い。オフショルダーの造りで、ゆったりと楽に羽織れそうだった。
上品にごく薄くラメの入った、ほっとするような手触りのカーディガンを手にして、唯真は正直、困ってしまった。
(どれだけお金が有り余ってるのこの家……)
今まで用意してもらっていた洋服も、新品ではなかったがどれも高品質の品物ばかりだった。
そして今度の服はどれも新品で、ニット一枚の値段が恐らく数万単位の品である。
ペーパーバッグのセンスからしても、安易に宣伝が出るクラスのブランドではないだろう。
そしてデザインも唯真に似合うようなものを選んでくれているのが分かり、服一つ準備するにも、とても気を使われているのが伝わってくる。
半ば誘拐され軟禁されているのに扱いはまるで賓客で、食事も三奈が三食手作りしてくれて美味しいし、唯真が退屈しないようあれこれ気を配ってくれ、こうやってお茶の時間も設けてくれる。
美鈴も毎日ではないが、離れに顔を出しては世話を焼いてくれていた。
好待遇にほだされたつもりはないが、最近では気を抜くと、輝明達を警戒する気持ちが薄れそうになっていた。
唯真が命を狙われているのは、十二月初めの頃の不審な事故とマンションでの出来事が示す通り、確かに事実なのだ。
織哉の不可思議な能力も、これだけ体験させられれば流石に認めざるを得ない。
けれど、親しい友人に今の状況を説明できないのは駄目だ。どれだけ待遇が良くとも、やはり現状は誘拐の上、軟禁なのだ。
高遠と井ノ上の警官コンビは、きっと職権乱用をして唯真を捜索してくれているはずだ。
未だに彼らの捜索がこの場所を突き止めていない様子なので、御乙神家の絡む事件は警察は手を出さないという織哉の言い分も信ぴょう性が高い。
けれど確実な裏が取れていない以上、全面信用する訳にはいかなかった。
とにかく、一度高遠達に連絡を取らなければならない。そのためには、何とかして離れを抜け出す。そして高遠達に連絡を取る。その後は、またこの離れに帰ってきてもいい。
現在目指すべき行動の方向性と着地点を、心の中で繰り返し確認する毎日だった。
カーディガンを手に黙り込んでいる唯真に、ケーキをつつきながら織哉が言う。
「唯真さんに似合いそうだねそのカーディガン。三奈ちゃんが選んだんだよね」
「美鈴様が、私が一番傍で唯真さんを見ているから似合いそうなものを選んでと言われて。唯真さん背が高いし何せ美人だから、シンプルなデザインが似合いそうと思ったんです」
「いい見立てだよね。今度俺の服も見立ててもらおうかな。俺あんまり洋服の選び方上手くなくて」
「そんな事ないです。織哉様のお洋服いつも素敵ですよ。でも、選ばせてもらえたら、私嬉しいです。モデルが着せがいがありますから」
「またまた三奈ちゃん上手だな~。今度美鈴さんと一緒に買い物行こうか?輝明のは……美鈴さんが選ぶね。今だに暑苦しいからねあの二人は」
ケーキを食べる合間に紅茶で口直ししながら、織哉がおかしげに笑う。
新品のカーディガンを丁寧に畳みながら、唯真は二人のテンポ良い会話を無言で聞いていた。
織哉はそんな唯真に目をやる。固い表情の唯真へ、言った。
「輝明、唯真さんに済まないと思っているんだよ。自分が配下をまとめきれないせいで、何も悪いことしていない唯真さんが命狙われた挙句ここに閉じ込める事でしか守る事ができないのを、申し訳なく思ってるんだよ」
織哉の言葉に唯真はカーディガンから目線を上げた。
カップを持って唯真を見る織哉は、いつになく真面目な表情だった。
「七家の皆さん、今回の件、表向きは輝明に従っているけど、実際は全然納得してないから。特に輝明は、宗主としては若い上に正論ありきで話をしちゃうから、こういう時角が立ちやすいんだよね」
輝明ちょっと真面目過ぎるからさ、と言い添えて、織哉はまた紅茶に口を付ける。
ぽろりとこぼした御乙神一族の内部事情に、唯真は妙に親近感を覚える。思わず言葉を返した。
「生きる世界が違っても、人間関係は変わらないものね」
唯真の素直な言葉に、織哉もふと微笑んで返した。
「どこでも一緒じゃない?同じ人間だからね。生きる場所や能力は違っても、人の心は変わらないよ」
織哉がカップをテーブルに戻したその時、唯真の視界の端を、何か白いものが横切った。思わず顔をそちらの方に向ける。
それは、常識的に有り得ないものだった。白い体を持つ、大きめの鳥だった。
鳥は、織哉の顔の前に羽ばたくことなく翼を広げ滞空している。
その姿を見て、その鳥が白い羽毛に包まれたカラスであることに気が付いた。
もう大抵の事には驚かないと思っていた唯真だったが、室内で白いカラスが浮いているのはかなり衝撃的だった。
織哉は滞空する白いカラスと見つめ合っている。音に聞こえる言葉はないが、何かやりとりをしている気配があった。
白いカラスは消えた。驚いた様子の唯真へ、織哉はにっこり笑って見せる。
「輝明からのお知らせだよ。俺と輝明、カラス使って文通してるの。名付けて愛のカラス通信♪」
織哉の冗談まみれの台詞に、三奈が御乙神家的翻訳を加えてくれる。
「今のは
霊体なので普通は霊能力の無い人には見えませんが、唯真さんは今強い結界内にいますので、その影響でちょっとした霊体は見えたりするんですよ」
三奈の説明に、唯真は燃えた自宅マンションで一瞬見た、焼け焦げ力尽きた茶色の鳥を思い出す。
あれは恐らく織哉の式神で、ガラス片や炎の大蛇から守ってくれた目に見えない『何か』は、それであったと思い当たった。
「三奈ちゃんの言う通り。だからちょっとびっくりすることもあると思うけど、気にしないでね。
それでは俺は輝明から呼び出しがかかったから行ってくるよ。ここの守護は、俺の結界と美鈴さんに来てもらうから大丈夫だよ」
席を立つ織哉に、唯真が尋ねる。
「呼び出しって、何かあったの?」
聞いても内容は分からないだろうとは思ったが、思わず尋ねてしまった。
織哉が一瞬真顔になり、そして答える。軽く笑顔を見せた。
「唯真さんの身の危険に関わる事ではないよ。俺の本来のお仕事の方だよ。俺や輝明じゃないと駄目な仕事があるんだよ」
詳しい内容は教える気はないようだった。引き留めてはいけないと思い、唯真はそれ以上質問を重ねなかった。
織哉が離れを出ていった後、唯真はお茶を淹れなおしてくれた三奈に話を振る。
「織哉君や輝明さんじゃないと駄目な仕事って、何なの?」
唯真に新しい紅茶を渡し、自分の分を注ぎながら三奈が少し顔を上げる。
「ええと、唯真さんには、かなり信じられない話かもしれませんが……いいですか?」
「大丈夫よ。もう大概の事には驚かないから」
ガラス片と炎の大蛇に襲われ、男前が空中に浮き白いカラスが室内で飛んだり消えたりする。
その上高級リゾートホテルもかくやというような宿泊施設と一着数万円の『普段着』を用意されれば、もう大概の現実にも非現実にも驚かない自信があった。
席に着いた三奈が、自分より背の高い唯真を見上げる様子で話し始める。
「あの、まず、はっきり申し上げてしまいますけど、御乙神家で一番重要かつ依頼人から求められる仕事は……魔物を、退治する仕事、なんです」
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