第二の刺客
第二の刺客(1)
広く重厚な和室に、八人の男性が集っていた。
皆、揃って純白の
和室は広さは三〇畳ほどで、等間隔の区切りが美しい障子で囲まれている。
その白木造りの障子で区切られた隣の部屋は、一段降りての、庭に面した板張りのテラスとなっていて、いくつかの一人掛けの瀟洒なソファが置かれている。今は障子が閉められていた。
上座の奥には、奥行きのある床の間が作られていて、床の間の広さに合わせた大判の掛け軸と生花が飾られている。
通路に面した壁には円形の障子が嵌め込まれ、床の間にも外の光が入るようになっていた。
部屋の中央に、大型の黒檀の机が置かれている。
左右に分かれて座椅子に座っているのは七人。
内訳は、御乙神一族の代表である
上座に一人座る、宗主の御乙神輝明へ、七家の一つである
「佐田家の七家からの除名処分は、あまりに重い処分ではないかと存じます。ぜひ処分内容の再考を検討していただきたい」
飛竜家の当主は、宗主の御乙神輝明と変わらない年齢に見えた。
御乙神一族の術師の正装である和装の上からでも、人一倍逞しい身体つきが分かる。顔立ちも、厳しさが前面に現れていた。
輝明に挑むような表情で、飛竜家現当主、
「佐田家の呪詛は一族の未来を深く案じた末のもので、決して、宗主に逆らう意向ではありません。どうか、七家除名の処分は考え直していただきたく存じます」
選ぶ言葉も口調も丁寧で奏上する形式のものだったが、飛竜健信の眼差しは攻撃的な雰囲気があった。
飛竜家からの発言に、
陣野家の当主は、現在の七家の当主の中では一番任期が長く、年齢も七〇台半ばと最年長だ。
年長者らしい鷹揚な口調で、しかし言葉尻は歯切れ良く自らの言い分を述べていく。
「私も飛竜の提案に賛成です。佐田はただ、一族を滅ぼす脅威を取り除こうとしたのです。将来自分の子供達を殺める存在を、見逃すことができなかっただけです。宗主の意向に逆らう目的ではありません」
「その通りです。佐田の呪詛は一族を守ろうとした、ただその一心で行われたものです。呪詛の行使に利己的な理由はありません。我が子孫を危険にさらす原因を放置する方が、余程問題ではないでしょうか」
七家からの除名処分は、余程の落ち度がなければ執行されない重い処分だった。
しかも五年に一回行われる七家を選ぶ選挙には、二期間、一〇年もの間参加できなくなるという厳しい罰則付きだ。
一族の法律とも呼べる『
呪詛により『滅亡の母』暗殺を試みた佐田家の当主は、
現在佐田は還ってきた自らの呪詛に焼かれ、共に呪詛を行った親族もろとも大火傷を負い入院中である。
呪詛はいくら事前に防御を施しても、破られると必ず施術者に還ってしまう。呪詛を含めた霊能の呪術は、扱うのは命懸けだった。
控えめながらも次々に上がる意見は、裏で事前に調整されたものだろう。
佐田家の処分に絡め、今回の問題に対して七家とは真っ向反対の意見を持つ宗主を、数で説得する作戦に出たようだ。
七家の当主達の意見をひとしきり聞いた後、輝明は口を開いた。
「皆の言う通り、佐田は確かに一族の未来を憂えて私に無断で呪詛に踏み切ったのだろう。諸法度を破ってまでのその覚悟は、宗主として十分理解する。
けれど佐藤唯真は独身で結婚の予定もなく、今の所出産の気配はない。占術でも、結果は視えたとしても『滅亡の子』の詳細も、子の父親の事も何も視えていない。
その理由は、未来がまだ不確定だからだ。変える余地のある未来のために、何の罪もない女性の命を奪うのはあまりにも乱暴過ぎやしないか?」
七家の当主ひとり一人と視線をぶつかり合わせながら、輝明は言葉を紡ぐ。
「我々は、人の身で、人以上の力を授かっている。けれど心は人でしかない。だからこそ、力の行使には熟慮を重ね、慎重に行わなければならない。油断をすれば、すぐに力に溺れ、人の弱い心は堕落する。
堕落の先がどうなるかは……皆も日々の仕事で良く知っているはずだ」
六人の男達の視線を一身に受け、その圧力をものともしない様子で輝明は言い切った。
「佐藤唯真は殺さない。これから先視を続け情報を集め、未来を変える手立てを打っていく。これは前にも宗主の意向として伝えたはずだ。
今後、佐藤唯真を狙う者が出てきたら、諸法度に基づき、宗主に無断で殺人の呪詛を行った違反として処分を下す。佐田の処分も変更はない」
以上だ、と、言葉を添え、御乙神輝明は席を立つ。
御乙神一族二十八家の代表である七家と、宗家御乙神家の
袴の裾を払い整えしなやかに立ち上がる姿は、若々しくも堂々としていて、振り返った細身の背中には、冒しがたい威厳があった。
若くとも男性にしては細身であろうとも、御乙神輝明の姿には一族を率いる長の貫禄があった。
織哉を従え部屋を退出しようとした輝明が足を止め、思い出したように口を開く。
「しばらくの間、佐藤唯真の護衛に織哉を付ける。『滅亡の子』の話が外に漏れれば、佐藤唯真を誘拐しようとする外部の動きも出てくるだろう。
佐藤唯真を狙う動きを見つけた場合は、
宗主の発言に、誰も何も返さなかったが、場の空気が目に見えそうなほど冷え込んだ。
皆に顔を向ける輝明とは対照的に、織哉は開けられた障子の外に視線をやっていた。
感情の読めない秀麗な横顔を、数人の当主達が恐れる眼差しで凝視していた。
誘拐のくだりは、大義名分で建前。本当の所は、佐藤唯真を狙えば織哉が神刀を抜くと、改めて七家達を脅しているのだ。
そのまま二人は部屋を出ていった。残った六人の七家達は、神刀の使い手達が十分に部屋を離れてから、近くの当主達と話を始める。
飛竜健信は、無言で目の前の艶やかな黒檀の照りを見つめていた。座椅子の肘置きを握る手は、固く力が入り、白くなっていた。
一体この建物はどうなってるの、と、叫びたいのをこらえながら唯真は歩く。歩く。ひたすら歩いて行く。
二階の廊下を、唯真はもう一五分も歩き続けていた。
一〇畳ほどの広さの洋室が二つあるだけの二階である。廊下の長さはせいぜい一〇メートルといった所だ。
なのにいくら歩いても廊下の端にたどり着かない。それどころか、いつもは部屋を出てすぐ見えるはずの階段が、ない。
唯真の目の前には、延々と端の見えない廊下が続くばかりである。
唯真は今、この離れに一人だった。
常駐の家政婦と唯真の護衛である(らしい)御乙神織哉は、「すぐに帰って来るから」と言い残し、一五分ほど前に二人で母屋に出かけて行った。
離れを抜け出すチャンスだと、二人が離れを出たのを確認してから二階の寝室から出てきたのだ。
しかし寝室のすぐそばにあるはずの、一階への下り階段が見つからない。それどころか、廊下がどこまで行っても終わらない。
高級リゾートのコンドミニアムもかくやというこの離れは設備も充実していて、建物全体に暖房が入り廊下も暖かかった。
艶のある腰板の張られた廊下をひたすら歩き続け、身体は既に汗ばんできていた。
「唯真さん」
いきなり名を呼ばれて、普段以上に反応して声のした方を見やる。
するとそこには、絶対に無かったはずの下り階段があり、すっかり見慣れてしまった御乙神織哉の男前な顔が覗いていた。
何とも言えない恨みがましい顔で自分を見る唯真に、織哉はにっこり良い笑顔で告げる。
「
にこにこにこ、と花でも飛びそうなイイ笑顔でお茶に誘う織哉に、唯真は地の底を這うような声音で返す。
「……あなた、護衛とか言って実の所は私からかって遊んでるんでしょ?」
「えぇ?何の事?良く分からないけど、この離れは俺の結界で守っているから、俺に無断で出ていこうとすれば、もしかしたら扉が消えたり階段がいつまでたっても終わらなかったり廊下が無限回廊になったりするかもしれないね」
「……」
「ほら、お茶が冷めるよ。せっかく三奈ちゃんが準備してくれたんだから、早く行ってあげた方が良いよ」
井ノ上が見たら歓喜のあまり涙を流すだろう爽やかな笑顔でのたまう織哉へ、唯真はできる限りの冷たい声で言ってやった。
「……今に見てなさい。絶対に、絶対に、ここを抜け出してやるから……!」
御乙神家に連れてこられてから、既に二週間が過ぎていた。
起き上がれないほどの体調不良は一週間で全快し、体にあちこち負った火傷も順調に回復していた。
離れに連れてこられた翌日、唯真は外部と連絡を取らせてくれと頼んだが断られた。
織哉達の言い分としては、今、唯真に深く関わると、唯真を抹殺しようとする動きに巻き込まれるからだと言う。
それでも諦めず、火事になってしまったマンションが心配だとか予備校の模擬試験をキャンセルしなければとか、連絡を取りたい理由を色々申し立てたが、どうしても受け付けてくれない。
何でも御乙神家には、仕事の際に起きた超常現象を、世間の常識と帳尻を合わす作業をする部門もあるそうで、唯真が姿を消した事もマンションの部屋が火事になったことも、世間的に不自然にならないよう調整をしているそうだ。
「だから安心していいよ」とにっこり笑って見せる男前に「それは、すごく犯罪グレーな感じがするんだけど」とキツく言ってやったが、織哉は意にも介さぬ様子で微笑むだけだった。
ベットから起き上がり自由に動けるようになったその日、一人になった隙を見て唯真は離れを抜け出そうとした。
しかし、外に出る扉が『見つからない』。本当にどこを見ても外に出る扉がなく、窓も開かない。
最終手段で窓を割ろうと準備を始めた時、見当たらなかったはずの玄関扉が突如現れ、開いた。
扉から入ってきた織哉に「どうしたの唯真さん」と軽やかに声を掛けられ、呆然としてしまった。
数日後、今度は夜中に離れを抜け出そうとした。
外に出る扉は何度も場所を確認していて、今度こそ見間違いや見落としはないはずだった。
しかし唯真は外に出ることはできなかった。一階へ降りることができなかったのだ。
一階へ降りる階段が、いくら下っても終わらない。降りても降りても一階にたどり着かない。
下って下ってひたすら下り続けて、いつまでも終わらない階段にとうとう途中で座り込み、身の危険を感じて二階へ引き返した。
するとすぐに階段は終わり、それこそあっという間に唯真にあてがわれた寝室の前にたどり着いた。
翌日「おはよう唯真さん。あれ、なんか目が赤いよ?よく眠れなかった?」と、いけしゃあしゃあと言ってくる織哉に、寝不足で重い目でガンを飛ばしてやったのは、唯真の精一杯の抵抗だった。
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